レイチェル・カーソンの感性の森/ 未来の食卓
いまのインターネット社会は、細胞分裂のように発展してきたものだから、
ひとつのものを二つに分ける(独立すること)はそれほど難しくないのだけど、
違うプロバイダとか、違う料金設定とか、違う契約者とか。
異質のものを、ひとつにするのが本当に面倒くさい。
現代社会を象徴しているなあ、と思う。
インターネットは、人と人がつながっているようで、実は個の集合体なのだ。
どうしようもないくらいに。
だからネット環境の統合が面倒で、同居しないカップルもいるんじゃないだろうかと思う。
愛はネットを越えない、こともきっとあるはず。
プロバイダーも、もっと色々な家族構成を想定した料金設定にして欲しい。
リアルな世界とギャップのあるネット環境は、
やはりより身軽なクラウドに(いや、携帯で充分)に、流れていくだろう。
そうじゃなくちゃ、かつてのテレビみたいに、リアルな生活がネットに支配される。
それだけは避けたい。
と、ご察しの通り、今日もネットのお引越し作業(^^;)。
煮詰まりそうだったので、合間に映画二本観ました。
先日ご紹介した「未来の食卓」と、「レイチェル・カーソンの感性の森」。
ところで今朝のニュースで、アメリカ・サブウェイのシェアがマックを抜いたとやってましたが。
アメリカのヘルシー志向って、そのレベルなのねと思いつつ、
それでも野菜を食べるほうが、ビーフ100%を口にするよりは体にマシだということは、
だんだんと浸透しているのかなと思いました。
そもそもグローバルな外食産業やファーストフードってどうなのよ?
という展開は、まだ一部のものみたいだけど。
特に「未来の食卓」観てると、怖くなりました。
農業大国フランスが、こんな汚染大国だったなんて知らなかったし、
正直、こどもに何を食べさせればいいのかわからなくなる。
せめて手作りのおやつをと思うけど、
買った金柑は、なんだか妙にきれいで甘くて、使われた農薬についても全く情報がない。
安いチョコレートは、光沢材のせいかテラテラしていて、明らかに先日のベルギーチョコと違う。
作った人の顔が見えない。
口に入れるものだというのに。
真剣に食と向き合うということは、自分や家族の命と向き合うことだけど、
予算だって限られているし、簡単に手に入るものには、どうしてもたどり着けない闇がある。
自分の庭で取った金柑を口に入れる時の100%の安心感。
あれはどうしたって手に入らない。
やっぱり自分で野菜作ろうかな。
ちょっと思案中。
レイチェル・カーソンについては、また今度。
女性がひとつの仕事をやりぬくことの難しさ。彼女も同じように体験してたんだなあ。。と共感。
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