ササマユウコのプロフィールを上書きしました。
東日本大震災、原発事故からすでに4年と8カ月が経つ。普段は色々と忘れっぽいのだが、2011年3月の「あの日」から一連の「出来事」については、今でもつい昨日のことのように全身で覚えている。忘れられない。というか現在進行形で続いている。しかし東京は、忘れたいのか、無かったことにしたいのか、周囲を見ずに力づくで幻想に突き進む空気が一部には確かにあって、どこか知らない遠い国で暮らしているように思えて仕方がない時がある。皆さんは、あの日どこで何をしていましたか?何を考えたでしょう?
2011年以来、ステージに大きなピアノを置いて一方的に楽曲を演奏するような音楽活動について、どうにも疑問が沸くようになってしまった。もちろんそれは自分自身へであって、そのスタイルの音楽活動そのものを否定しているのではない(周囲にも素敵な活動をしているピアニストは沢山いる)。自分の内側にある「音楽」が、ピアノを通した時に最も表出することは今も自覚している。ただ、そもそも「私が」人前で演奏する動機が見つからず、被災者支援コンサート等をお断りしてしまった皆様には大変申し訳なかったし、もう二度とお声がかからなくても仕方がないとも思った。その代わりCDという「モノ」がお役に立てばと、ご要望のあるところには寄付させて頂いた。私の作品は音楽療法士が選曲する放送番組や精神医療の現場で使われることがあるからだ。とにかく当時は10歳に満たない子どもを育てる「親として」今何をすべきなのか、そのことで頭がいっぱいだった。
しかしこのところ、自分が変わり始めているのを感じている。4歳から当たり前に、いやもしかしたら必要以上にピアノを弾くことに時間を費やしてきた自分が、家族との関係性がうまく築けなかったことから精神的に音楽依存状態にあったことも客観視できるようになった。結局は「この道一筋」で生きられるほど授かった人生も性格もシンプルではなかったし、それでもこの5年近くはずっと音を出さずに「オンガク」のことを考え続けられる状況にはいた(もちろん他のこともしていたけれど)。音楽とは何か、何が音楽か。そして、この「考える」行為こそが「哲学」だと気づいたのは実はつい最近のことである。一応、大学では哲学も専攻したが、西洋哲学の歴史や知識を覚えたり、解釈したりの繰り返しであった。
2011年の秋から弘前の研究室にお世話になりながら、2012年冬にサウンドスケープ思想を「内と外をつなぐ関係性」という切り口で自分の中に「落とし込めた」と実感する瞬間があった。そしてそこから色々なことが変わり始めた。世界の捉え方、世界そのものが、というべきか。昨年10月からはサウンドスケープ思想を実践する場として、「関係性/ネットワーク」に焦点を当てた「CONNECT/コネクト」という芸術活動を始めている。ここでは直感や偶然性も大切にして、組織化したり目的化することを一番の指標とせず、知らない街をみんなで歩きながら展開するようなネットワーク型プロジェクトの活動形態を取っている。
そしてこの2週間は、人生でも「エポックメイキング」とも言えるほど象徴的な日々の連続だった。この年齢になっても、まだまだ「想定外の自分」は続く。
10月末は神戸大で開催された日本音楽即興学会で若尾裕先生、そしてNY大学ノードフ・ロビンズ音楽療法センター講師アラン・タリー氏の取り組みを伺った。11月に入るとダンサー・新井英夫さんと「身体と音の対話」をコトバ化する試みが横浜・カプカプひかりが丘でのワークショップを中心に始まった。翌日からは大分でのアートミーツケア学会に出席。昨年春に奈良のたんぽぽの家を訪れてから、事務局の皆さんとの交流が続いている。初九州となる3日間は、大分大学のコーディネートで国東時間が流れる半島スタディツアーから始まって、D-torsoや三浦梅園の哲学(宇宙)を知る。そして翌日は現在路上観察をご一緒しているメンバーが所属する青年団主宰の平田オリザ氏基調講演。自分も身に覚えがある東京人特有の「斜めの視点」も感じられたが、それが「あえて」であることを後の交流会でご本人から伺う。3日目はオープンダイアローグ、東京迂回路研究の哲学カフェ、そして大分県立芸術文化短期大学の路上観察の取り組み。大分県立美術館のコンセプトやデザインも先進的で、いま「公共の場」に求められている芸術とは何かを考える機会にもなった(ちなみにこの美術館は震災時には10メートルの折り戸が上げられ(広場)に変身する)。
東北で最初にキリスト教が伝来した弘前と、神仏習合発祥の地、ザビエルが最後に布教の全国拠点とした大分の空気はどこか似ている。平坦な城下町は人の心もバリアフリーにする。学会中はちょうど車いす国際マラソンが開催されていた。ホテルはどこも車いす利用者で埋まり、段差のない街中にも自由に繰り出していた。それを35年前から可能にしているこの街は、日本の未来型都市モデルではないだろうか。ちなみに大分は日本で最初にクリスマス西洋劇が演じられた地でもある。悪くない鬼もいる。
臨床哲学の「聴く力」を通奏低音とした「原っぱのような学会(鷲田清一会長)」の取り組みは、自分が今どこに向かっているのかをはっきりと教えてくれたような3日間だった。
そういうわけで、ササマユウコのプロフィール を久しぶりに上書きしました。相変わらず、寄り道、失敗、迂回路だらけの紆余曲折人生ですが、引き続き、「音楽家」として自分に出来ることを精いっぱい取り組んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
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