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2015年11月の4件の投稿

2015年11月30日 (月)

発足1周年記念イベント「‘歩く’芸術活動のススメ。」

11月21日には町田マルイ6階にある素敵なブックカフェsolid&liquid MACHIDAにて路上観察学会分科会の発足1周Photo_2年記念イベント「‘歩く’芸術活動のススメ。」を開催しました。
プログラムの構成は、一年をふり返りながら、メンバーそれぞれの活動報告に加え、バブルと震災、まちづくり、団地、劇場のソト、1986年に登場した本家「路上観察学会」と訳本が出版された『世界の調律~ サウンドスケープとは何か』の時代性、またサウンド・ウォーク(耳)と路上観察(目玉)の「歩き方」の共通性など、盛り沢山で迫ってみました。
 コアメンバー(写真左から・・青年団所属:鈴木健介(舞台美術家)、松田弘子(俳優)、山内健司(俳優)、コネクト代表:ササマユウコ)それぞれの世界観が越境したり調和したりしながら、何より「まちあるき」を再発見しながら、思いがけず多くの皆さんに来て頂けて、会場と共に楽しいひと時となりました。
 自分の専門を持つ大人がテリトリーを越えて「コネクトする」ことは、キャリアや年齢を重ねるほどにエネルギーが必要になりますが、そこには新しい価値観や、何より「想定外の自分」を発見する面白さがあります。例えばコトバに懐疑的な音楽人の筆者が、音楽を使用しない平田オリザ氏の現代口語演劇を追求する「青年団」の皆さんとつながったことは想定外でしたし、この1年は「留学」とも言えるほどのインパクトや学びがありました。
そして何よりメンバーの個性溢れる「目玉」や「耳」を知り世界がひろがった。逆に言えばそれは、自分の中心を再確認する作業でもあったと言えます。今の時代の空気の中で、いい大人たちがあえて「まちを遊んでみる」ことの楽しさと同時に、覚悟のようなものも感じるのでした。

吉田謙吉氏の貴重な資料を提供して頂いた塩澤珠枝さん、司会のBOWL富士見店長 松島輝枝さん、丸の内リーディングスタイル、お店のみなさん、ありがとうございました。記録写真は橋本知久さんから提供いただいた一枚のみです(謝)。
イベント終了後も路上観察を怠らずに家路につくメンバーでありました。

※この活動は今後も歩きながらつくり考え、様々にかたちを変えながら続く予定です。

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2015年11月12日 (木)

‘歩く’芸術活動のススメ。~路上観察学会分科会 発足一年イベント開催します。

Photo_2この一年、偶然と直感でつながったメンバーたちと路上観察をしていた。月に一度集まっては、都内各所を地道に歩いてみた。
もともとサウンドスケープ思想を学ぶ「サウンド・エデュケーション」には「サウンド・ウォーク(きき歩き)」というメソッドがある。周辺に耳をひらいて一緒に歩く行為が「他者の耳(世界)」を知るための有効な手段であることは、シェーファーの仲間だったヒルデガード・ウェスターカンプが40年に渡る「サウンドスケープ・リスニング」として実証し(「音楽教育実践ジャーナル』vol.9no.1 日本音楽教育学会発行)、弘前大研究室でも実践されている。

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赤瀬川原平氏を中心とした本家の路上観察学会では、よく「目玉」というコトバが使われる。赤瀬川氏が亡くなったあとも、すでにみんな彼の「目玉」を持っていて、それを感じながら一緒に歩いている気分になるというメンバーの追悼記事を読んだ時、なんだか訳もわからず胸が熱くなった。人と人がつながることの本質がそこにあるように思えた。「目玉」でも「耳」でも、その人の「世界」を知っている、分かち合っているということが本当に「つながる」ということなのだ。
この1年、月1回のペースで私が一緒に歩いた「仲間」は、リーダーの鈴木健介(舞台美術)を始め、平田オリザ氏が主宰する劇団青年団の皆さんだ。しかもほぼ同世代の看板役者(山内健司、松田弘子)、つまり「コトバ」のスペシャリストと言える「演劇界」に身を置いている人たちだ。これは私にとってちょっとした「越境」、留学のような体験だった。特に青年団といえば「現代口語演劇」、自然な話し言葉を使う「静かな演劇」で有名だ。最近は平田オリザ氏の発言が社会的な影響も持つようになり(先日の学会でも「大先生」であった)、それは劇団員の静かな誇りともなっていることだろう。しかも青年団は「音楽を使わない演劇」を得意とする。それは舞台上で「リアル」を追究すればごく自然な選択だし(日常にはBGMはつかないので)、どの劇団よりも「言葉の力」を信じている人たちとも言える。つまりは「音楽」からは最も遠い場所にある表現を目指す人たちなのだ(と思っていたが、、その後日談はぜひ当日会場で)。
実は青年団は自分と同世代の劇団で、学生時代からその存在は耳にしていた。しかし当時は野田秀樹が率いる「夢の遊眠社」や鴻上尚史の「第三舞台」、第三エロチカに山の手事情社など、下北沢の演劇シーンは派手な音楽やアクション、コトバ遊びを得意とする「第三世代」と言われた新しい演劇旋風が巻き起こっていた。通学途中に下北沢駅があったせいで、私も途中下車が習慣となるくらいすっかりその熱に呑まれていた。
どこか地味な印象のあった青年団の作品に実際に出会ったのは、第三世代の嵐が去った10年近く後の世紀末。開館二年目の世田谷・シアタートラムだった。ちょうど「ソウル市民」の現場スタッフに入った私は、彼らのウォームアップ時のユニークな「発声練習」がすっかり気に入って、会場内で執拗に観察していた記憶がある(これを音楽にして舞台に上げたら面白いかもと不謹慎なことも考えながら)。しかし初めてみた青年団の「ソウル市民」は噂通り静かで淡々と、非常に印象に残る質の高いコトバの演劇だった。細かい内容は忘れてしまったが「面白い」と思ったことは覚えている。そしてその時の主役が、今回出演のお二人(山内さん、松田さん)だったということを知ったのは、それから17年後のつい先日のことである。それくらい青年団の俳優は匿名性を要求されるし、ある意味で「職人集団」だ。それに加えて路上観察もまた「哲学カフェ」のように正体を明かさない匿名性が、ある種の居心地の良い関係性を作り出していた。だから一年近く、私は「(社会的な)誰と」歩いているのか実はよくわかっていなかった。しかし1年経った今、彼らの「目玉」は知っている。

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というような理屈っぽい話が出るかは未知数ですが、イベント当日のササマユウコは「観察者を観察する人」として出演します。
別に暇なわけでもなく、どちらかと言えば忙しい大人たちがなぜここまでして集い歩くのか。「あえての町田」で「こんな世の中だからこそ真剣に遊ぶ」ことの意味を一緒に探ってみませんか?。事前予約が必要ですが、どなたでも参加可能です。まずはお気軽にふらりと足を向けてみてください。第二部は「ま、とりあえず一緒に歩こう。で、どこ行く?」と題した会場を交えた公開座談会です。一線の舞台に関わる皆さんから最近の「歩く芸術」の動向についてもお話を伺います。
書を捨てよ、町に出よ。譜を捨てよ、即興せよ。歩け、歩け。町田は都心から心の距離が遠いですが、下北沢駅から快速で2駅(約20分)ということは意外でしょうか。

〇11月21日(土) 19時~21時 会場 solid&liquid MACHIDA (町田駅マルイ6階)
イベント詳細はこちらからご覧ください。

〇事前予約 メールにてお願いいたします。 kitada@readingstyle.co.jp

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ササマユウコのプロフィールを上書きしました。

東日本大震災、原発事故からすでに4年と8カ月が経つ。普段は色々と忘れっぽいのだが、2011年3月の「あの日」から一連の「出来事」については、今でもつい昨日のことのように全身で覚えている。忘れられない。というか現在進行形で続いている。しかし東京は、忘れたいのか、無かったことにしたいのか、周囲を見ずに力づくで幻想に突き進む空気が一部には確かにあって、どこか知らない遠い国で暮らしているように思えて仕方がない時がある。皆さんは、あの日どこで何をしていましたか?何を考えたでしょう?

2011年以来、ステージに大きなピアノを置いて一方的に楽曲を演奏するような音楽活動について、どうにも疑問が沸くようになってしまった。もちろんそれは自分自身へであって、そのスタイルの音楽活動そのものを否定しているのではない(周囲にも素敵な活動をしているピアニストは沢山いる)。自分の内側にある「音楽」が、ピアノを通した時に最も表出することは今も自覚している。ただ、そもそも「私が」人前で演奏する動機が見つからず、被災者支援コンサート等をお断りしてしまった皆様には大変申し訳なかったし、もう二度とお声がかからなくても仕方がないとも思った。その代わりCDという「モノ」がお役に立てばと、ご要望のあるところには寄付させて頂いた。私の作品は音楽療法士が選曲する放送番組や精神医療の現場で使われることがあるからだ。とにかく当時は10歳に満たない子どもを育てる「親として」今何をすべきなのか、そのことで頭がいっぱいだった。

しかしこのところ、自分が変わり始めているのを感じている。4歳から当たり前に、いやもしかしたら必要以上にピアノを弾くことに時間を費やしてきた自分が、家族との関係性がうまく築けなかったことから精神的に音楽依存状態にあったことも客観視できるようになった。結局は「この道一筋」で生きられるほど授かった人生も性格もシンプルではなかったし、それでもこの5年近くはずっと音を出さずに「オンガク」のことを考え続けられる状況にはいた(もちろん他のこともしていたけれど)。音楽とは何か、何が音楽か。そして、この「考える」行為こそが「哲学」だと気づいたのは実はつい最近のことである。一応、大学では哲学も専攻したが、西洋哲学の歴史や知識を覚えたり、解釈したりの繰り返しであった。

2011年の秋から弘前の研究室にお世話になりながら、2012年冬にサウンドスケープ思想を「内と外をつなぐ関係性」という切り口で自分の中に「落とし込めた」と実感する瞬間があった。そしてそこから色々なことが変わり始めた。世界の捉え方、世界そのものが、というべきか。昨年10月からはサウンドスケープ思想を実践する場として、「関係性/ネットワーク」に焦点を当てた「CONNECT/コネクト」という芸術活動を始めている。ここでは直感や偶然性も大切にして、組織化したり目的化することを一番の指標とせず、知らない街をみんなで歩きながら展開するようなネットワーク型プロジェクトの活動形態を取っている。

そしてこの2週間は、人生でも「エポックメイキング」とも言えるほど象徴的な日々の連続だった。この年齢になっても、まだまだ「想定外の自分」は続く。
10月末は神戸大で開催された日本音楽即興学会で若尾裕先生、そしてNY大学ノードフ・ロビンズ音楽療法センター講師アラン・タリー氏の取り組みを伺った。11月に入るとダンサー・新井英夫さんと「身体と音の対話」をコトバ化する試みが横浜・カプカプひかりが丘でのワークショップを中心に始まった。翌日からは大分でのアートミーツケア学会に出席。昨年春に奈良のたんぽぽの家を訪れてから、事務局の皆さんとの交流が続いている。初九州となる3日間は、大分大学のコーディネートで国東時間が流れる半島スタディツアーから始まって、D-torsoや三浦梅園の哲学(宇宙)を知る。そして翌日は現在路上観察をご一緒しているメンバーが所属する青年団主宰の平田オリザ氏基調講演。自分も身に覚えがある東京人特有の「斜めの視点」も感じられたが、それが「あえて」であることを後の交流会でご本人から伺う。3日目はオープンダイアローグ、東京迂回路研究の哲学カフェ、そして大分県立芸術文化短期大学の路上観察の取り組み。大分県立美術館のコンセプトやデザインも先進的で、いま「公共の場」に求められている芸術とは何かを考える機会にもなった(ちなみにこの美術館は震災時には10メートルの折り戸が上げられ(広場)に変身する)。
東北で最初にキリスト教が伝来した弘前と、神仏習合発祥の地、ザビエルが最後に布教の全国拠点とした大分の空気はどこか似ている。平坦な城下町は人の心もバリアフリーにする。学会中はちょうど車いす国際マラソンが開催されていた。ホテルはどこも車いす利用者で埋まり、段差のない街中にも自由に繰り出していた。それを35年前から可能にしているこの街は、日本の未来型都市モデルではないだろうか。ちなみに大分は日本で最初にクリスマス西洋劇が演じられた地でもある。悪くない鬼もいる。

臨床哲学の「聴く力」を通奏低音とした「原っぱのような学会(鷲田清一会長)」の取り組みは、自分が今どこに向かっているのかをはっきりと教えてくれたような3日間だった。

そういうわけで、ササマユウコのプロフィール を久しぶりに上書きしました。相変わらず、寄り道、失敗、迂回路だらけの紆余曲折人生ですが、引き続き、「音楽家」として自分に出来ることを精いっぱい取り組んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

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2015年11月 2日 (月)

子どものためのサウンド・エデュケーション(青森)

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日本の子どものために書かれた『音さがしの本〜リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー/今田匡彦 共著)。もともと「サウンド・エデュケーション」はサウンドスケープとは何かを知るための課題集ですが、そのサウンドスケープを世に提唱した本『世界の調律』の共訳者に若尾先生がいらっしゃいます。シェーファーはこの本の中で、サウンドスケープが社会的事象の指標となって社会福祉につながることも示唆しています。

最近、若い世代から再び「サウンドスケープ」というコトバを見かける機会が増えて嬉しく思います。このコトバを入り口に世界を捉え直すきっかけが、アカデミズムに限らず様々な場で生まれたら素敵だなと。逆に言えばコトバの背景にある「何を」自分の軸にするかを追求しながら進むと、シェーファーが本当に伝えたかったことに迫れるかも。ちなみに私はこの中の「peace&quiet」という言葉から作品を、思想からワークショップやヨガを、さらに今は臨床哲学に向かってますが、最終的にはまた音楽に戻るのだろうと漠然と思っています。
という訳で、弘前の研究がなぜ音楽療法につながるのかという長めの説明でした。
詳細はこちら→

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