世界を、歩く。(後編)
たとえば写真は、毎日のように通っている駅前の坂道。
ここが「分水嶺」だと先生から説明があるまで、まったく知らなかった。
そこにある’自然’に思いを巡らせたことが、子どもの頃から一度も無かったと言うべきか。
目の前の扉が開くように、いつもの風景の中に「新しい世界」が見えた瞬間だ。
道路の右側と左側で、「流域」が違う。
この道(分水界)を隔てて、遺伝子が大きく違ってくる生き物もあるのだという。
都市が、ほんの数センチのアスファルトに覆われてしまってから、川に蓋がされてしまってから、私たちはその「地形」や「生態系」を意識しなくなった。
けれども、隠されたといっても、それは消えてしまったわけではない。「想像する」ことで、いつでも目の前には、実際にある都市風景とは全く違った生きものたちの世界、自然が見えてくる。その感覚は、とても面白い。
都市の喧噪の中に小鳥のさえずりを発見した時のように、
耳を開いて、周囲のサウンドスケープがくっきりと聞こえてきた時とまさに同じ感覚なのだ。
駅前のデッキから坂道を眺めた時、サウンドスケープを理解するためには、
やはり「エコロジカルな感性」が必要なのだと思った。
ホールやスタジオに閉じこもって、ひたすら音を出す作業は、
もはや内側だけの音楽でしかない。
演奏者の技術や精神性の高みを目指す鍛錬には欠かせないが、
そこから先の「外側の世界」とつながるためには、
意識的に五感を開いて、世界を歩く経験が欠かせない。
それは「野外で音楽を奏でる」ということとも違う。
自然(宇宙)と調和する感性をもって、世界をとらえ直し、
音楽と向き合うということだ。
今回引率をしてくださった堂前先生は、科学者でありながら、
文系の学部に籍を置かれていることが興味深い。
学生時代に、あの「夢の遊眠社」にいらっしゃったという経歴も見逃せない。
実際にフィールドワーク中も、マンホールの音だったり、小鳥のさえずりだったり、
耳を使い、五感で都市をとらえながら歩いていく。
その時間はすでに、科学や音楽を超えた、
新しい学際領域の体験でもあった。
原発事故のあと、多くの科学者たちが「想定外」という「発想の限界」を口にしたのは、実は学校の芸術(音楽)教育にも責任があって、
そこにこそ未来への解決の糸口があるのだと、事故後ずっと考えている。
先日の学会でも、そういう発表をさせて頂いた。
センスが、開く瞬間。
日々を暮らす殺風景な都市の風景に、まったく新しい世界が見えてくる。
私は独りではなく、生きものと、自然と、確かにつながっていると実感する瞬間。
そこにこそ未来の希望がある。
「沈黙の春」で未来に警鐘を鳴らし、
芸術の根幹でもある「センス・オブ・ワンダー」の必要性を唱えたのは、
他でもない科学者のレーチェル・カーソンであったことも忘れてはならない。
シェーファーが、その教育内容から保守的な大学の音楽学科を追われ、
コミュニケーション学科で教鞭を取ったのは、もう40年も前のお話だ。
(写真左)都市の雨はマンホールの中に集まる。
この蓋に耳を澄ませば、いつでも水の流れる音が聞こえる。
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