ベートーヴェン ピアノソナタ「悲愴」
■昨年の夏頃、左肩を故障して一ヶ月ほどピアノが思うように弾けなかった時がありました。そしていよいよ「もう大丈夫かな?」と思ったときに、最初に弾いたのがこの曲。最近では「のだめカンタービレ」の中で、のだめが二楽章「アダージョ・カンタービレ」をゴミの山の中で軽やかに弾いていたのが印象的でした。私も大好きな曲です。
■クラシックを習っていた頃、ベートーヴェンは苦手でした。生理的にダメ、と言ってもよいくらい。匂いや話し方が苦手というのと同じくらい、どうしても受け付けない。まあこちらも若くて(っていうか、ガキ?)彼の本質を見抜けなかったということもあります。が、娘に「エリーゼのために」を弾いてあげたら、後半にさしかかったところで「この曲、こわーい!」と叫んでおりました。遺伝子とは恐ろしい・・
■話を戻しますが。ベートーヴェンが若くして作った、この「悲愴」を、昨年の夏に弾いた時に何か「光」のようなものがはっきりと自分の中に見えたのです。「人生、捨てたものじゃない」そうベートーヴェンに語りかけられたような気がしました。■この曲は「悲愴」といっても本当の悲愴感は第一楽章だけで、二楽章では「光(希望)」にむかって進み、三楽章では「悩んでも仕方ないぞ!」と叱咤激励されているような気になります。ベートーヴェンもまだ若かったし、心の芯の部分には「明るさ」を携えた人だったろうと思います。そんな「悲愴」を今年に入ってからもよく弾いています。元気になります。「悲愴」で元気って、何か変ですけどね。
■時々、人生の中で一度くらいはクラシックのコンサートをやっても・・と思うこともありますが、それはまだずっと先かな。80歳くらいになったら考えます。思い返せば高校時代は「第九」が必修で、今でもカタカナ・ドイツ語で歌えます(意味わからない^^;)。ちなみにアルトでした。アメリカ人の声楽家には「あなたはソプラノ」と言われたけど。70、80年代アイドル歌手(女性)の歌は、まずキーが高くて歌えないです。
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