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2016年3月の3件の投稿

2016年3月24日 (木)

音楽×弘前の哲学カフェ「‘きこえない音’は存在するか~花のひらく音をきく」開催します。

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【こちらは定員に達しました。ご応募ありがとうございました】
昨年の1月に好評だった弘前大学今田匡彦研究室の哲学カフェ(@日本橋DALIA)。4月9日に第2弾を開催します。

例えば哲学の世界には「誰もいない森で木が倒れたら音はするか」という有名な問いがあります。この問いかけは何を意味しているのでしょう。また、かつては当たり前に存在した「蓮のひらく音」が、現代人の耳にはきこえなくなったのはなぜでしょうか。

日本の子どもたちに向けて、サウンドスケープ哲学を学ぶ100の課題が提示された『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー/今田匡彦著 春秋社 増補版2009)。この音楽教育のテキストには「花びらが開くときの音をきく」という課題をはじめ、「空想の音」「幽霊音」などの‘空耳’をきく課題がいくつも登場します。

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科学ではなく、あくまで哲学や芸術の視点で「音が存在する」ことの意味、「きく」ことを自由に考える時間です。今回は「糸の森」のように音が美しく視覚可された芸術と科学の融合の場とも言えるストリングラフィのスタジオで、五感を使った音のワークショップ&対話形式の「感じる×考える」哲学カフェです。高校生から、どなたでもご参加頂けます。音楽以外の方もぜひどうぞ。

【講師】今田匡彦 (弘前大学教授 哲学博士)
1964年東京生まれ。国立音楽大学卒。サイモン・レフーザー大学教育学部修士課程修了。ブリティッシュ・コロンビア大学教育学部カリキュラム研究学科博士課程修了(Ph.D取得)。著書にサウンドスケープ思想を提唱したカナダの作曲家/M.シェーファーとの共著『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』、『哲学音楽論~音楽か教育とサウンドスケープ』(恒星社厚生閣2015)ほか多数。

【オト】鈴木モモ (ストリングラフィイ演奏家)

【進行】ササマユウコ (音楽家/コネクト代表 弘前大学今田匡彦研究室社会人研究生2011~2013)

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【日時】2016年4月9日(土) 18時~20時

【場所】Studio Eve(ストリングラフィのスタジオです) 

【定員】20名 (下記メールにて、お申込み順。定員になりしだい締切ます
         ※現在残り10名程度です)

【料金】大人2800円  高校生1500円 ※花のお茶つき

【お申込み】 定員に達しました。

【主催・お問合せ】
相模原市立市民・大学交流センター内 シェアード1
芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

専用Facebookページはこちらです

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2016年3月23日 (水)

空耳をつくる人

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ずっと「肩書」を探しているような気がする。自治体などで講師をお引き受けすることが徐々に増えてきたので肩書を求められることも多い。「ササマユウコ」だけでは許されず、時に「なぜ名前が‘カタカナ’なのか」と高齢の方に質問されたりもする。この質問は想定外だった。(ちなみに理由は簡単で、まずアメリカの会社と「Yuko Sasama」として契約したので、私のアーティスト名は単なる「オト」として存在しているからであるが)。

「ピアニスト」という肩書は現在は使用していない。ピアノも弾くけれど最も大きな括りでの「音楽家」と、芸術教育デザイン室CONNECT/コネク代表を名乗っている。ここでの「オンガク」は概念や哲学としての「音楽」である。サウンドスケープや宇宙の音楽(ムジカ・ムンダーナ)という「考え方」を紹介する役割だと思っている。後者は「社会」を意識した時に使う。しかし人前で口にするたびに舌を噛みそうになるので、いずれ短くしたいと思っている。この5年間の所属は、大学研究室だったり地方公務員だったりと、そちらの肩書で名刺を渡すこともあった。しかし「実は音楽家なんです」と付け加えると、目の前にいる人がみんな(本当に例外なくみんな!!)「ほっ」とした笑顔になるので、なんとなく私はそういう役割なんだなと思っている。反面、肩書(所属)によって自分の印象が左右される社会を不思議に思う。私の中身は何も変わっていないし、私は私なのだから。本当は名前だっていらないのかもしれない。

ところで、先週は「空耳図書館ディレクターとしてワークショップを主催した。実はこの肩書はとても気に入っている。自分の肩書を「気に入った」経験は人生初とも思える。そして自分の音楽家としての仕事は「空耳をつくる」ことにあるのだと強い自覚を持つようになった。肩書という外側から自分の内側が固まっていくこともあるのだなと思う。

「空耳」とは「想定外をきく力」だと自分なりに定義している。それは「耳の想像力」だ。「きく」ことは実際の「聴覚」だけでなく、先日ご紹介した聾者の描く音楽ドキュメンタリー『LISTEN』のように、自然や他者から何かを「感じ取れる力=センス・オブ・ワンダー」まで含まれる。身体、五感、魂、そのすべてを「きく」。そこに感じ取れる「オト」のことを、実際に「きこえる/きこえない」に関係なく「空耳」と呼びたい。戦後、「蓮のひらく音(幽音)」を信じる日本人の体質を戦争の反省から厳しく非難した科学者・大賀博士の見解は一方の正論だとも思うが、今の時代は反対に科学の想定外を「きく」ことから考えたいと思う。

気づけば今年の春は「空耳企画」がつづく。詳細はコネクトのサイトやFBでご紹介しているので、ご興味のある方はぜひ足を運んで頂ければうれしいです。5月には『LISTEN』の監督おふたりとのトークも予定されています。こちらも楽しみ。

〇3月20日(日・春分の日)
   『空耳図書館のはるやすみ~きこえる?はるのおと』 終了しました

〇4月1日(金)~17日(日) 『ホーム/アンド/アウェイ』@アートラボはしもと
    女子美術大学大学院修了生アート活動グループ「泥沼コミュニティ」の活動報告会
    路上観察学会分科会メンバーとして
      「はしもとの空耳」サウンド・インスタレーション(西郷タケル×ササマユウコ)
      ZINE配布(編集:鈴木健介、山内健司、ササマユウコ)

   4月3日(日)14時~ 路上観察学会分科会メンバー×泥沼コラボトーク
             出演:西郷タケル、ササマユウコ、鈴木健介、山内健司

〇4月9日(土) 18時~20時
  音楽×弘前の哲学カフェ『‘きこえない音’は存在するか?~花のひらく音をきく」
    弘前大学今田匡彦教授、ストリングラフィー(鈴木モモ)の演奏とともに。
     進行:ササマユウコ

〇4月12日 「キクミミ研究会~身体と音の即興的対話を考える」 新井英夫×ササマユウコ

〇4月27日 アートミーツケア学会青空委員会 

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2016年3月13日 (日)

内と外を柔らかにつなぐ映画 『LISTEN』を観て。

Listen_4東日本大震災のあと、私はしばらく音を出すことが出来なくなってしまった。失語症ならぬ失音症というのか。きっかけには子供を持つ親として受けとめた原発事故や「自粛ムード」という外側の要因もあったけれど、コトバよりも先に覚えた「音楽(と思っていたこと)」と自分との関係性が、何だかよくわからなくなってしまったという内側の理由が何より大きかった。やがて世間は「絆」を合言葉に、自粛していたはずの歌の大合唱を始めたけれど、心はまるで色を失ったようで苦しかった。いったい私の内側で何が起こっているのか。オンガクを探す旅、いや取り戻す旅は、2011年秋の弘前から始まった。

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それから5年、まるで何かに導かれるように多くの縁や出会いがあって、それは今も続いている。ピアニストは孤高でなければならぬと思っていた自分はもういない。サウンドスケープの弘前大学今田匡彦研究室をはじめ、若手の音楽家やアーティストたちと共に、哲学カフェや芸術活動まで展開している。私はこの5年間ずっと「音を出さないオンガク」を奏で、きいていたのだと今は思う。
ところで、震災前後で自分のオンガクは何か変わっただろうか。実はこのところ、ふたたび音を出す機会が増えているが、物理的な「音波」の印象は何も変わっていない、と本人は感じている。強いて言えば、ピアノ以外の音具も奏でていることだろうか(カリンバ、フレームドラム、バードコール、新聞紙!)。サウンドウォーク(音の散歩/ききあるき)やサウンド・エデュケーション(音のワークショップ)を通して「想定外をきく」ことに「空耳」というコトバを得て、赤ちゃんから高齢者までに場をひらくことが可能となった。16年前に信州国際音楽村に通いながら作ったCDのタイトルも『空ノ耳』だった。自分の内側にあるオンガクの源流は、やっぱり何も変わらない。好きな「間」や「音質」、内と外をつなぐサウンドスケープとは結局、他の誰でもない自分の生命や世界観なのだと旅の終わりに気づいた。まるでメーテルリンクの「青い鳥」みたいに。

「音楽とは何か、何が音楽か」。この答えは人によって違うし、おそらく正解もない。人の数だけ音楽はあるのだろう。西洋音楽(哲学)には基本的にふたつのオンガクが存在するが、それも数ある文化のひとつに過ぎない。例えば、耳から世界を捉え直すサウンドスケープ論を提唱したカナダの作曲家M.シェーファーは、それを「鳴り響く森羅万象(sonic universe)」と呼んだ。耳が外から受けとめる「音波」や「音の連なり」、J.ケージが無響室で気づいた体内を流れる音もまたオンガクと考える。内側と外側が響き合う宇宙の音楽(ムジカ・ムンダーナ)、調和(ハルモニア)。その哲学的な世界感や概念を「きく」ことをアポロン的音楽という。一方、内なる感情や情動を表現する音楽はデュオニソス的音楽と呼ばれ、双方は過去の哲学者たちによって対立構造に置かれてきた。しかし「内なる音楽」と「外なる音楽」は本当に対立しているだろうか?と思う。
例えば、先日試写に伺った耳のきこえない聾者のオンガクを描いたドキュメンタリー映画『LISTEN』について。この作品を「視た」人は「音楽とは何か」を哲学者のように考えるきっかけを得るだろう。なぜなら「内なる音楽」と「外なる音楽」が調和しながら、そのどちらでもないオンガクが描かれていると感じるからだ。「共同監督」というスタイルで、ふたつの視点が描かれている点も興味深い。

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監督のひとり、聾の舞踏家・雫境さんは子ども時代にみた嵐の空に浮かぶ雲の流れにオンガクを感じたという。「この映画は未完成です。いろいろなことを考えてもらえるきっかけになれば」と上映後に手話で語ってくれた。彼との出会いは、一昨年の文化庁メディア芸術祭で開催された視覚/聴覚の障害を越えた鑑賞ワークショップに参加した時だった。私がふり返りで話したサウンドスケープについて、帰り際に「興味があります」と声をかけて下さったのだった。彼が波のリズムを「きいて」砂浜で踊るシーンはとても美しい。波そのものを表現するのではなく、波音のきこえる音風景の肌理を身体で描く。もうひとりの監督・牧原依里さんは、「手話詩」という聾者の内側から生まれるオンガクを真正面から受け止め、きめ細やかに記録する。この二人の監督の内と外がつながり、『LISTEN』のオンガクに多様性を生んでいる。ゆれる木々の葉、寄せては返す光る波、花が咲き散る、風になびく長い髪、私と私、私とあなた、そして仲間たちとの共感/共鳴・・・ひとつひとつのシーンの連なりも58分間の美しい音楽だ。『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない』と、R.カーソンは『センス・オブ・ワンダー』の中で語る。この作品もまさに「きこえない世界」を「知る」のではなく「感じる(きく)」映画なのだと思う。

鑑賞の方法もユニークだ。全編が「無音」というある意味で実験的なこころみは、実は聾者の世界そのものである。聴者は彼/彼女たちの世界にもっと近づくために、耳栓で周辺音をシャットアウトする。きこえる/きこえないの「境界線」を聴者から越えるのだ。けれどもその体験は、アイマスクや暗闇を使った視覚障害者体験とは違う感覚となる。なぜなら、まったく音のない映像の中からも不思議とオンガクが「きこえる」からだ。私が音楽家だからだろうか?しかしそこに「きこえる」オンガクは「旋律・リズム・ハーモニー」といった三要素に凝縮された西洋音楽の典型ではない。では聾者たちの身体で表現されているものは何だろう。なぜ私はこの映像からオンガクを感じるのだろうか。私の「視る」は、やがて「きく」になり、いつしか「感じる」に変わっていく。視覚と聴覚がひとつになって身体の内と外がつながり共鳴する。もしかしたらオンガクを奏でている聾者たちもまた、私と同じプロセスを辿っているのではないだろうか?と思う。手話詩(感情や自然のミメーシス)、サウンドスケープ(音風景)、内なる鼓動や喜怒哀楽・・・それは魂の輝きであり、生命そのものであり、きこえる/きこえないは問題ではないとわかってくる。『LISTEN』が描いているのはやはり「ウチとソトの関係性」なのだと思う。「奏でる人」が自身や世界とどう関わっているか。それを「きく(感じる)」作品なのだ。

花のつぼみがふくらみ、月が満ち欠け、四季が移り変わり、人と人が出会う。それは自然の、そして宇宙のリズムである。身体もまた自然であり、宇宙とつながる。呼吸は波のリズム、鼓動は時間をつくりだし、潮の満ち引きは体内を揺らす。音のないオンガクは確かに存在する。声質のように手話にも「手質」があるという。その人の雰囲気、存在感、そこに立ち現れる肌理もまたオンガクだ。だからこそ世界の内と外に耳をひらき、オンガクとして生き生きと感じてみよう。さあ、LISTEN!「きく」ことは生きることそのものである。聾者たちが教えてくれるのは他ならない「全身を耳にして、世界に耳をひらく」ことの大切さだ。5年間の旅の終わりに、この映画に出会えたことはどこか象徴的だ。私自身も深い喜びを感じているし、ここからがまた新しい旅の始まりなのだと思う。

『LISTEN』は5月14日から全国上映
 公式サイト http://www.uplink.co.jp/listen/

(C)2016 Photo by Yuko Sasama

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