「バウルの歌を探しに~バングラデシュの喧騒に紛れ込んだ彷徨の記録』
2011年以降、何となく学術書ばかりなのでお正月は少し肩の力を抜いて、こちらを選びました。著者の川内有緒さんは音楽のライターではなく、日芸出身の元国連職員。その少し変わった経歴の持ち主で既婚の彼女が、友人のカメラマンと共にバングラデシュに吟遊詩人「バウル」の歌を探す旅に出た2週間の記録です。
実は数年前の夏に、「バウル」の歌を六本木ヒルズの野外ステージで聞いたことがありました。この本を読んで知りましたが、その時はバングラデシュではなくインドのバウルだったようです。ステージでは男性が歌、横の女性はチべタンベルでカシャカシャとリズムを取っていました。しかも女性(妻)が日本人だったので強く印象に残っていましたが、彼女はこの本にも登場する方だと思います。その夏のイベントは、バウルのほかパキスタンやトゥバからも演奏家を招き、今思えばとても贅沢なステージでした。マイクを通して六本木のビルの谷間に響き渡るトゥバ喉唄(しかもフンフルトゥの彼)やパキスタンの太鼓は、もはや音の凄味だけで通りがかりの人たちを魅了(というか圧倒)していました。私も同じステージを、二度目は家族全員で聴きにいきました。久しぶりに耳にした何とも力強い「生命力」の宿る音楽でした。
この本でも何度か触れられていますが、そんな中で「バウルの歌」は比較的地味な印象だったと記憶しています。ただし「吟遊詩人」と言われる彼らの佇まいや衣装は、寺山修司の芝居や昭和のATG映画に登場しそうな、少し浮世離れした独特の雰囲気がありました。歌も商業や観光用の音楽とは別物ですし、「民謡」のように土地に根差して歌い継がれた音楽ともどこか違う。その時は歌詞の意味がわからなかったので、これはあくまで「耳」の印象です。しかしこの本であらためて歌詞の意味を知ると、これは「歌」というよりも、祈りや預言や哲学的な隠喩なのだとわかり、「バウル」に俄然興味が出て来ます。さらに「貧しい国」と言われるバングラデシュの人たちが、実は哲学的な議論を好む国民性だということも興味深かった。「貧しい」のはあくまでも経済的視点からであって、オープンに哲学の議論ができるこの国は、実はとても豊かだと思わずにはいられません。何でも経済を優先する日本では電車の中で見知らぬ人と哲学を論じることも、「吟遊詩人」として生きる自由も認められていないと感じるからです。
結局、なぜ人が境界線を越えて「バウル」になるのか、そもそも「バウル」とは何か。多くの謎が残されたままこの旅は終わります。しかし「ミュージシャン」と「バウル」には微妙な線引きもあって、長年口承で受け継がれてきた哲学を守って生きる人たちを「バウル」と呼ぶのだろうという示唆もあります。私自身、インド大使館で2年ほどヨガを学びましたが、その哲学との共通性も感じます。音楽(歌)はあくまでも本物のバウルやヨギー(ヨギーニ)に、もっと言えば「本物の自分になるための」修行のひとつと言えるのです。
著者である川内さんの旅の‘きっかけ’は「バウルの歌」でしたが、旅の’本当の目的’はご本人も旅をしながら気づいていくものでした。ですからこの本の魅力は、文化人類学や民俗音楽学的な考察ではなく、むしろ「ノープラン」で進んでいく想定外の連続、その旅のプロセスにあります。時間の流れそのものが旅であり、即興音楽のようでもある。まさにバウルの生き方を追体験していくような感覚を、わくわくしながら味わうことが出来ました。
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