手を合わせる
■手を合わせる、祈る。ヨガを始めてから、合掌のポーズは毎朝の習慣。思えば5歳で東京に戻るまで通った函館元町のカトリック教会(の幼稚園)。最初に覚えさせられたのも、祈ること。だいぶ大きくなるまで夜寝る前には、手を合わせてから布団にもぐっていたから、合掌という行為はいつも傍らにあって、今も嫌いではない。
■信じる宗教は?と聴かれたら迷わず’音楽’と答えるが、手を合わせた先に自分だけの’神様’はいると思う。神頼み、とは違う。なんというか心にある天秤がぶれないように、手を合わせることで支柱を自分の真ん中にあわせるような感覚。ここが中心、無の場所、と確認するような。
■写真は、今年の夏から玄関を守っているナマステ像。娘が雑貨屋で見つけて、我が家の家族になった。おそらくこれから舞台に上がるのか、結婚式を挙げるのか。どこか庶民的な顔をした二人が’晴れ着’を身に纏い、しっかりと目を開いて合掌している。神のためというよりも、感謝や集中のために手を合わせているような雰囲気だ。高さが40センチ近くある木像なので、ちょっとした迫力。毎日玄関を出るときに、こちらも「行ってきます」と自然と手を合わせてしまう。
■昨日、義母が危篤と連絡が入った。静かに燃える蝋燭の灯りを見守るように、いまどこか神聖な気持で’その時’を待っている。今日は彼女の84回目の誕生日。明日は蠍座の新月。人のいのちは宇宙とつながっている。彼女がこの世に生まれなかったら、クロマニヨンも娘も存在しないのだと思うと、自然と感謝の気持で手が合わさってしまう。どうもありがとうございました、何も力になれなかった私を許してください、そしてお疲れ様でした。
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