2011年10月20日 (木)

みえる、みえない 映画「ミルコのひかり」

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先日は、「きこえる、きこえない」をテーマに舞台「R&J」について。
今日は、目の見えない少年が、
耳を開き、人生の扉をも開いていく映画「ミルコのひかり」を取り上げます。

この映画の主人公はイタリアに実在する盲目のサウンドデザイナー。
彼の少年期をドラマにしたものです。
1970年に10歳だから、自分より少し上の世代かな。
当時うちはオープンリールではなくて、すでにカセットデッキでしたが、
目が見える、見えないに関わらず、
「テープ」を使って録音する楽しさを発見していく過程は、
時代的に懐かしいというか、共感するものがありました。

そして、ここですごく大切なことは、
(ちょっと専門用語になりますが)、
アナログ機材は音の切り貼り作業(パンチイン/アウト)等が、
すべて「手で出来る」ということだと思いました。
ミルコが録音した「音」は、「テープ」という’手に触れられる状態’になっている。
これが、いまのデジタル・レコーダーになると、音がデータ化されるので手で触れられない。
編集画面で、音を視覚的に(あるいは数値として)作業していくことがほとんどです。

例えば、ボタンひとつで(オートで)録音できるICレコーダーは、
目のみえない人たちにも便利のようにも思えますが、
そのあとの編集作業は、かえって難しくなってしまった気がします。
(作業時に音声ガイドがあれば別ですが)。
テープ残量(録音可能な時間)ひとつとっても、手で確認できないのですから。

何より音がカラダを通って、自分が抱えるレコーダーに入っていくような、
音とカラダと機材の一体感には、アナログ的な作業が不可欠です。

ボリュームやフェーダーを動かす感覚だったり、
テープを動かしたり止めたりする時の「ガチャリ」というスイッチの手ごたえや音だったり。
自分が機材を動かしているという実感と、「手の感覚」から音を感じとる面白さと。
ミルコが夢中でテープを切り貼りしている編集作業のシーンは、
まるで楽器を演奏しているようでした。
現在の、目が見えるエンジニアたちが嘆く、
デジタル化によって、音に関わる作業が’視覚に偏りすぎている’という事実。
音がデータ化されてから失われたものが、あのシーンにはありました。

もっと耳を、手を、全身を使って音を探り出していくことが、
本来の音表現の喜び。
もしも、盲目の少年がデジタルレコーダーを使ったとしたら、
はたして音響デザイナーを目指しただろうかというのは、
大きなギモンでもあります。

映画の物語に話を戻せば、もうひとつの印象的なエピソードがありました。
この盲目の少年たちの中に、
先日の「R&J」手話通訳のような存在として、目の見える一人の少女が参加しています。
本人が自覚するとしないとに関わらず、みえるorみえない、少年たちの内と外をつなぐ役割を担う彼女。
彼女の存在が、盲目の少年達の音表現を飛躍的に広げていきます。
しかも彼女にとって、みえるorみえないということは、何の障害にもならない。
こどもゆえの、先入観のない、自由な心があるのです。

先日読んだサウンド・エデュケーションの論文では、
この映画には「「見えること」と「見えない」こと、「聴こえること」と「聴こえないこと」の拮抗が
描き出されている」と指摘されていました。
(2011 石出和也 「聴くことの場」を語るための言葉 (弘前大学)
見えないからこそ聴こえている音があり、
見えてしまうからこそ聴こえない音もある。
いま「見えている」自分の五感が本当に開かれているかは、
常に自問自答する必要があるのだと気づかされます。

そして、ひとりの開かれた耳が、他者の耳を開いていく。
耳だけでなく、心も、未来の扉も開けていく。
(このことは、ラスト近くで象徴的に映像化されています)。
それは、「みえる、みえない」という障害を乗り越えた少年の物語というよりも、
ひとりの気づきが、周囲の共感を呼び、新しい可能性を開いていく、
五感が開かれた人生の醍醐味とは何かを教えてくれる物語でもあったのでした。

「ミルコのひかり」

監督:クリスティアーノ・ボルトーネ
   2005年 イタリア映画

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2011年9月25日 (日)

朱花(はねづ)の月

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中学高校と修学旅行は京都・奈良だった。
東京郊外の新興住宅地に子供が爆発的に増えている頃で(確か11クラス)、
旅行の予算も無かったのだろう。
その後、京都は何度も足を運んでいるのに、
奈良はその時の2回だけ。
けれども強烈に印象に残っているのは法隆寺の百済観音と、自転車で一周した明日香村の澄んだ空気。
そう、どちらも奈良。
そしていつでも心のどこかで、また奈良に行きたいと思う自分がいる。

私は河瀬直美監督が撮る奈良が好きだ。
奈良の森の深い緑や、古来からつづく深遠な空気を、
皮膚感覚で映像に捕らえることの出来る世界で唯一の監督。
彼女の撮る緑色はとにかく美しい。

そして今回は朱色。
紅花やくちなしの赤は、まさに血の色。
赤と緑が織り成す複雑な男女の物語には、暗示的に血の匂いがつきまとい、
そしてある意味’約束された’結末を迎える。

一見ほっこり雑誌にも登場しそうな爽やかな光と、それに対比される闇。
一筋縄ではいかない心の機微が、時空を越えて細部に織り交ぜられている。
万葉集の歌に思いを馳せながら、
やっぱり男と女は永遠にわかりあえないと思ってみたり、みなかったり。

そして何より驚いたのは、
主人公が自転車で駆け抜ける明日香村が、
十代の頃に自分が見た風景と何ひとつ変わっていなかったこと。
いま、自分をとりまく世界はこんなにも大きく変わってしまったのに、
あの場所は古来から変わらずに、今日も存在する。
その尊さと悠久の時の流れに、どこかほっとする自分がいた。

http://www.hanezu.com/

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2011年4月19日 (火)

新興住宅地のローカリゼーション

今回の震災では、原発や津波の恐ろしさと同時に、
人と人がつながることの大切さ、
地域社会(ローカリゼーション)の可能性に気づいた人も多かったはずです。

引越してからご近所に挨拶周りをしていると、
ほとんどが高齢化世帯で驚きます。
子供の頃の記憶のままの「近所のおばちゃん」たちが、
みんなお婆ちゃんになっていて、まるで浦島太郎状態。
(その分こっちも年とったわけだけど ^^;)。

昭和高度経済成長期の元企業戦士が暮らす新興住宅地。
その二世にあたる自分たちの世帯が、
この先どうやって地域社会を作っていくのかは、実は大きな問題だったりする。
学校や子供が生活に絡んでいるうちはいいんだけど、
自分もいずれここでお婆ちゃんになるのかな?と思っても、
まだそのライフスタイルが想像つかない。
本音を言ってしまえば、この先地震さえなければ、
お婆ちゃんになったら神楽坂に戻ろうかなあ・・という気持ちもどこか捨てきれない。
地震さえなければ、だけど。

郊外の時間は少し緩やかで、
お店に関しては都会に出る必要は全く無いし、
面白い人や、素敵な人が点在していて、
伝統や文化は浅いけど、人の資源は思いのほか豊富。
でもそれを知ったのは幸運にも仕事で出会う機会があったからで、
隔離された戸建ての中で、日々をそこそこ快適に暮らせたら、
住宅街というのは、実は他人と繋がることが大変だったりする。
行動と、意志が、必要になってくるから。

そんな中で、町田の映画が相次いで公開。
新興住宅地のローカリゼーションを考えるヒントになりそうだ(地元だし)。

まほろ駅前多田便利賢軒」 
http://www.youtube.com/watch?v=WfzKwvd2r-s
ホームカミング」 http://www.youtube.com/watch?v=Br0QndYeFU8


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2011年3月10日 (木)

レイチェル・カーソンの感性の森/ 未来の食卓

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いまのインターネット社会は、細胞分裂のように発展してきたものだから、
ひとつのものを二つに分ける(独立すること)はそれほど難しくないのだけど、
違うプロバイダとか、違う料金設定とか、違う契約者とか。
異質のものを、ひとつにするのが本当に面倒くさい。
現代社会を象徴しているなあ、と思う。
インターネットは、人と人がつながっているようで、実は個の集合体なのだ。
どうしようもないくらいに。
だからネット環境の統合が面倒で、同居しないカップルもいるんじゃないだろうかと思う。
愛はネットを越えない、こともきっとあるはず。
プロバイダーも、もっと色々な家族構成を想定した料金設定にして欲しい。
リアルな世界とギャップのあるネット環境は、
やはりより身軽なクラウドに(いや、携帯で充分)に、流れていくだろう。
そうじゃなくちゃ、かつてのテレビみたいに、リアルな生活がネットに支配される。
それだけは避けたい。

と、ご察しの通り、今日もネットのお引越し作業(^^;)。
煮詰まりそうだったので、合間に映画二本観ました。
先日ご紹介した「未来の食卓」と、「レイチェル・カーソンの感性の森」。

ところで今朝のニュースで、アメリカ・サブウェイのシェアがマックを抜いたとやってましたが。
アメリカのヘルシー志向って、そのレベルなのねと思いつつ、
それでも野菜を食べるほうが、ビーフ100%を口にするよりは体にマシだということは、
だんだんと浸透しているのかなと思いました。
そもそもグローバルな外食産業やファーストフードってどうなのよ?
という展開は、まだ一部のものみたいだけど。

Sow_flyer

特に「未来の食卓」観てると、怖くなりました。
農業大国フランスが、こんな汚染大国だったなんて知らなかったし、
正直、こどもに何を食べさせればいいのかわからなくなる。
せめて手作りのおやつをと思うけど、
買った金柑は、なんだか妙にきれいで甘くて、使われた農薬についても全く情報がない。
安いチョコレートは、光沢材のせいかテラテラしていて、明らかに先日のベルギーチョコと違う。
作った人の顔が見えない。
口に入れるものだというのに。

真剣に食と向き合うということは、自分や家族の命と向き合うことだけど、
予算だって限られているし、簡単に手に入るものには、どうしてもたどり着けない闇がある。
自分の庭で取った金柑を口に入れる時の100%の安心感。
あれはどうしたって手に入らない。
やっぱり自分で野菜作ろうかな。
ちょっと思案中。

レイチェル・カーソンについては、また今度。
女性がひとつの仕事をやりぬくことの難しさ。彼女も同じように体験してたんだなあ。。と共感。

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2011年3月 8日 (火)

幸せの経済学

ヨガをするようになって自分がいちばん変化したのは、
「つながる」ということを、積極的に意識するようになったことだと思う。
何を隠そう、ヨガの語源はサンスクリットで「つなぐ」という意味
ココロとカラダ、自分と家族、友人、仕事、地域社会、自然、果ては宇宙まで・・・
自分の中がつながってきて初めて、自分と外のつながりが見えて、感じられる。
逆に言えば、外のつながりばかりに気を取られて、
自分の中が切り離されていては、意味がない。

そうやって’つながること’を感じ始めると、
圧倒的に孤独感が減ってくる。
今までも仕事や音楽や育児で外とつながっているはずだったけど、
日々の暮らしで、意志に関わらず役割や仕事が拡大していく中で、
きっと大切な何かが分断されていたのだろう。
そこが、つながってきた気がする。

そして子供の頃から、いつも自分の傍らにあった’孤独感’。
’ひとりで寂しい、虚しい’という心持ちが、ヨガを通して少しづつ解放されて、
自分が段々オープンになっていくのを感じている今日この頃。

さて、そんな中。この映画に出会いました。
公開は来月末、アップリンクから。5月22日(生物多様性の日)には全国で自主上映会も実施されるという。

グローバリゼーションの先にある、ローカリゼーションの経済学。
人の心を置き去りにした、1%の大企業が動かしているマクロ経済の限界から、
暮らしに寄り添いながら、身の丈にあった幸福な経済へ。
地球規模に限らず、自分の暮らし方や、周囲とのつながり方を、
見直す大きなきっかけにもなりそうです。

4月から郊外に暮らしの拠点を移す私にとって、今いちばんタイムリーな話。
ヘレナ氏の「懐かしい未来」も是非合わせて読んでみたいと思います。

映画「幸せの経済学」公式サイト→






 ラダック懐かしい未来 ラダック懐かしい未来
販売元:セブンネットショッピング(旧セブンアンドワイ)
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2011年2月22日 (火)

森がみんな教えてくれる

Photo昨日は何にびっくりしたかといえば、
見積もりを取りに来てくれた引越し業者が、
いきなりメールで提示した金額の10倍の値段を口にしたこと。
あまりのことに開いた口が塞がらないのでありました。

結局、いろいろ周囲に相談してたら、
またもや助っ人さんが事務所に続いて半分作業を手伝ってくれることになって、おまけに知り合いの安い引越し業者も紹介してくれた!
あの方は本当は神様に違いない。絶対そう。

それにしても、引越し業界って侮れないなあ。
この春、引越し予定の皆さん!
いくら繁忙期だと言われても、「東京はこんなもんか」って提示された金額を鵜呑みにしないように。
安い(妥当な)ところはきっと見つかります!
だいたいなんで、繁忙期だと高くなるのか。理由がわからない!

それで昨日は大使館の後に工房に寄ると、
ちょうどクロマニヨンが皆さんと一緒にお昼を食べていた。
建築家3名。そのうち女性が二人。
建築家って作曲家に似てるけど、
圧倒的に数学(計算)に強い人っていうイメージがある。
高層ビルやワンルームマンションを設計してる人は知らないけど、
戸建てを設計する人は、光や風や空間の気持ちよいとらえ方を知っていて、
しかも定規でまっすぐ線が引ける人。
模型も作るから手先も起用な人。家具も作れちゃう人。
私にはまったくムリムリな仕事なので、憧れます。

いらっしゃったお二人の女性は、カフェでお花を売っていてもおかしくないくらい、
やわらかくて優しい感じで、
とてもそんな凄い人の雰囲気ではないのだけど(って言ったら失礼だけど)。
手が頭の仕事回路につながった時、凄いんだろうなあ。
建物が人を呼ぶっていうこともあるんだな、とメンバーの顔を見ていて思いました。
(クロマニヨンは別として)。

そういえば、26日から渋谷のアップリンク・ファクトリーで「レイチェル・カーソンの感性の森」が始まります。これは観にいかなくては!同時上映の「未来の食卓」も観たかったんだわ。

そして今度娘が行く小学校(って私の母校ですが)は、
東京都で初めて「田植え」を授業に取り入れた学校で、
私も田植え経験者なのでした。
収穫したお米は、秋に餅つき大会をやってみんなで食べました。
裸足で田んぼに入った時の、なんともいえない冷んやりとした感覚、
今でも忘れられません。もう30年以上も前よ~。
今もやってるのかなあ。校庭に畑はあったけど。

写真は、引越し先(実家の)近くにある森。
ここには野草部や野鳥部があって、
小鳥隊長も私も、お気に入りの森。
どういうわけかいつも人がいなくて、「森を独り占め」できる贅沢な場所。
私が子供の頃は、普通の原生林だったのに、
この20年で、よく手入れの行き届いた(でも原生林の)自然公園になっていた。

最近、ちょっと考えてます。
企画したいコンサートもあるし、
自分の演奏活動は即興以外は年内休止にしようかと。
演奏回数は少なくても、定番プログラムの演奏家ではないので、
(結果、毎回プログラムが違うので)、
楽器の性質上、練習時間に生活の大部分を費やす生活が長い間続いてました。
このまま一生忙しいんだろうなあ・・・と思ってたんだけど、
考えたら40年以上、妊娠出産前後の数ヶ月を除いて
休んだことないんですわ。人前でピアノ弾くっていうことを(発表会やレコーディングも含めてね)。
練習やめたらお金もらって弾くレベルには戻れないだろうけど、
コンサートはどうだろう、と。
人前でピアノを弾くのやめた私には何が見えて、何が聴こえるのかな、と。
別にピアニストじゃなくて、音楽家であれば私はいいし。
曲作る時間も出来そうだしなあ・・と。

もしも私が子供の頃にあの森があっても(あったんだけど)、
学校と練習で忙しくて、そこの息吹をゆっくり感じる暇もなかった。
その時間を取り戻したい。
もちろん音楽の中にも自然の全てがあるけれど、
本物の自然にはかなわない。
いや、本物の自然こそ音楽だと思うのです。
な~んだ、ピアノ弾かなくても音楽あるじゃない、と。

そんなことを今ちょっと、ほぼ毎日考えてます。

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2011年2月10日 (木)

180°south (ワンエイティ・サウス)

180そして渋谷には頑張ってるミニシアターも多いです!
今日はシネクイントへ。

環境問題へのアプローチ方法は色々あると思いますが・・
この「180°south」は、一人のアメリカ人青年が南米パタゴニアへ向かった旅の記録から、’本人も予期せぬかたちで’環境問題と遭遇するという、異色のドキュメンタリーです。旅人と同じ目線で、「いま南米(地球)で起きていること」を考えさせられる興味深い作品でした(特に、イースター島にまつわる話)。
もちろんロードムービーとしても面白い!

彼がこの旅を決行した動機は、アウトドアのブランド「パタゴニア」創業者イヴォン・シュイナードと、「THE NORTH FACE」の創業者ダグ・トンプキンスの二人が、1968年に向かったパタゴニアへの旅。その’伝説の旅’を追体験したいという個人的な憧れからなんです。
基本的にアウトドア・スポーツ派とは言えない私が言うのもナンですが(^^;)、
実はパタゴニアという会社には、以前からとてもシンパシーを感じていました。
The NORTH FACEのダグは、この映画で初めて知りましたが、
彼の言葉にも体験者としての重み(真理)があります。
対照的な雰囲気の二人ですが、どちらもヨガで言う’グル’みたいな存在。
利己的だったり、頭だけだったりの人とは一線を画している。
特に物質主義に見切りをつけ、ストイックに環境保護に私財を投じるダグは、
どこから見ても本物のヨギーだなと思いました。

結局、自分のカラダを使って道を極めた人はみんな同じ山を登っている。
自然に(地球に)畏敬の念がある。
リズムや調和、という言葉の本当の意味を知っている。

青年は、その無謀さ(ムチャぶり)ゆえ旅の最終目的は果たせなかったのだけど、
イヴォンはそれを「聖杯を探す旅は、そのプロセスが大事なのであって、聖杯を手にすることではない」と諭します。

まさにその通り。
いや「自分の人生には何も後悔がない」と、
70歳にして言い切れる人生を歩んできた彼だからこその言葉かもしれませんが。

ロードショーはまだ全国で続くようです。
インドア派の方も是非観て欲しい。
私個人としては、今日生まれてはじめて「サーフィンやってみたいかも」と思いました。
波って、地球のリズムですものね。
それに乗れるなんて、きっと気持ちのよいことなんだろうなあと。
これぞヨガだもの。

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2011年2月 8日 (火)

さよなら、シネセゾン渋谷

Photo昨年の道玄坂ヤマハ店に続き、今月は同じく道玄坂にあるシネセゾン渋谷が閉館します。
どちらも自分にとって縁の深かった(仕事場だった)場所。
これも時代の流れですね。

大学卒業後、(株)シネセゾンに入社して、最初に出向したのは新宿文化シネマでした。ここで私が最初に担当した仕事は、ポップコーン売りだったかな(^^;)。まだ入れ替え時にアイスクリーム売りの少年がいた時代でした(って、すっごい古い話みたいだけど 笑)。
もともと映画マニアではなかったので後から知りましたが、ここは老舗映画館としてだけでなく、あの蜷川幸雄さんが若かりし頃、ゲリラ的に芝居を打っていた文字通り新宿文化の発信地でもあったのです。
ここも今は別名のシネコンに変身してしまいました。


その次に出向になったシネセゾン渋谷では、なんだかいろんなことがありました。
映写技師のおじさんが朝来なくて、一回目の上映前にパニックになったり(笑)、
当時はとにかく予算だけは沢山あったので、無声映画や新人監督の上映会をやったり。


’芸術’というキーワードのもと、どこのミニシアターにも、

監督や女優志望の、筋金入りの若者達が働いていて(今では有名な監督もいらっしゃいました)、
本部からの出向組(会社員)だった私は、ただただ日々カルチャーショックを受けていました。
東京国際映画祭が開幕したのも、この頃です。
会社員ではなく、どこにも属さず自分の才能で勝負する。
そういう生き方がキラキラと輝いて見えた時代でもありました。

写真はフェデリコ・フェリーニ監督の「道」。
ストーリーはもちろん、俳優たちの存在感、ニーノ・ロータの音楽、モノクロの映像・・・
これは私が、学生時代に芸術映画に目覚めるきっかけとなった作品です。
この一本に出会わなかったら、卒業後に映画の仕事に就くこともなかったはず。
それまでハッピーエンドのハリウッド映画しか知らなかった私にとって、
この映画のラストは、人生の真実へ向かう最初の扉だったのかもしれません。
時代は、バブル。
周囲には上昇志向の明るくハッピーな雰囲気しかなくて、

だからこそ映画館や芝居小屋に何か答えを求めて、授業をサボってよく一人で通いました。
なんとも暗い(^^;)、逆に言えばこれもバブル的に恵まれた学生時代だったわけですね。

今の時代は、先が見えず、重く暗い。
だからこそお金を出して観る映画くらいはわかりやすく、
ハッピーで前向きなメジャー作品へと、ココロが
向かうのはよくわかります。
インドにボリウッド映画があるように。

時には難解すぎることもあるけれど、

インディーズならではの秀作に出会えるミニシアターが閉じられていくことは残念です。
でも芸術がひとつの役目を終えて、

次の時代に入ったのだということも、実感しています。
もちろん映画だけでなく、音楽、美術、舞台、すべてに言えることだということも。

■ニーノロータの音楽も秀逸。ジュリエッタ・マシーナはフェリーニ監督の奥さんにして、天才女優。
ラストでなぜザンパノ(アンソニー・クイン)が泣き崩れているのか・・それは是非、本編で。

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2010年10月21日 (木)

いま、奄美大島では

Granma_2この二日間で3か月分の雨が降り、現在、大変な被害が出ている奄美大島。被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

なぜ、この時期に奄美大島なのか・・・と。あまりに皮肉な偶然に、いえ偶然なのだろうか?と朝から考えています。

実は奄美大島では明日から「13人のグランマザー 第8回国際会議」が開催される予定なのです。現在、COP10関連の円卓会議を終えたグランマザーたちが、会場のあった愛知で奄美入りの待機をしているようです。

今週土曜日の満月には、阿佐ヶ谷のヨガスタジオでも、
会議開催同時刻に関連のドキュメンタリー「FOR THE NEXT 7 GENERATIONS(世界を癒す13人のおばあちゃん~これからの七世代と、さらに続く子どもたちへ~」の自主上映会が予定されています(私も参加します)。

関係者の皆さんは今、さぞや大変な時間を過ごされていると思います。
まずは奄美大島のこれ以上の被害拡大が無いことを、
そしてグランマザーたちが無事に現地入りできるよう祈りたいと思います。
※詳細はこちらのブログで報告されています。

実はこのイベント、すぎなみママコラボの会・小池さんから教えて頂きました。
が、蓋をあけたら先月ライブでご一緒した等々力政彦さんも共演している朝崎郁恵さんがご出演、
そして国際会議全体のプロデュースいのちの環のロゴを手がけているのが真砂秀朗さんとわかりました。(お二人とは「生きものの音」でご一緒しています)。
知るべきして知ったイベントなんだなあ、と。
阿佐ヶ谷会場のスタッフ森岡さんにも、色々メールでお話させて頂きました。

グランマザー、よい響きですね。
私はまだまだ リトルマザーですが。
願わくば、こういうおばあちゃんになりたいと思います。

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2010年9月19日 (日)

少女は闘って成長する

Photo 早稲田松竹で、コララインとアリスの二本立て。
どちらも3Dじゃなくて、2Dだったんですけど(^^;)。
春に大混雑で(高額でgawk)断念させたアリスを観たがってた娘を誘っていってきました。

早稲田松竹、考えてみれば学生以来かも。
こんなに近くに住んでいるのに、育児と仕事のバタバタで「二本立て」からは足が遠のいていました。
学生時代は、何かを求めて(授業さぼって)一人でよく来てました。往年の名画はだいたいここで観たんではないだろうか。現実からの逃避ですね(おかげで映画会社だけは就職できましたけど ^^;)。

(以下、ネタバレあり)
コララインとアリス。ヘンリー・セリック監督とティム・バートン監督の世界感って、もともと似ているところがありますが、日本では公開時期もかぶってたし、アリスの一人勝ちのような印象でした。が、映画’作品’としてはコララインに軍配が上がると思いました。文字通りフィルムの一コマ目から、エンディングロールの最後の一コマまで、世界感が完璧に貫かれてる。それはもう天晴れです。でもアリスも思っていたよりは面白かった(周囲の声が
、おおむね不評だったので)。最後に黒船に乗った実業家になるとは思ってもみませんでしたけど。

しかもこの二作品、舞台設定は違うんだけどシンクロする部分が多かったです。もしかしたらここに「アリエッティ」もかぶってくるかも。最近の少女の成長物語には「闘い」や「冒険」が必要不可欠のようですね。

 あとは鍵、扉、斜めかけバック、剣(アリエッティはマチ針)、目玉、猫....モチーフも不思議と似ているものが多い。アリスには、トトロを彷彿とさせる生きものも出てきます。後半の怪獣との闘いは まるでプリキュアのようでした。ジャンヌダルクとも言うけど^^;
世界の才能あるクリエーターのイメージが、同じ時期に同じ方向に向いていたということかもしれません。不透明で不安な世の中の空気を打ち破るのは、真っ直ぐに突き進む少女の存在なのかな。もう誰も、スーパーマンには期待していないってことでしょうか。

アリスは2Dでも結構お腹いっぱいでしたが、出来ればコララインは3Dで観たかったかも。
そしてコラライン、公式サイトもとても凝った作りです。
雰囲気を味わいたい方は、こちらだけでも是非。

コララインとボタンの魔女・公式サイト
http://coraline.gaga.ne.jp/


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