冬至を越えて
■これは楽勝だろう、と思っていた曲でドツボにはまる。今日は音符が三つしか書けなかった(泣)。考えてみれば、苦手と思っていた曲は、わりと楽しんで(時間はかかったけど)やり終えている。うーむ。まだまだ自分を判っているようで、わかってないなあ・・。
■土曜日の夜は実家に集まって高齢の、じゃない恒例のクリスマス会(少し早いけど)。毎年、「これが最後かな・・」なんて頭をかすめたりしつつも、今年も皆元気で集まれた。それにしても子供はどんどこ大きくなっていく。「羞恥心の三人組って、同じ顔の人が二人いるよね?」と言ったら、「え~、違いがわからないの?」と小学校4年に名前と特徴の説明を受けるが、またすぐ忘れる。興味のないことは、見事に頭に入っていかないことになってしまった。彼女はジジババからアイポッド?を貰ってた。確実にCDは過去の産物となってますね。一応、世界配信しているくせに、実はアイポッドとか持ってないです。イヤホンしたくないので・・・。昔はウォークマン、布団の中でも手放せなかったのに。
■翌日、まるで里山のような(東京の住宅街です)道を抜けて、森を散歩する。と娘がカマキリの卵(写真上)を発見。周囲はススキの穂がいっぱい。これ、秋の風景じゃない?冬至なのに。しかも暖かい、いや暑くないかい?なんて思いながら、夜はカボチャと小豆の「いとこ煮」を作って食べる。
■冬至といえば、ご近所の穴八幡の隣の放生寺の「一陽来福」。クロマニヨンと娘を学校に送りがてら頂きにいく。穴八幡も朝一番で空いていて、一瞬どちらに入ろうか迷ったのだけど、なんとなく我が家は二年前から放生寺派になってしまった。人数少ない方がご利益の率も高そうだし
■帰りは境内で縁起物の七味唐辛子を購入。500円なのかと思ったら、缶が500円で中身は別売で1000円。相場の三倍の値段・・・。でも、目の前で好みの辛さに調合してくれた歯のないおじちゃんの’こだわり話’が面白くて、しかも鎌倉銭洗い弁天の五円玉まで頂いて。どうもやっぱり、うちはこちらにご縁があるのだなと思った。
■寒さは増すけれど、光の中に春の気配が感じられる冬至から春分までが、昔はなんだか苦手な季節だったけど今は結構好き。私にとっては一年中で一番、創作的な時期かもしれない。気分的には冬至が元旦なのかな。■本来、一陽来復(陰極まって一陽が生じる)は冬至を意味する。冬が過ぎて春が来る。「どんなに苦しい状況でも、いつかきっと好転する」。この言葉に勇気づけられることは多いです(泣)。
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