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2010年5月27日 (木)

響きの考古学

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※今日はミュージシャン脳に振り切れてる戯言ですので、
ご興味ない方はスルーして下さい(^^;)


最初に読んだのが10年前なので、
増補されてませんでしたが・・・
この数年、世界の倍音と深く関わるようになって、
今またあらためて読み直してみると、
身にしみて解ることが多くて、
自分的には、なんともタイムリーな内容でした。

現代音楽とかアヴァンギャルドとか、
西洋左脳的なアプローチの20世紀音楽は、
当時からどうもピンと来ないのですが(子供だったし)、
「身体性の喪失」という問題に立ち返ったとき、
特にハリー・パーチが展開した「モノフォニー」をはじめ、
目よりも耳という感覚器官で感じ取る純正調の存在意義に、
あらためて目を向けてみたいと思いました。
パソコンやネットの普及で、
ますます視覚が聴覚よりも重視される今だからこそ、
モノコードに戻りたいというか。
耳をどんどん研ぎ澄ませていくと余計なものがそぎ落ちて、
シンプルになっていく。

耳の自発的欲求ではなく、
産業革命によって始まった楽器の大量生産と、
それゆえの必要悪とも言える、平均律。
絶対音感教育が、工業製品規格に合わせた耳を作ることが目的だとしたら、
産業革命以降の産業形態が崩れた今こそ、
人間本来の音感を取り戻すことに目をむけるべきじゃないだろうか、と。
人類誕生から考えれば、絶対音感が生まれたのは、つい最近なんだもの。

その工業製品の象徴としてのピアノだって、
大量生産品になる前は、そもそもモノコードが出発点で、
それは宇宙の調和をイメージしていたという事実。
’楽器の王様’として技術的に進化したはずのピアノが、
それ以前から人間の耳に馴染んでいた
民族楽器(宇宙)の世界と調和が得られないのだとしたら、
なんとも皮肉な話ではありませんか。
そこには明らかに’身体性の喪失’がある。
ハリー・パーチが真っ先にピアノを捨てたという話も、
悲しいけどうなずける。

じゃあ、絶対音感を持ち、
ピアノを弾く自分の身体とはいったい何なのかと。
そういうところを突き詰めていくと、
平均律ではない音と触れ合うこと、'耳の洗濯'以外にないんですよね。

そうして耳を洗った上で、微分もポルタメントも出来ない、
何でも出来そうでいて、恐ろしく自己中心的な、
この融通のきかない大きな楽器と、どう折り合いをつけていくか。
そこがテーマになってくるのでした。

今いちど、宇宙との調和を取り戻さないと。

というわけで、モノコードから。いってみよう。
インド音楽や倍音との出会いも、必然だったのだと確信できた一冊です。

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