音楽の根源にあるもの 小泉文夫著
最近読み返しました。
言葉に出来ない’何か’を埋めるのが音楽の役目だと思うと、
言葉でアカデミックに分析したり、批評されたりすることには、
どこか埋められない溝を感じてしまいがちです。
でも語る人の言葉に音楽がある場合、
そして本人が音楽の’何か’を肌で知っている場合には、
その言葉も感動とともに、自分に迫ってきます。
これは、日本を代表する民族音楽学者・小泉文夫氏の本。
西洋音楽に偏った明治維新後の
音楽教育への警告書であると同時に、
インドに音楽留学の経験もある著者が、
実際に世界各地を歩いて集めた民俗音楽やわらべ歌などから、
人間社会(音楽)の本質を語った本でもあります。
論文、エッセイ、対談集などが集められた、
どれも読みやすく、興味深い内容なので、
現在クラシックを勉強している方をはじめ、
音楽以外の分野の方にもおすすめします。
残念なことに小泉氏は56歳の若さで亡くなり、
書かれた内容が70年代中心なので、
現在の日本の音楽状況(リズム感や日本語と旋律の関係等)は、
当時の氏の想像を超えたところに進化を遂げている気がします。
が、それでもこの本の中には、
絶対正しいと思っていることを疑ってみること、
そして新しい視点を持つ大切さを教えてくれる、
考えるヒントがたくさんあります。
それはすでに音楽という分野すら超えてしまっている。
そういう私も70年代特有のピアノ教育を受け、
現在もピアノの新しい可能性を探っている中にあります。
この10年、邦楽、雅楽、インド、アフリカ、トゥバ、北米インディオ等、
いろいろな楽器の方と共演させて頂く機会がありましたが、
そこからわかったのは、
西洋文化の代表のような楽器=ピアノは、非西洋文化から見れば、
小回りや融通のきかない、
無駄に体の大きなヤツだったということでしょうか(笑)。
ピアノこそが楽器の基準で、
こちらに合わせてもらうのが当たり前だと、
そんなことを何の疑いもなく思っていた以前の自分を振り返ると、
ずいぶん考え方(演奏方法)も変わりました。
数年前に、世間でもてはやされた絶対音感も、
’西洋的’絶対音感と、言い直す必要があると思っています。
楽器が自と他(人や宇宙)をつなぐ道具だと思うと、
時には「こうでなくてはいけない」ということを外さないと、
つながれない世界もあるのだということを、
音楽が教えてくれるのでした。
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