白いご飯とお味噌汁
毎年、この時期は清瀬にある信愛病院で「Mother Songs」コンサートをさせて頂く。
ホスピス病棟と一般病棟の二回。
いつも暖かく迎えてくださる、
スタッフやボランティアの皆様との年に一度の交流が、
いつの間にか積み重なって、今年で5年めを迎えた。
ホスピスのお客様は、一期一会。
一般病棟は、5年間同じ席で(というか車いすだけど)、最後に必ず「また来てね!」と声をかけて下さる方もいる。
今年も演奏の後に、「今度はいつ来るの?」と聞かれた。
「また来年の今頃だと思います」と私。
いつもだったら「待ってるね!」と元気に返ってくるところが、
今年は「私が元気なら・・会えるかなあ・・」と言われたので、
「またお会いしましょう!」と笑顔で別れを告げた。
最初の頃は、すぐそこにある「死」を前に演奏することに、
とても身構えていた自分がいたと思う。
もしかしたらその方の人生最後の「音楽体験」で、
下手な演奏をしたら、罰があたってしまうと思っていたし、
なるべく「完璧に」、失礼のないように演奏することが、
最大の誠意だと思っていた。
そんな気負いが年を重ねるごとに薄れ、
今年は忙しくて、MCの内容も特に決めずにステージに上がった。
でもひとつだけ、自分の中で確信していたことがあった。
「人生最後に何を食べたい?」と聞かれたら、
「白いご飯とお味噌汁」と答える人が多いという話をちょっと思い出したのだ。
音楽だって、そうなんじゃないかと。
気負いのない、当たり前にあった「日常」の音楽を、
その日の生活の中で何気なく耳にしながら、
そこに付随する「記憶」に思いを馳せるくらいでいいのではないだろうかと。
人生最後の日々に「非日常」なんていらない。
私なら、そう思う。
だったら、演奏家との出会いも「非日常」ではなく、「日常」でいいのかなと。
なんとなく遊びに来た演奏家が、ピアノがあったからついでに弾いて帰りますという、
そういう気負わないスタンスがいいのではないだろうかと。
それが今年のテーマで、
(実はけっこう勇気が必要だったのだけど)、
そういうスタンスでピアノを弾かせて頂いた。
「死」は特別なものではなくて、「日常」の延長だ。
ちょっと懐かしい歌に出会って、軽く口ずさんで、
子供の頃のことを少しだけ思い出して、それで昨日の続きのように、人生が幕を閉じる。
ホールの中の、「非日常」の音楽を演奏することに慣れすぎていると、
そういう当たり前の時間感覚が、演奏家の方に薄れてきて、
人生最後の音楽までが「フレンチ・フルコース」みたいになってしまう。
「病院」や「ホスピス」だって、今はその人にとっての「日常」だとしても、
本来は、長い人生の中では、「非日常」の時間のはずだ。
だから「非日常」と「日常」をつなげる。
そういう、「白いご飯とお味噌汁」みたいな「音楽」があってもいいはずだろうと。
5年目にして、自分があそこで演奏する役割が少しわかった気がした。
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