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2007年5月13日 (日)

母の日、そして彼女の死によせて

Isi ■今日は瀬戸祐介君という素晴らしい共演者がいなかったら、とても舞台に立てるような心境ではなかったのですが、足を運んでくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。■この二日間、彼女の訃報を受け取ってから殆ど眠れませんでした。ほんの少し前に彼女に手紙を書いていたので、その返事が来たのだと疑わずに開いた彼女からの携帯メールが、その悲しい知らせでした。ピアノの前に座った瞬間「こんなに悲しい気持で演奏ができるだろうか」という思いに襲われ、最初は動揺を隠せないスタートとなってしまいました。それでも10曲の旅を続けているうちに、少しは正気を取り戻し、でも結局最後までその後に向かう葬儀のことが頭を離れませんでした。私はピアニストである前に、ひとりの人間でありたい。そんな風に言い訳している自分を許すのもままならず、向かった葬儀の席で「強い信念を持ち、3月まで酸素ボンベをつけて踊っていた」という彼女の、最後までダンサーとして生き抜いた姿にまた別の激しい動揺を覚えました。■なぜこんなに涙が出るのか。それは彼女との出会いが仕事ではなく「○○ちゃんママ」として始まったからだと思います。お互いに高齢出産で、まだ歩き始めたばかりの泣く子を託児所に置いて、劇場やスタジオに向かう自分。母親と表現者は両立出来ないのではないか。いろいろな意味で周囲に「前例」がなく、常に自分のエゴとの葛藤でした。そういう感情がピークになり、「もう辞めてしまおうか」と思った時に、ふとしたきっかけで託児所で会話をした彼女も同じ表現者なのだと知り、目の前がぱっと明るくなったのを覚えています。彼女の存在は本当に心強く感じました。友ではなく、仲間とも違う。共犯者のような、ライバルのような、戦友のような存在でした。だから凄く悲しい。100歳までやると決意していた二人なのに、母親であり表現者である人生を一緒に闘うはずだったのに。彼女は結局ダンサーとしての人生を全うしてしまった。「娘の人生を犠牲にしていないか」という、会えば話題になった共通の悩みに彼女はさっさとケリをつけてしまいました。最後まで潔くて、かっこよすぎる人でした。私は一生あなたの存在を忘れない。今日という長い一日、母の日を忘れません。最期まで強い意志をもって病気と闘った棺の中の彼女は、初めて会った日のような穏やかな母親の顔に、どこかほっとした微笑を浮かべていました。黄色いガーベラを一輪。言葉は何も浮かびませんでした。■「今日と言う日の悲しみを、これからの自分の人生を考えるきっかけにしてください。44年と288日。彼女が生きた年月をあと自分が生きるとしたら何が出来るのか」。牧師さんの言葉が、ただ頭をぐるぐる回っています。夜空に浮かぶ教会の十字架の傍らには小さな星がひとつ、きらきらと輝いていました。

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