暮らしの音風景―①
受験生がいるので気忙しい1月を送っている中、数日前にご近所のおじいさんが93歳で亡くなったのでお線香をあげてきた。本当に木が枯れるように静かで自然な最期だった。
新興住宅地(といってもすでに半世紀が過ぎている)のつながりは「干渉しすぎない」が暗黙の了解のようなところがあって、それぞれの家庭でそれぞれの暮らしが粛々と営まれている。今回亡くなったおじいさんのお宅に上がったのも息子さんと口をきいたのも初めてだった。玄関先に飾られた洒脱な植木の手入れに「江戸っ子」の文化的背景が感じられ、鉢植えの四季折々の小さな花たちは通りがかりの楽しみでもあった。
住宅地を俯瞰してそれぞれの家の屋根を外したら、半径数百メートル内で何と様々な人生模様が繰り広げられていることか。それらが今にも切れそうな細い線でつながりながら何とか共同体を保っている。2011年の春に越して以来、明らかにここは「限界集落」だと思うのだけど、例えばこの穏やかな場にあえて「波」を起こす必要はあるだろうかと考える。
この5年で静かに消えていった人たちを思い出す。気づけば在宅ケア医院やホスピスまで、町内をあげて「死に支度」が整っていくようだ。孤独死の話もきく。しかしそれは独り暮らしだったからで、その人が孤独だった訳ではないのだと気づく。
時おり、新興住宅地に漂う死の気配に絡めとられそうになるが、そこに小さな子ども世帯が越してくると町内にぱっと明るい光が灯る。子どもたちが外で元気に遊ぶ声は「希望」だと思う。各地で「子どもの声がうるさい」と声をあげる大人たちが話題になっているが、実は彼らの寂しさ、心の闇の方こそ深刻だと感じている。死にゆくもの、それを養分に育っていくもの。森の中の木々のように、人も自然に共生できればいいのにと思う。(1月19日Facebookから転載)
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