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2016年12月15日 (木)

「こまば哲学」にて

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11月には東京大学駒場祭で開催された「こまば哲学」に、コネクトの方で協力させて頂きました。プログラムは「対話は言葉だけのもの?~音楽療法やサウンドスケープの視点から」です。
ファシリテーターとして音楽療法士・三宅博子さんを中心に、即興演奏や音のワークショップ、主催のP4E/山村洋さんの言葉での対話を重ねながら、参加された皆さんと一緒に「音」や「きく」からさまざまな気づきを得る時間となりました。

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この中で、弘前今田匡彦研究室でもおなじみのサウンド・エデュケーション「紙のワーク」を皆さんに体験して頂きました。そして今年、いくつかの場所でこのワークを実施してみて気づいたことがあります。紙のワークの「ルール」は「音を出さないで紙を回す」だけなのですが、そのルールをどう受け止めるかによって身体性が、もっと言えばその場の「音楽」が大きく変わってくるということです。

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この「紙のワーク」の本来の目的は、紙と身体(指先、膝や腕の関節)の関係性から楽器を演奏する身体を学ぶ音楽教育にあります。自分の出す音/出さない音に耳をすまし、身体・指先の延長線上として紙をとらえ「一体化」させていくプロセスに、よい演奏=音楽の本質があるという気づきを得る。その気づきから、身体の動きそのものが音楽になっていくのです。つまり「音を出さない」というルールを守るという意識で身体を拘束するのではなく、「無音をきく」こと、紙とひとつとなって柔らかく身体を動かすという発想の転換が必要になります。
興味深いことに、音楽教育が目的ではない場で同じワークをすると(’オンガク’という概念を共有しないでワークを実施すると)、「音を出さない」という「ルールを守る」ことのみに意識が向かい「ただ効率的に紙を回すだけの場」が成立します。写真の私のように身体の動きからも紙の動きからも音楽が消え、目的を達成するだけの何とも味気ない場になっていくのです。

Blog_4しかしそこにほんの少しだけ「関係性」や「柔らかく」というキーワードを与えるだけで、場が劇的に変化する。直線的に紙が回されていくだけだった場が、明らかに音楽的な波を描き始めるのです。皆さんの身体も膝や手首が上手に使われて、柔らかくなっていく。何より紙が美しく波を打ち、音楽を奏で始める。もしルールが破られたとしても、視覚的な「美」、また「全体の流れ」が包み込む。何より緊張感が消えて「楽しく」なるのです。
生活の中で「なぜ音楽が必要か」という問いの、ひとつの答えを見つける瞬間です。しかもこの場合は「沈黙をきく」というサウンドスケープ論の根幹にも迫ることができます。
さらに紙のワークには、コミュニティや紙の質を変えることからも気づきがあります。最後に「音を出さない」というルールを外したときに生まれる「自由な音楽」にも、また違う音楽の発見や喜びを感じることができる。実に単純にして奥深いサウンド・エデュケーションなのです。

参考文献:
『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』M.シェーファー、今田匡彦(春秋社 2008)
『哲学音楽論~音楽教育とサウンドスケープ』今田匡彦著 恒星社厚生閣(2015)

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