弁天様
今年もこの記事を掲載いたします。
これからも毎年、夏が来たらこの記事を
少しづつ加筆・訂正しながら、自分のために掲載したいと思います。
下地にしているのは、
2012年1月に弘前大学今田匡彦研究室で書いた「蓮の音論争」についての論考です。
こちらも 併せてお読み頂けたら幸いです。
(2015年7月1日)
以下、2012年8月(ササマユウコ記)
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1年半ぶりに蓮の花が咲く上野・不忍池、弁天堂に出かけた。
今から80年前、日本が戦争に向かっていた昭和10年の夏の朝、この弁天堂の前で「蓮の開花音」が聞こえるか否かの実験が行われた。そこには「観蓮会」のメンバー牧野富太郎氏や大賀博士を中心とする約50人が集まったが、史料を紐解くと、時代性を差し引いても何とも簡単な実験であった。そしてここでの「実験結果」が発端となり、「有音派」と「無音派」の学者たちが、朝日新聞紙上で「蓮の音論争」を繰り広げたのだ。ちなみに当時の記事の見出しは「結局’無聲版’ パーンともすんとも聴こえぬ」と、どこか「蓮の音をきく」行為そのものを揶揄した論調であった。
昭和10年は226事件が起き、社会が「軍国主義」の空気に包まれていった時代。
蓮の音をきくような「風流」は「陰気」と嫌われた。
「論争」と言ってもそれぞれの主張が記事として紹介されただけで、
翌年、再度簡素な実験が行われ無音派による「科学の勝利」が一方的に宣言されて、
半ば強制的にこの論争には終止符が打たれることとなった。
戦争の足音が、いとも簡単に蓮の花の音を消していく時代の空気は恐ろしい。
蓮の音論争の記事の隣には、
戦前の空気を憂いて一家心中を図った医者の記事が大きく取り上げられ、
すでに論争記事そのものが紙面上での「居心地の悪さ」を感じる。
そして、この国は戦争に突入していった。
戦時中の不忍池は「食糧難」で埋め立てられ、田んぼになっていた。
皮肉にも、田んぼにするための実験結果になってしまった感もある。
ここが再び池になったのは、戦後の復興が進んだ昭和30年代のことだ。
しかし不思議に思うのは、今日も相変わらず、
「蓮の音はしない」と思うことが「科学」だと信じられていることである。
自然にも科学にも「想定外」が存在するということを、
今の私たちは痛いほど知っているというのに。
世界が静寂に包まれ、まだ空気も水も土も汚されず、
花には原始の生命力が宿り、
人が全身を耳にして自然と交感していた太古の時代。
その時代の音の記憶が、たとえ小さな欠片であっても、
人間の耳のどこかに残されていることを信じてみたい。
「蓮の音はしない」のではなく「きこえない」のかもしれない。
もしくは「今は音が出なくなってしまった」のかもしれない。
ちなみに第二次大戦前までは、
科学者も含め、この国の多くの人が「蓮の花の音をきいた」と証言している。
季節の風物詩として、きいたきかないに関わらず、
社会は当たり前に「蓮の音」を受け入れていた。
しかし科学や戦争の名のもとに、
この音が簡単に「無かったこと」にされてしまう歴史があった。
産業革命以降の環境破壊は近代日本も例外ではなく、
蓮をとりまく自然環境は悪化し土壌も汚染された。
(戦前の不忍池周辺も例外ではない)。
加えて、市電の整備やラジオの普及に伴い、街から「静寂」も消えていった。
その音環境は、実験の朝も同様であった。
実験に立ち会った記者は、池の周囲を走る市電の音や消防車の訓練音、
ラジオ体操の音等を耳にしており、
こんなに騒々しい環境で蓮の音がきけるのだろうか、という疑問も投げかけている。
おまけに翌年の実験の朝には「雨」も降っていた。
今も弁天堂に来るとわかるが、
隣接する動物園も鳥の鳴き声等が意外と騒々しいものである。
そしてもちろん、当時も動物園は存在した。
実験当日のサウンドスケープを想像する力を持ちたい。
「蓮の音をきこうとする耳」を、
現代の私たちは無くしてしまったのだろうか。
耳の記憶をしまいこんだまま忘れてしまった、
あるいは戦争によって、無意識に忘れる努力をしただけかもしれない。
論争中は中立派だった大賀博士は敗戦後、
「迷信(幽玄)を信じる日本人」を戒めるように、
かたくななほどに「無音説」を主張されている。
クリスチャンでもあった博士の心情には、
「大戦での勝利を盲信した日本人(自分)への反省」があったからこその発言だったと思うが、「権威ある科学者」の影響力は思いのほか大きかった。
ご自宅で60鉢の蓮を栽培検証し、古代ハスも蘇らせた氏こそ、
本当は誰よりも開花音の存在を望んでいたに違いないのだ。
ただし鉢植えの蓮に、音を出す生命力までが宿ったかは謎である。
ひとことで「蓮」と言っても、実は二千種類も存在するという。
もしかしたら今も世界のどこかで音を出す蓮が、
一種類でも存在しているかもしれない。
それを検証した人は誰もいない。
「蓮の音がする」ということは「科学的」に間違いなのだと、
どうして言い切れるだろうか。
なぜ「万が一」の可能性にまったく目を向けようとしないのだろうか。
科学はそんなに正しいのだろうか。
自然には、私たちの想像力を遥かに越えた力がある。
3.11を経験した今の私たちは、
それを痛いほど知っている。
耳の想像力を、もっともっと自由に広げてみたい。
世界に耳をひらくことから気づくサウンドスケープは、
私たちに多くのことを教えてくれる。
今年は戦後70年。昭和90年である。
(写真:上野不忍の池で筆者撮影)
※この弁天堂周辺は、2011年の原発事故ホットスポットでした。
戦前、蓮の花の音を測定した場所で、皮肉にも放射線量が測定された。
その事実からも決して目を背けるわけにはいきませんし、
蓮の浄化力も信じたいと思います。
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