神楽坂のような古い東京が残る街は7月がお盆なので、
今頃の夕暮れになると、町内のあちこちから「東京音頭」が聞こえていました。
花火の上がる音や、セミの鳴き声とともに、日本の夏を代表する音風景。
今年は震災の影響で、東日本各地の花火大会や盆踊り大会が中止になって、
いつもより静かな夏になりそうです。
すでに少子高齢化の進む郊外の住宅地では、
何年も前から、盆踊りが開催される場所もごく限られて、
子どもの頃のように「東京音頭」が風に乗って聞こえてくることは、すでにありません。
夏の音風景も、時代とともに大きく変わっています。
さて、この「東京音頭」。
子どもの頃はよく踊ったので、今でも1番なら歌えたりしますが、
そもそも誰が作曲して、どういう経緯で市民権を得ていったのか?
作曲者である中山晋平の仕事や、
「東京音頭」がたどった時間の流れを意識したことありますか?
「東京音頭」に限らず、すでに私たちの生活に根づいている古い大衆音楽や、
あの、どうにもココロ踊らなかった学校の音楽教育が、
どのような時間を経て今の時代にあるのか。
その流れをあらためて遡ってみると、
音楽が教えてくれる「歴史の一面」が見えてきます。
私たちの「今」は、過去の時間の積み重ねであるという、
当たり前だけど忘れがちなことに気づく大切さが、そこにはある。
前置きが長くなりましたが、
この「音楽はいかに現代社会をデザインしたか」(上田誠二著 新曜社刊)は、
実は音楽の本でも、デザインの本でもなくて、
どちらかといえば難しい(分厚いっていうか ^^;)歴史の本ですが、
音楽というフレームで日本の近現代史を切り取ったユニークな試みがあります。
歴史学者が語る’音楽教育史’には、
音楽の専門家ではないからこそ見えている問題点があって、
特に、音楽教育を勉強している人や教育現場にいる人には、
是非いちど読んでみて欲しいと思いました。
自分が受けてきた音楽教育、そして教育現場を客観的に振り返る意味でも。
内容としては、北原白秋や中山晋平といったおなじみの作家たちの仕事、
また、軍国主義にむかっていく社会で音楽教師たちが何を考え、どう行動したか、
戦時中の絶対音感教育とは何だったのか・・など。
今でも、どこかで当たり前のように受け継がれている(学校の)音楽教育の根源的な問題が、読み進むにつれて、時代とともに浮き彫りになっていきます。
さらに、学校教育からは目の敵にされた大衆音楽(「東京音頭」もそのひとつ)の力や、
今まで、ほとんど語られることのなかった戦時下盲学校での絶対音感訓練についても触れ、歴史学者である前に、ひとりの人間として、
大衆文化や社会的弱者を見つめている著者の優しい眼差しも感じます。
この10年近く、邦楽や世界の民族音楽を通じて「相対音感」を取り戻すと同時に沸いた、ピアノという’絶対的な権力’を前にして行われる能力主義的な教育は、
いったい、どういう人間を育ててしまうのかというギモン。
幼少期に戦前の国民学校さながらの絶対音感教育を受けたひとりとして、
そのときはゲーム感覚で楽しいと思えていた経験が、
大人になるにしたがってなんともいえない「違和感」に変わっていった時間の流れを、
この本が説く「歴史」から裏づけできたような気がしています。
上田(かみた)氏の分析によると、今の時代の空気は、
関東大震災から軍国主義へとむかった時代にとてもよく似ているといいます。
音楽教育に限らず、教育にたずさわる人は今こそ立ち止まって、
過去の歴史を振り返る時なのかもしれません。
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