スズメノナミダ
昨日はめずらしく4時間授業だというので、ヨガの勉強会をキャンセルして家で娘の帰りを待っていた。
ピンポンのチャイムとともに「ただいま!」の声が聞こえたので、玄関の扉を開けると、両手に一匹のスズメを抱えた娘が立っていた。
首に致命的な怪我をして、ほとんど死に掛けているスズメ。排水溝の枠にひっかかって、抜け出そうともがくうちに首を傷つけてしまったようだ。
見慣れた茶色の羽がフワフワと、娘の小さな手のひらに広がっている。
もう息も止まっているように見えるが、まだ温かいらしい。
情けないことに、予想外のことに動揺してしまった私。
何を隠そう、小鳥隊長の母ですが、鳥が怖い。
鳥だけじゃなくて、ネズミ、ハムスター、モルモット・・・・手のひらサイズの、温もりのある小さな生きものが怖い(虫とか爬虫類は平気)。
距離を置いて眺めるぶんには大丈夫だけど、
自分の皮膚を通して、その体温を感じたりすると、
彼らの小さすぎる命に、とてつもなく緊張してしまう。
心臓が自分でもびっくりするくらいバクバクして、
なんとも儚そうに見える、でも自分と同じ温かい命に「怖い」という感情が沸いてくる。
娘と話し合う。
野鳥の会では、たとえば道端に雛が落ちていても、
野鳥に手を出してはいけないことになっている。
ここからのスズメの運命を考える。自然とは、どういうことなのかも。
もちろん、そのまま排水溝にはまったまま見殺しには出来ない。
カラスやネコの餌食になるのも、ましてや人間にゴミとして処理されるのも。
だから、助けてやる。
でも、人間が出来るのはそこまでだ。
野生の命の行方は、自然に任せるしかないのだと思う。
娘、人目につかない庭の木の根元に葉っぱで寝床を作って、
スズメを横たえて習い事に出かけていった。
夕方、いつもより帰りが遅いので、たぶんスズメを観ているんだろうと思った。
しばらくして、チャイムが鳴る。
玄関の扉を開けると、涙目の娘が立っていた。
「もう死んじゃった。顔に蟻がたかってた。でも閉じた目が三日月みたいに笑ってた」
むき出しでは可愛そうなので、上に土を盛って来たと。
死は悲しい。
でも悪ではなく、自然なのだと最近思う。
考えてみれば死を悪と捉え、そこから必死で逃げようとしている生き物は人間だけだ。
スズメが落ちてしまうような排水溝を作ったのも人間。
スズメの怪我を治療して、水や餌を与えて、もしかしたら奇跡的に回復して、
そこから自然界に返してやる選択もあったかもしれない。
私が医療関係者だったら、そうしただろうか。
でもそうすることで、人はどんな命でも救えるという錯覚を起こさないだろうか。
それもまた人間の傲慢の始まりのような気がする。
医療の力で命を救ってもらった経験のある私が、
言える立場では無いのかもしれないけど。
救えない命があることは、娘はメダカで何度か経験した。
でも、メダカはその日まで、淡々と精一杯生きていたのも知っている。
今日の冷たい雨に、昨日のスズメを想う。
正解なんてわからないよ、とちょっと泣きそうになりながら。
でもあのスズメは間違いなく、土に返って、木の一部になっていく。
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コメント
>いちこさん
お久しぶりです。お元気でしたか?
この夏の猛暑が嘘のように涼しい一日ですね。
>子供の頃、拾った椋鳥の子を育てたけれどすぐ死んでしまい、葬った事があります。
今回の話をダンナを始め何人かにしたところ、揃って「自分にも覚えが・・」という答えが返ってきて、個人的に驚いているところです。みんな優しい子供だったんだなあ・・・と。私は子猫を拾ったことがありますが、ある時「もう放っておいて!」とばかりに手を引っかかれて、逃げられてしまいました。
いちこさんの椋鳥の子は、30年も覚えていてもらって幸せな命ですね。そう、忘れられた命が最も不幸だと何かで読んだことがあります。たとえ救えなかった命でも、決して忘れない。それがいちばん、その命と関わった「責任」かもしれませんね。
投稿: sasa | 2010年9月16日 (木) 15:13
子供の頃、拾った椋鳥の子を育てたけれどすぐ死んでしまい、葬った事があります。
今だにそこを通る時は心の中で冥福を祈ります。もう30年近く昔の事なのに。
それがどういう事なのか分からないけれど…。
小鳥隊長も、その雀と一緒に成長されるんでしょうね。
投稿: いちこ | 2010年9月16日 (木) 13:26