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2009年4月の1件の投稿

2009年4月 1日 (水)

2冊の間にある お母さんの時間

Image3411_3ここ連日、夜10時頃になると市ヶ谷の防衛省上空にヘリコプターが飛び始め、騒がしくなります。ニュースによれば’迎撃ミサイル’が配備されたとのことですが、国はこっそりやるんですね、こういう大事なことほど・・。テレビをつけると戦艦やミサイルの物騒な映像が流れています。でも、今ひとつピンと来ない・・・・。それが今の私です

■私の手元に二冊の古い雑誌があります。上は昭和6年発行の婦人倶楽部の付録。そして下が、戦後焼け野原の銀座から産声を上げた昭和23年発行の暮らしの手帖創刊号。以前、浦安のギャラリー・どんぐりころころさんに前田一郎さんの硝子を観にいった際に、たまたま近所で蔵を整理している旧家があって「好きな本持っていって!」と。その時は記事が面白そうだと、発行年も見ずにこの二冊を手にしましたが、実はそこには哀しい時間の流れがあったことに後で気づいて、愕然としました。

■それは、太平洋戦争。昭和6年(1931年)といえば戦争が開始される10年前。今と同じように世界恐慌の影響で日本は不景気だったのです。それでも婦人倶楽部付録の中では「黒豆コーヒー」や「手作りキャラメル」「トマトソース」の作り方などが紹介されていて、そこには今と変わらない(インスタントがある今よりも豊かな)食卓の光景が浮かびます。でも、国の外では満州事変が起き、戦争への扉は開いていたんですね。。そして本格的な戦争を迎えると雑誌の中身はこんな風に。たった10年で!同じ国の雑誌とは思えません。■たとえば自分のこの10年間(あっという間)を振り返ると、’市民が知らぬ間’の国の流れの早さに恐ろしくなります。黒豆コーヒーを作っていたお母さんたちが、10年後に食べるものすら無くなる戦争に突入するなんて想像していたでしょうか?Image3401_2

■そして、戦後に発行された暮らしの手帖。目次には「可愛い小もの入れ」「ブラジア(ブラジャー)パッドの作り方」「自分で作れるアクセサリイ」など、また平和な暮らしが戻りつつある庶民の生活が見えてきます。でも、そういう記事の間にも'戦争’の文字がまだ消えていません。随筆の中には「戦争が済んだ。軍服をぬぐんだ、一日も早く」「戦争の時は、私の家にも、私共の仕事場にもさかんに火が降った」など辛く生々しい記憶があります。

■怖いのは、戦争の始まりは「実感としてわかりにくい」ということ。戦時中でも、本当のことは何も知らされていなかった、と書かれています。キャラメルもコーヒーも、いつの間にか代用食になっている。そして大切な子供たちを、戦争の世の中に送りだしてしまうことのないように。今、ひしひしと母親の責任を感じます。

■私の祖母は戦後、農村のお母さんたちにもっと本を読む機会をと、「母親文庫」という活動をしていました。東京の出版社にかけあって募金や作家の講演会を企画したり、戦後を奔走したようです。当時、どこかの週刊誌が「戦後の母は強くなったものだ」とどこか意地悪な視線で、駅で作家を出迎える祖母達の姿を写したグラビア記事を掲載していました。祖母は生前その記事を私に見せながら「仕事は私の誇りだった」と言いました。彼女はもう、私の名前すら忘れていたけれど。本を読むこと、本当のことを知る大切さ。戦争を経験した当時のお母さんたちは、身にしみて感じていたのでしょうね。

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