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2015年9月 1日 (火)

『音楽嗜好症 ミュージコフィリア~脳神経科医と音楽に憑かれた人々』オリヴァー・サックス

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オリヴァー・サックス氏が亡くなりました。この夏、ずっと気になっていた『音楽嗜好症~脳神経科医と音楽に憑かれた人々』を読んだところでした。並行して鷲田清一著『「聴く」ことの力~臨床哲学試論』も読んでいました。

この本には、哲学の対極とも言える医学的/アクチュアルな視点での「音楽とは何か」が書かれています。受けとめられ方によっては音楽がプラグマティックになりすぎて、認知症や自閉症の「特効薬」として扱われてしまうのではないかという懸念もありました。実質的な「目的」が存在した途端、世界からは「鳴り響く森羅万象」としての「音楽」の存在理由が見つけられなくなってしまう気がしたからです。しかし、この書が本当に訴えたかったのは「人間にとって音楽がいかに大切な存在か」、もっと言えばサックス氏が「いかに音楽(西洋クラシック)を愛しているか」ということではなかったかと思います。
もちろん「脳」というものの不思議にも触れることが出来ます。例えばもし私が重度認知症になっても、とりあえずピアノの前に座らせてくれれば何かしら弾けるらしい、という未来の「希望の光」も見えた気がしました。そして私の場合はたぶん自作曲や嫌々弾いたショパンは忘れてしまい、バッハかドビュッシー、童謡あたりを弾くのだろうということも想像がつきます。なぜなら音楽脳と認知症ではダメージを受ける脳が微妙に違うので、「奇跡」が起きる可能性があるのです。子どもの頃に「脳に染み込ませたまま抑圧した音楽」が、認知症になったことで「解放される」可能性も高いようです。「クラシックばかり聞いていた母親が認知症になった途端に演歌しか聴こうとしないので驚いた」と話してくれた方がいましたが、例えばそういうことです。高齢者が本当に楽しそうに、一人で(大きな声)で童謡を歌い続けている光景などは、認知症の施設では珍しくありません。

どちらにしても、人と音楽の「切っても切れない関係性」を、先天性/後天性の脳障害や認知症の事例から紹介した興味深い著書です。徹底的に西洋音楽(クラシック)中心の視点ではありますが、‘人間物語’として読みやすい。冬にご紹介した映画『パーソナル・ソング』同様、認知症と音楽の関係についての記述が多いので、特に高齢化社会の日本では‘実用書’として受け入れられたようで早々に文庫化されました。認知症を治療する側にとっては「音楽の使い方」の指南書ともなるかもしれません。しかし元気な人が「認知症を予防するために音楽を聴く」という’目的ありき’の音楽との関係性は、本末転倒のような気もしますが。

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