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2015年2月の4件の投稿

2015年2月24日 (火)

大丈夫?赤ちゃんの耳

Hana_letter(このページを訪ねて下さったママたちへ)
この記事は初回の2015年から社会的な変化を踏まえながら時々加筆・訂正をしています。

【最新版】2017年7月29日

私は耳鼻科のお医者さんではありませんが、今から40年前に「耳を傷つけてはだめ」と説いたカナダの作曲家/M.シェーファーの教えを知っていただきたくて、サウンド・エデュケーションのワークショップに入る前に、特に小さなお子様を持つママパパ、そして子供たちに「耳の大切さ」についてお話させていただいてます。

以前こちらでもご紹介した「蝸牛」の絵や本物の貝殻を見てもらいながら、耳の中にも小さな貝(自然)があるんだよ、
耳はとっても我慢づよくて普段は何も言わないけれど、
あんまり大きな音をイヤフォンなんかでずっと聞いていると、
ある日突然「もう疲れた・・」って、
音をきくのをやめてしまうこともあるんだよ、とか。。

そうやって言葉で説明できる世代はまだいいのです。
今すごく気になっているのが「赤ちゃんの耳」。

最近は、野外フェスやコンサートなど、いわゆる「大人の場所」にも子連れの方が増えてきました。親子で音楽を楽しむ様子は決して悪いことではありません。
ただ、重低音がきつめのBGMがガンガンに流れているようなファッションビルやゲームセンター、大人の耳でも疲れてしまうような「スパイシーな音」が溢れた街中でベビーカーを見かけるたびに、「赤ちゃんの耳、大丈夫かな。。」と心配になります。

赤ちゃんは自分が興味のある音しか聴いていないし、
うるさい音でも好きならばストレスにならない、
といった内容の記事をご覧になったことはないでしょうか?
これは「都合耳」という考え方です。
そしてこのお話は、「耳」ではなくて赤ちゃんの「脳」や「心」の問題。
鼓膜や内耳といった「機能」のお話ではないのです。
これを誤解すると大変。
しかも医療や心理学の専門分野でも、まだまだこれからの研究です。
ストレスフルな音が赤ちゃんにどんな影響を与えるのかは、わかっていないことが沢山ある。だからこそ「赤ちゃんの耳」を守ってあげるのは大人の役割なんですね。

耳には「蓋」がついていません。
見たくないものは「目を閉じる」ことができる「目」とは、ここが大きく違います。
大人の耳でもロックコンサートの後で耳が「キーン」として、
なかなか元に戻らない経験をした方は沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
スタジアム級のコンサートをするメジャー・アーティストの耳が、
実は片方難聴になっているというお話も珍しくありません。
スタジアムのような大きな空間では自分の出した音がよく聞こえないので、
片耳にイヤフォンを入れてモニターを聴きながら歌ったり演奏をします。
しかもアーティストは、普段からスタジオでヘッドフォンをしたり、レコーディング等で大きな音を耳に入れすぎている。音楽家の難聴は「職業病」だと思います。

ところが赤ちゃんは、もし自分の耳が傷ついていても、
それを言葉で伝えることができません。
ママやパパが赤ちゃんの耳を傷つけてしまっていても、
それに気づくことはもっと難しいかもしれません。

音は空気の振動です。
その「揺れた空気」が耳の穴から入って「鼓膜」を揺らすと、
その振動がさらに奥にある中耳から内耳を伝わって脳に「音の情報」として伝達されます。
これが医学的な「きく」という仕組み。

ひとことで「難聴」といっても先天的、後天的、もちろん原因は様々ですが、
明らかに後天的に「音」が耳を傷つけてしまった場合、
この最初に音を受け止める「鼓膜」が何かしらのダメージを負います。
イメージとしては、大きな音がものすごい勢いで鼓膜を強く押したり揺らしたりすると、
(しかもそれをずっと続けていると)、
鼓膜も音に負けないように厚くなったり固くなったりして、
だんだん揺れなくなってしまう(音を伝えづらくしてしまう)という感じでしょうか。
もっと怖いイメージは、思いきり叩いた太鼓の皮は破けてしまう。
そういうことです。
耳をたたくことも、大きな音を聞くことも、物理的な原理は同じです。
大きな音は「聴覚」というよりも「触覚」に近くなります。

だから耳の中にイヤフォンを入れて音を聞くのは、
本来ならば耳の穴から入るはずの揺れた空気ではなく、
耳の中でダイレクトに鼓膜に当たっている状態。
特に未熟な子どもの耳がどれだけ疲れるか、想像つくでしょうか?

赤ちゃんに激辛スパイスの食べ物を与えないのは当たり前、アルコールやポルノには年齢規制があるのも当たり前。
でも、音には何もありません。不思議ですね。

耳は何も言ってくれません。
だから「持ち主」がひとりひとり想像力を働かせて守るしかない。
赤ちゃんの耳の責任は、周囲の大人たちにあると考えることが大切です。
最近は子供用の耳栓や、ノイズキャンセリング機能があるイヤーマフもあるそうです。
出来ればそういうものが必要な場所には、
子供の耳が出来上がるまでは連れて行かないのが理想だと思います。
けれども、どうしても・・ということであれば、どうぞ「赤ちゃんの耳」を大切に。

〇最近になって、ようやくこの種の研究が進んできたようです(2017.7.26 毎日新聞医療プレミア編集部)
「赤ちゃん学へようこそ」 保育室が危ない!? 響きすぎる音の悪影響

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2015年2月19日 (木)

森の中をあるく

気持ちよく晴れた日に、10名ほどで「音のワークショップ」をさせて頂きました。人それぞれ違う「時間の感覚」を共有したり、森の中を歩いたり(サウンドウォーク)、音具で遊んだり(サウンド・エデュケーション)。普段あまり意識しない「きくこと」を再認識しながら、耳をひらくことで気づく日常の音風景(サウンドスケープ)を皆さんといっしょに楽しみました。
40年前にM.シェーファーが提唱した思想には世界を耳(音)から捉え直し、自分の内側と外の世界をつなぐ目的もあります。ヨガや禅の思想とも通じる静かで深い時間を手に入れるひととき。音を出す前にまず、音に耳をひらくこと。想像力を使って自分の想定の外に出てみること。自分と世界の調和、「つながり方」の基本に気づく、音楽教育を「外にひらく」試みでもあるのでした。
森の中を、ただ黙って一緒に歩く。その時間の尊さを私自身もあらためて感じたひとときでした。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。

詳細はこちらからもご覧いただけます→

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2015年2月18日 (水)

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト サイト更新しました。

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト サイト更新しました。

【TOPIC】
2月14日(土) 町田市ひなた村にてサウンド・エデュケーション
2月15日(日) 第2回ユニコムプラザさがみはら「まちづくりフェスタ」参加

子ども向けワークショップ 「空耳図書館のはるやすみ」の予告

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2015年2月 8日 (日)

映画『パーソナルソング』

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトサイトより転載しました)

今日は「立春」です。太陰太陽歴の24節気は季節の変わり目という宇宙のリズムを知る暦。同時に、人間の体内にも宇宙と同じリズムが刻まれ「内なる音楽」が流れていることに気づくきっかけも与えてくれます。

そこで『パーソナルソング』という興味深いタイトルの映画のご紹介です。初めにお断りとして、チラシのキャッチコピー「音楽がアルツハイマー病を劇的に改善させた!」は、残念ながらこの映画の’本質’を伝えていないかもと感じました。なぜなら、おそらくこの映画に興味を持った多くの人が期待するような「音楽で認知症が治った!」的な’健康映画’ではなかったからです。むしろ原題にある「ALIVE INSIDE」を「人と音楽」のつながりから見つめ、高齢者福祉や医療制度など生命に関わるさまざまな問題を提起した社会派ドキュメンタリーなのです。それでもやはり音楽が脳に与える影響ははかりしれず、同時に音楽の背景にある「文化の違い」を見せつけられる映画であることは確かでした。20世紀半ばのアメリカは自分だけの「エバーグリーン(不朽の名曲)」が数多く存在する「パーソナルソング王国」だったことがわかります。若い頃の文化体験がいかにその人の「内側」に影響するか、「歌」やそれに付随する幸福な記憶の有無は、これからのアメリカに限らず高齢者の生活を大きく変えるかもしれません。
この映画の中では、ヘッドフォンによって個々の好みの音楽を聴かせることを「音楽療法」と呼んでいました。脳にダイレクトに刺激を与え効果を得ようとするのは西洋医学らしい発想だなとも思いました。しかし「心」はもっと複雑ではないでしょうか。もしかしたら患者たちが見せる感動的な瞬間は、自分にヘッドフォン(音楽)を手渡してくれた人(外 OUTSIDE)の存在に気づき、孤独に苛まれていた心(INSIDE)が救われた瞬間なのかもしれないとも思うからです。それほど「老い」を嫌うアメリカの高齢者施設には孤独の空気が漂っていました。もし仮に音楽が認知症患者(の脳)に「効く」と医療で認定され全国の高齢者施設にヘッドフォンが薬のように配布されても、あの孤独が癒されない限り映画のような感動的な「効果」は得られないかもしれません。作品の最後に涙を流して「Thank you」とつぶやいた男性の感謝の気持ちは、やはり音楽の力そのものよりも、自分にヘッドフォン(思い出の歌を聴く機会)を与えてくれた「人」に対しての感謝の言葉ではないかと感じました。音楽は自分の内の世界(INSIDE)と外の世界(OUTSIDE)をつなぐ関係性なのです。ただしこれは筆者の個人的な見解です。音楽がただ音楽として、何の思い出も付随せず「鳴り響く空気」として存在しても、もしかしたら同じような結果が生まれるのかもしれません。むしろ音楽以前の「オト」であっても認知症に対して同じような’効果’があるのかもしれません。このコネクト通信でも高齢者施設の音楽療法ボランティア「歌う♪寄り添い隊」の活動をご紹介しましたが、あの活動の現場でも映画と同じような光景は見られました。しかし同時に「音楽を奏でる人、歌う人、寄り添う人」という和やかで幸福な場の雰囲気や関係性も見過ごすことは出来ませんでした。筆者がここ数年コンサートをさせて頂いてるホスピス病院でも、世代的な「流行歌」や「思い出の歌」には無表情だった認知症の方に同様の反応が見られることがあります。しかしCDで同じ音楽を流しても同じ反応は生まれるのでしょうか。CDデッキのボタンを押す人と患者との関係性も重要な要素ではないでしょうか。まるでサプリメントのように、ただ音楽のみの効果が検証されるのは芸術を「道具」に貶める危険性も含んでいます。

驚くことに世界は、あと数十年もすれば多くの国が高齢化するそうです。まったく戦争なんてしている場合じゃない。日本は世界一の「高齢化先進国」なのですから、本当の地球の未来のために他にやるべきことは山ほどあるはずです。今回のようなヘッドフォン療法だけでなく、生演奏やスピーカーからの「鳴り響く空気」を全身で受けとめる音楽、他者と音楽を共有し共感する場や時間の意義、オンガク以前のオト(自然音や環境音)そのものの力など、内側の生命と音楽の不思議な関係性について、個人的にもあれこれ思いを馳せる時間となりました。宮澤賢治が『セロ弾きのゴーシュ』で描いた「野ねずみのこども」の病気を治すシーンも思い出されますし、はたしてセロを弾いたのがゴーシュでなくても病気が治ったかはやはり未知数です。

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