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2012年10月30日 (火)

世界を、歩く。(前篇)

Bio4

 そもそもシェーファーが生み出した「サウンドスケープ」という言葉は、実にやっかいだ。「音の風景」と訳されることも多いが、このポエティックな言葉を「思想」と受け止めるか、騒音問題など現実の「音環境」「音の地図」と受け止めるかで微妙にニュアンスが違ってくる。それゆえシェーファー(サウンドスケープ)研究が、「音楽」はもちろん、「環境学」「社会学」「コミュニケーション学」「教育学」「都市学」などなど、多岐の分野に渡る要因でもある。逆に言えば、「サウンドスケープ」という魔法の言葉を使えば、音楽は実に様々な学問領域と手をつなぐことができる。だから自分がどこに向かっていくのか、しっかり見極めないと迷子になる可能性も大いにある。

 おまけにシェーファーは「世界の調律』の中で「Acoustic Ecology(音響生態学)」という言葉も生み出している。もはや音楽は、音楽の内側だけには留まっていられない。その昔、数学や天文学と同じ領域にあった頃のように、音楽の’外側’(と思われている)世界と、耳(音)を通してつながる方法を思い出してしまったのだから。

 シェーファーとともにWSP(World Soundscape Project)で活動したカナダの女性作曲家ヒルデガート・ウェスターカンプは
40年にわたってサウンドウォークを続けている。
彼女の言葉を借りれば、「音響環境と人間との関係を把握」することで、
私たちの「エコロジカルな感性」は養われる。
「エコロジカル」という言葉も、これまた受け取る人によって様々な印象があるけれど、ここでは「自然と調和する感性」と捉えるべきだろう。

 結局、サウンドスケープは「世界を五感でとらえる」こと、
その感性そのものなのだと思う。
誰もがうるさいと感じる「騒音」はあることはあるけれど、
これが「正解」という調律方法がないのが「世界」なのだとも思う。
ある人にとっての「騒音」を素材とした音楽もあるし、
最近はBeatBoxのように人間が「声」のみで機械音を模倣する音楽もある。
音のカオスから自分だけの音楽を発見し、掬い上げる「耳」が必要な時代だ。

だからこそ、「沈黙」が尊い。
そこから聞こえてくるのは、体内の、地球の、宇宙の音楽だから。

と、前置きがすごく長くなってしまったのだけど、
今回はサウンドスケープではなくて、バイオリージョン(地域生態)のお話。
先週の土曜日に、和光大学市民講座「4つのエコロジー」にお邪魔して、
身体環境共生学科の堂前雅史先生が率いる「フィールドワーク」に参加した。
簡単に言えば、「人間様」の作り上げた都市や行政区域を「生きもの目線」で歩き、
自分の住む地域(世界)を新たな視点でとらえ直すという試み。
それは岸由二先生の「流域思考」につながっていく。

しかし今回は自然の中ではなくて、あえて都市の中を。
それはまさに、音のカオスから音楽を掬い上げる作業と同じ。
エコロジカルな感性、五感を養う体験なのだった。

(とここまで書いて、長くなりそうなので詳細は後編につづく)。

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