2019年11月18日 (月)

12月の予定

112 12月22日(日・冬至)14時~16時「空耳図書館のおんがくしつ~おやこの時間」@相模大野
場所:ユニコムプラザさがみはら(相模原市立市民・大学交流センター 実習室1キッチン)
 1年でいちばん短い昼に集い、いちばん長い夜に想いを馳せて「自由すぎる絵本の音あそび」を開催します。
14時30分から40分程度「絵本の音あそび」ワークショップがあります(10組)。
※ワークショップ参加ご希望の親子さんは14時から整理券を配布します(ワークショップ開催時間内も見学・出入りは自由です)
音であそぶ人たち
:コヒロコタロウ(三宅博子、小日山拓也、石橋鼓太郎)+空耳図書館(ササマユウコ)
令和1年子どもゆめ基金助成事業・読書活動

2017 【11月27日現在】聴者の募集は終了いたしました。早々のお申込みありがとうございました。引き続き、聾、CODA,中途失聴者を受け付けています。残席3名です。

12月27日(金)14時から16時30分頃 聾CODA聴「境界ワークショップ研究会」

第2回テーマ:「対話の時間」
聾CODA聴メンバーが集い「音のある|ない世界のあれこれ」をざっくばらんに話し合います。

対話参加:定員(10名)※残席3名(聾、CODA,中途失聴者のみ)
(いいね!でフォローをお願いします)
http://www.facebook.com/Deaf.Coda.Hearing

リサーチを兼ねたイベントですので、応募状況によっては聾・CODA・難聴者を優先させていただく場合がございます。あらかじめご了承ください。
プロジェクトメンバー:雫境(聾・身体)、米内山陽子(CODA,手話)、ササマユウコ(聴、音)
アートミーツケア学会青空委員会公募助成プロジェクト2017、2019

以上、主催/お問合せ
芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト http://www.coconnect.jimdo.com
tegami.connect@gmail.com(ササマユウコ)

 

 

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2019年9月28日 (土)

10月の空耳図書館

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【台風19号のため11月3日に延期になりました】

※日程変更に伴うキャンセルあり。若干名募集中⇒詳細は芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト
カフェ入門② 「テーマ:自由?」

2019年10月13日(土)13時~15時
進行役:田代伶奈
企画:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト
お問合せ:tegami.connect@gmail.com
主催:相模原市立・市民大学交流センター(第7回ユニコムプラザさがみはら)
◎詳細 Facebookイベントページにて

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【ゆる募】きのこの時間②・秋編@新宿御苑
2019年10月26日(土)10時~13時@新宿御苑
美術×サウンドスケープの思考で都会のきのこを「みる・きく・考える」時間です。
J.ケージは著書『サイレンス』の最後に「キノコに熱中することによって、音楽について多くを学ぶことができる」と言いました。
案内人:小日山拓也(美術)きのこ愛好家。北千住だじゃれ音楽研究会、芝の家・音あそび実験室メンバー。東京藝術大学油絵科卒。
    ササマユウコ(美術)サウンドスケープを「耳の哲学」に世界のウチとソトを思考実験中。コネクト代表。
◎主催:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト 
◎詳細 Facebookイベントページにて

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2019年8月21日 (水)

聾CODA聴②「境界ワークショップ研究会」のお知らせ(9月9日、12月27日)

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サウンドスケープの哲学から世界の内と外を思考する芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトでは、2017年度アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクトとしてスタートした聾/CODA/聴のコレクティブな研究会の第2期をスタートさせます。

きこえる/きこえない、言語/非言語の境界に生まれるコレクティブなワークショップの可能性を探ります。
メンバーは第一期同様に雫境(聾、舞踏家)、米内山陽子(CODA、舞台手話通訳、劇作家)、ササマユウコ(音楽家、サウンドスケープ思考)です。

◎12月27日の研究会「対話の時間」は満席です。聾CODA聴②「境界ワークショップ研究会」

◎アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019に採択されました。

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2019年7月12日 (金)

蓮の花のひらく音2019

  Workshop_image2 7月中旬、東京はお盆の季節になりました。この時期には毎年、昭和10年に掲載された朝日新聞「蓮の音論争」を軸に、日本文化に当たり前にあった「蓮の音がひらく音」が世の中から消えてしまった経緯、そして「きこえない音をきく」とはどういうことかを「耳の哲学」から思考しています。科学的/物理的に「音がする/しない」を言及する場ではなく、社会の中でひとつの文化や表現の自由が簡単に消えてしまった歴史があったこと、そこには人々が「内心の自由」を隠してしまう空気、軍国主義が背景にあったという事実を知って頂く場と捉えて頂けたら幸いです。  以下は毎年更新しながら掲載しています。・・・・

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◎過去の記事では、軍国主義が色濃くなった1930年代の国内有音派・無音派の植物学者たちが、2度の夏に渡って不忍の弁天堂前の蓮音を巡って朝日新聞紙上で繰り広げた『蓮の音論争』をご紹介しています。2017年以前の記事は、ぜひこちらのリンクよりご覧いただければ幸いです。
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今回は2018年に続き「芸術と科学」の関係性について素人なりに考えてみたいと思いました。なぜなら、この「蓮の音論争」を一方的に収束させた無音派の切り札(言葉)が「科学の勝利」で、それは実学中心の現在のアカデミズムの状況と重なってみえたからです。加えて、日常から「表現の自由」が奪われていくような「戦前の空気」ともどこか似た気配を感じます。
 20世紀は「科学の時代」と言われました。約100年前とは言え、新しい科学技術が人々の暮らしや考え方や環境を大きく変えていく感覚は、現在のインターネットやAIと向き合う私たちと大差なかっただろうと思います。因みにこの「蓮の音論争」が繰り広げられた1930年代の日本も近代化が進み、すでに不忍池周辺工場の排気による環境汚染が問題視されていました。関東大震災の復興事業や地下鉄銀座線の開通、不忍の池の周りには都電も走り、決して「静かな」世の中ではありませんでした。当時の街の「騒々しい」サウンドスケープを想像しながら記事を読んで頂けたらと思います。
 もっと言えば当時のアメリカではすでに原子力爆弾の製造法が研究開発されていて、それを知る留学経験者(物理学者たち)も国内に存在していました。大人と子どもほどの技術格差がある大国との戦争に突入していく時代を、若い物理学者たちはどのように過ごしたのでしょう。その「内心」を知ることは出来ませんし、賢い人ほど口を閉ざしてしまったのかもしれません。なぜならこの国は、いつの間にか「戦争反対」を唱えた人たちが隣人の「密告」により捕まり、拷問を受け、殺されてしまうような恐ろしい国になっていたからです。自由を謳歌した大正デモクラシーから僅か10年ほどで社会は暗く変貌し、ジェットコースターのように軍国主義に「落ちて」いきました。もしくは強国に「上がっていく」と高揚感をもって時代に臨んだ人たちも沢山いたことでしょう。大震災を経てからの時代の流れもどこか今と重なります。
 「蓮の音論争」が起きるまでは、有音派の植物学者も「非科学的」などと言及されずに存在していました。科学の中にも多様性があったのです。それが地球上に生息する蓮の花すべてを検証したエビデンスがあるわけでもなく、強引にひとつの意見に統一されていきます。「蓮の音をきく」ことは「風流すぎる」と軍国主義が嫌ったからです。そして「科学の勝利」と新聞に書かれた途端(突っ込みどころ満載の「非科学的な」実験だったにもかかわらず)、呆気ないほど簡単に「蓮の音」は社会から消えてしまいます。その冬には226事件が起き、クーデターを起こした多くの青年将校たちが処刑されます。軍国主義に舵を振り切った象徴的な年でした。
 国中の人たちが監視し合いながら「非国民」と密告されることを怖れ、「本心」を隠して大きな力に飲み込まれていきます。「勝利」を信じて(または信じたふりをして)「お国のために」すべてを差し出し、戦争に参加する道だけが残されます。国民には選択肢がないのです。戦争を視野に入れたメディア報道や教育による「刷り込み」が子どもたちに及び、「兵隊さん」になってお国のために戦うこと、命を捨てることを「美徳」として望むように育てられます。当時の朝日新聞「蓮の音論争」の記事の隣には、すでに都内で始まっていた空襲訓練を苦に一家心中した有識者家族の記事が大きく掲載されています。それはどこか「負け組」として扱われている印象があります。メディアもすでに戦争の加担者でした。
 ちなみに朝日新聞紙上で「科学の勝利」を謳ったのは「日本の植物学の父」と言われた牧野富太郎氏でした。牧野氏は音楽会をひらき自ら指揮者をするような文化愛好家の一面もありました。また東京帝国大学の’聴講生’の立場から、最終的には博士号を授与された稀有の天才科学者でもありました。この実験時にはすでに70歳を越え「権威」でしたから、科学者として「無音宣言」は正しかったのだろうと思います。さらに注目すべきは、日本中を焦土にした戦後に全く違う理由で「科学的根拠」をもって「蓮の音」をふたたび否定した人物の存在です。それは誰よりも蓮を愛し、自宅で検証も積み重ねていた植物学者の大賀博士でした。大賀博士はなぜ「蓮の音はしない」と言い切ったのか。それは「カミカゼ」という「幽音(きこえない音)」を信じて戦争に邁進した盲信的な日本の「国民性」への反省と批判があったからです。ふたりの科学者の動機はまったく違いますが、この「権威の裏づけ」は決定的でした。昭和の高度経済成長期は「日進月歩」の科学技術の恩恵を受けていたので、この国の人たちはふたたび「蓮の音をきく文化」を忘れてしまったのです。気づけば芸術さえも「科学的であること」「ロジカルであること」が求められるようになりました。論拠の弱いモノ・コト・ヒトは排除する。「非科学的」であることと「言葉にできないこと」が同義として語られ、逆に言えば「言葉にできること」だけが世界のすべてになっていきます。
 そして2011年3月。衝撃的だった「想定外」の言葉とともに人類史上最悪の原発事故が起きました。その事故の背景には「ブレーキのない自動車を走らせる」ような杜撰な「最先端科学技術」の実態も見えました。そして事故から10年足らず、まだ何も解決していないどころか事態は悪化しているにも関わらず科学技術は現実逃避のようにAIに邁進し、ブレーキを開発出来ないまま再び原発すら動かそうとしています。その「非科学的な」背景にはいったいどのような思考があるのでしょうか。
 芸術と科学は本来、岡本太郎が提唱した「調和は衝突」の関係性にあるのだと思います。もともとは森羅万象、言葉に出来ないことも含めてひとつの学問だった。科学者の言う「想定外」は、芸術にとっては必要不可欠な「イメージの力」です。現代科学が到達できない「非言語」の領域を補えるのが芸術、科学の社会的な暴走を抑えるのは倫理や哲学です。「科学的なデータ/数字」が社会を息苦しくすることもあります。なぜなら「科学的根拠」も決して「正解」ではないからです。それは未曽有の原発事故が教えてくれました。
「蓮の音を聞いた」と言う人を「非科学的である」と言葉で封じ込めるような権利は、実は誰にもないと考えます。百歩譲って科学に寄り添っても、この広い世界には2000種類以上の蓮が存在し、土壌や環境、蓮の生命力の個体差も含め、すべての可能性を「ゼロ」だと実証することは不可能だと思うからです(あの大賀博士さえ検証は70種類ほどでした)。「想定外」の存在を否定せずに柔らかに想像の翼を広げること。社会全体がイメージすることを止めてしまった時には戦争が待っているかもしれない。それこそ想定外の時代がやってくるかもしれないことを、「蓮の花の音」をめぐる歴史が教えてくれるのです。
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追記)つい先日、音楽文化団体であるJASRACが音楽教室に「調査員」を2年間に渡って忍ばせていたニュースが注目を集めました。20年来この団体と契約している自分にとってそれは驚愕すべき、悲しむべき事態でした。文化や音楽家の正当な権利を守るはずの団体が、おそらく上記のような歴史を知らず(知っていたら大問題ですが)、日常に「密告者」を送りこんでしまう。その無自覚な綻びから社会の空気はあっという間に変わってしまいます。団体の在り方には内側からも積極的に疑問の声をあげていきたいと思います。それが例え小さな声であっても。
参考文献:『朝日新聞』昭和9年、10年、『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー、今田匡彦、春秋社)
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芸術と学術、人と人。つなぐ・ひらく・考える「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト
代表:ササマユウコ記

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2019年3月28日 (木)

ササマユウコ活動情報

 1 ササマユウコの活動情報は以下のSNSやホームページからご覧いただけます。
Yuko Sasama
1964年東京出身。4歳よりクラシックピアノを10歳より楽典を学ぶ。都立国立高校、上智大学文学部教育学科(教育哲学、視聴覚教育)卒。大学卒業後は日本初の一芸入社(音楽)でセゾン文化メディア総合職に。映画配給と音楽活動の並走から紆余曲折、2001年神楽坂BEN-TEN Records設立。ひとりインディーズレーベルの先駆け。全6作品は全国販売を経て2007年よりN.Y.The Orchard社より世界各国で聞かれている。Spotifyで累計80万ダウンロード以上。
2011年の東日本大震災・原発事故が「音楽とは何か」を考え直す転機に。同年よりカナダの作曲家M.シェーファーのサウンドスケープ論を耳の哲学として研究(弘前大学大学院今田匡彦研究室2011~2013)。同時期に町田市生涯学習部まちだ市民大学の企画運営担当。この経験を活かして2014年芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表。芸術と学術を「つなぐ・ひらく・考える」視点から21世紀のリベラルアーツとしての芸術活動を実践考察中。

◎ホームページ
・ササマユウコ個人 www.yukosasama.jimdo.com
・BEN-TEN Records www.bentenrecords.jimdo.com
・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト(代表ササマユウコ) www.coconnect.jimdo.com

◎Facebook
・ササマユウコ個人 @yukosasama.7
・即興カフェ    @improcafe
・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト @coCONNECTnet
・聾/聴の境界をきく @Deaf.Coda.Hearing
・生きものの音 @ikimonono.oto
◎Twitter @lifeasmusic
◎Instagram @yuko_sasama

◎リベラルアーツとしての音楽教育でこんなことが出来ます。
サウンド・エデュケーション(専門知識・経験を必要としない音のワークショップ・音の散歩)、即興
演奏ワークショップ、サウンドスケープ論(耳の哲学)レクチャー、執筆等のご依頼など。※ワークショップには専門知識や音楽経験は必要ありません。コミュニケーション、環境学習などへの応用も。
 tegami.connect@gmail.com までお願いいたします。

所属学会:日本音楽教育学会、アートミーツケア学会、日本音楽即興学会
最近の執筆:音楽教育実践ジャーナル(『内と外を柔らかにつなぐ耳~音のワークショップ、あるいは気づきのあるプロセス』2015.3月号 査読付き論考)、音楽教育学、東京迂回路研究(「耳の哲学/詩の考察」)など。
最近のプロデュース企画:即興カフェ(サウンドスケープの哲学から新しいオンガクを実験する)、空耳図書館(哲学カフェ、非言語読書会)、協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」
助成歴:アートミーツケア学会青空委員会、日本音楽即興学会

写真左上から)即興カフェ(2018.8.17下北沢Halfmoon Hall 雫境、ササマユウコ、鈴木モモ)|空耳図書館(ベビーフェスタNPO法人らいぶらいぶ)|即興カフェ(音と言葉のある風景2018.1.20 Haden Books ササマユウコ、國崎晋、石川高、鈴木モモ)|(下左)カプカプ祭(横浜市ひかりが丘団地 福祉作業所)|座談会@下北沢B&B「生きることは即興である~それはまるでヘタクソな音楽のように」(若尾裕、新井英夫、ササマユウコ)森で音探し(音の散歩)
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2019年1月14日 (月)

哲学のこと 『世界の調律~サウンドスケープとは何か』

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(テツガクのおはなし)
サウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを実験する音楽家のプロジェクト「即興カフェ」。って?

 今回は即興セッションを交えて音×言葉の風景を編んでいきます。風変わりな哲学カフェ。「哲学」は明治以後に翻訳された言葉で一見とっつきにくいですが、簡単に言えば「考える」こと。今回のテーマは節分の「鬼は外、福は内」と、シェーファーがサウンドスケープ論をデュオニソス的音楽観(内なる音)ではなく、アポロン的音楽観(外なる音)と定義したことに由来します。しかも上からでも外からでもない「内側からのサウンドスケープ・デザイン」をしなさいと。ん?ウチはソト、ソトはウチ??ちょっと禅問答みたいですね。そしてなぜシェーファーはあえてアポロンの神に振り切ったのか??そもそも音楽にはウチとソトがあるの?そのあたりの謎も即興セッションを交えて楽しく実験しながら考えたいと思います。~「即興カフェ」FBイベントページより

・・・・・ 『世界の調律~サウンドスケープとはないか』が残念ながらいつのまにか絶版になりましたが、アマゾンは入手可。1986年の邦訳出版に至るまでには当時の東京藝大の若い研究者たち(今は第一人者)、そしてセゾン文化に貢献し、交通事故で夭折した作曲家・芦川聡さんの存在がありました。原版から40年経ちますが今でも十分示唆に富む、むしろ古くて新しい21世紀型の学際的視点が詰まっています(本文では境界領域的と記されている)。未読の若い世代にこそ、ぜひ読んで頂きたい一冊。この年には前出の芦川聡遺稿集『波の記譜法 環境音楽とはなにか』も翻訳者たちを中心に出版されています。こちらも入手可です。
86年には赤瀬川原平さんがバブル時代の遺構を「トマソン」と名付けた路上観察学会も発足しました。昭和の最後、全国での再開発、環境破壊が続くバブル全盛期だったからこそ、芸術の中から生まれた視点です。
実は87年に日本初「一芸入社」(音楽)で大学卒業後セゾン文化に就きました。しかし当時ではなく、その後の2011年の東日本大震災・原発事故以降で運命の扉が開いたのか、上記の先人たちと一気につながっていきました。その出会いも次世代につないで行きたいと思っています。

Fb


◎お申込み受付中 お申込み:improcafe.yoyaku@gmail.com

興カフェVol.7『節分前夜|ウチはソト、ソトはウチ』

2019年2月2日(土)15時から17時30分開催
実験者:石川高(笙、古代歌謡)、鈴木モモ(ストリングラフィ)、國崎晋(secret)、ササマユウコ(ピアノ)
場所:四ツ谷サロンガイヤール 
参加費:予約2500・当日3000円 学生2000円 日本音楽即興学会会員2500円
助成:日本音楽即興学会
企画:即興カフェ Produce:Yuko Sasama Curate:Momo Suzuki
主催:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

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前身の第1回「音楽×やさしい哲学カフェ」(講師:今田匡彦(弘前大学)@日本橋DALIA)さんから今までの会場の様子です。
毎回、テーマやゲストで雰囲気ががらりと変ります。初めての方でもお楽しみいただけます!

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2019年1月 4日 (金)

2019年もどうぞよろしくお願いいたします

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 2011年3月からの日々は本当に人生の大きな転換期だったと思います。町田市生涯学習部と弘前大学今田研究室を並走しながら、2014年に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト設立。その間に『生きものの音』プロジェクトは10年、そして初CD『青い花』からも20年という時間が経ちました。即興カフェ、空耳図書館、聾者の音楽、路上観察、カプカプ、、「サウンドスケープ」を耳の哲学に素敵な出会いや時間が次々と生まれていきました。2019年も引き続き、この時間は続きます。高齢者と受験生、日々の課題もきっと大きな音楽となって活動と響き合っていくことでしょう。
変ること、変わらないこと、変わらねばならないこと、変えたくないこと・・時代の変わり目を、しなやかに乗り切っていきたいと思います。生きることは即興である!

皆さま、よき1年をお過ごしください。

音楽家・ササマユウコ
www.yukosasama.jimdo.com
www.coconnect.jimdo.com

Photo

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2018年12月21日 (金)

CD「生きものの音」10周年記念 ダイジェスト版完成

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CD『生きものの音』発売10周年記念ダイジェスト版(15分) 
音源はこちら→

10年前、調布の森にジャンルを越えたアーティスト(真砂秀朗、ササマユウコ、等々力政彦)とエンジニアが集いました。CD『生きものの音』は2日間に渡ってこの森で心を研ぎ澄ませ、即興的に音を紡いだサウンドスケープの記録です。森の音風景に耳をすます|ひらく、時間の流れや呼吸に寄り添う、音や楽器の多様性を受け入れる。洋の東西をつなぐと、そこには唯一無二の「境界のオト」が生まれました。ラオスの手漉き紙と手仕事で現地制作された限定盤ジャケットにはオトと響き合うモノの確かな存在感がありました(現在は印刷版ジャケットのみですが、こちらも美しい)。
この10年間で音楽出版はデータ配信が主流となり、手元の音楽が世界中で受け入れられるダイナミズムが実現しました。だからこそ、オトとモノ、音楽と美術のコラボレーションCDはとても豊かだと感じます。ゆっくりと時間をかけて、人から人へ作品が愛されて渡っていくことの確かさ。実はこの作品はデータ配信をしていませんでしたが、お陰様でCDは完売間近だということです。ここからは「オトを残す」ことも視野に入れ、CDとはまた違うかたちで聴いて頂く機会が増えていくかもしれません。しかし原点はこのオトとモノが作り上げたひとつの世界観です。自分も今回久しぶりに聴いてみて(自分の至らなさには目をつぶり)、当時のエコロジカルな社会の雰囲気を色々と思いだしました。そこから今日までの10年間、本当に想像もしなかった出来事や天災が続き、メンバー個々にも人生の変化があって、今はあの日からの遠い未来にいると感じています。しかし、つながっている。アーティストが自由であること、誰もが自分の音や歌を、存在を自由に表現でき、受け入れられること。そんな当たり前の素敵さを、この1枚の音風景から少しでも感じ取って頂けたら幸いです。
 今回の ダイジェスト版を聴いて気になった方は、CDの入手も僅かに可能ということですので、完売前にぜひ以下までお問合せください。即興性が高いので、1曲の中でも音の風景が時間とともに移り変わっていきます。全曲通して聴いて(感じて)頂ければ嬉しいです。そしてここからの「遠い未来」のどこかで、また気まぐれに第2作が生まれたらいいなとも思っています。
メンバー、スタッフを勝手に代表して・・・「生きものの音」10年目の言葉とさせて頂きました。(サ)

『生きものの音 ikimonono oto』
演奏:真砂秀朗(Hideaki Masago)
・ササマユウコ(Yuko Sasama)
・等々力政彦(Masahiko Todoriki)(2007年録音 仙川・森のテラス)
録音:石橋守(Mamoru Ishibashi) 
ジャケット制作:石井寿枝(Hisae Ishii)
サウンド・プロデュース:BEN-TEN Records(Yuko Sasama)
版元:Ikimonono oto project

□お問合せ 「生きものの音」プロジェクト ikimononooto@gmail.com

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2018年11月 1日 (木)

「即興カフェ」からのお知らせ

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ササマユウコがプロデュースする「サウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを実験する 即興カフェ」から

【お知らせ】
①8月17日に実験した「真夏の夜に|言葉のない対話」の12分版動画が11月末までの期間限定で公開されています。www.facebook.com/improcafe

いわゆる「パフォーマンス」や「表現」ではなく、あくまでもオンガクと言葉の間、聾と聴の間にある「境界」で非言語の対話を目指しています。ただしこうしてみると、演奏や物語に見えてくるから不思議です。

対話した人:雫境(聾の舞踏家)、鈴木モモ(ストリングラフィ)、ササマユウコ(ピアノ)
手話通訳:米内山陽子(劇作家)
協力:松波春奈

②次回『即興カフェ Vol.7」は2019年2月2日(土)15時30分から開催予定です。今年1月20日に開催した「音と言葉のある風景」第2弾として「即興前夜|ウチはソト、ソトはウチ」を予定しています。
出演:石川高(笙・古代歌謡)、鈴木モモ(ストリングラフィ)、國崎晋(シンセ)、ササマユウコ(ピアノ)
助成:日本音楽即興学会

※詳細は11月後半にSNS等で告知していきます。どうぞよろしくお願いいたします。

即興カフェ  Produce:Yuko Sasama Curate:Momo Suzuki
お問合せ:tegami.connect@gmail.com (芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト内)

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2018年9月 2日 (日)

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表として

この秋は2014年に立ち上げて5年目に入った「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」の活動をふりかえる機会がいくつかあります。以下の文章は専用Facebookに掲載して反響も大きかった記事なのでこちらにも転載します。「場の在り方」を通して自分の頭の中にあるサウンドスケープを提示してきたつもりはありますが、その場で言葉で伝えることはあまりしてこなかったのかなと。だから肩書「音楽家」なんだけど...とも思いつつ、やはり世界は言葉で出来ていることをあらためて実感する今日この頃です。ちなみに今後は非言語コミュニケーションを中心に考察するだろうことはかなり明確に見えてはいるのですが、またこれも難題です。サウンド・エデュケーションについても弘前大今田研究室の最新研究と連動しながら、音楽教育の新しい視点も紹介していけたらと思っています。

2018コネクトには時おり若い研究者(の卵)やアーティストが訪ねてこられます。昨日も「言語人類学」の領域から手話や音楽を研究する東京大学の院生さんが遊びに来て下さいました。私の「頭の中を知りたい」ということで、さてこれがなかなか難しい。有機的につながっていく活動の「音の風景(サウンドスケープ)」を言葉化することに3時間苦戦しました。反対に「インタビュー」して頂くことで思考が整理されていくことも多々ありました。なので、今後インタビューは積極的にお受けしたいと思いました(笑)。
 2014年に立ち上げた「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」は、もともと2011年の東日本大震災を機に弘前大学大学院今田匡彦研究室でサウンドスケープ(耳の哲学)研究を始めた音楽家・ササマユウコの実践拠点としてスタートしました。オフィスは相模原市立市民・大学交流センター内にある任意団体です。公共施設を拠点に選んだのは同時期に「まちだ市民大学」に仕事で関わり「さがまちコンソーシアム」の存在を知ったという経緯もあります。
 コネクトは「つなぐ・ひらく・考える」をテーマにプロジェクトごとにチームを編成する「中心点」のような存在です。当初は民官の中間支援的な活動も考えましたが、サウンドスケープの内側=市民(アーティスト)主体で小回りが利く有機的な活動の在り方を模索しました。今年度は地域活動を視野に入れたアーティスト・イン・レジデンスに沼下桂子さん(女子美術大学版画研究室講師)にも関わって頂いています。
 大学と団体よりは、研究者と芸術家、顔の見える「個人と個人」のつながりを大切にしています。その小さな活動の密度に、今の時代に置き去りにされがちな「個の力」の可能性を感じます。外からはなかなかわかりづらいですが、この「個」が「音の風景(サウンドスケープ)」のように編まれている活動だとご理解頂けると嬉しいです。これは弘前の研究室がここ数年掲げている「小さな音楽」という概念に共鳴しています。
 これまでの主なプロジェクトには、「路上観察学会分科会」(異分野アーティスト交流)、「空耳図書館のはるやすみ」(子どもゆめ基金助成事業)、「即興カフェ」(新しいオンガクの実験)、「協働プロジェクト 聾/聴の境界をきく」(2017アートミーツケア学会青空委員会助成公募プロジェクト)
等があります(活動開始順)。第一線で活躍するアーティストや研究者たちが分野を越えて「境界」に集まることで柔らかな場が生まれています。この他にも自治体の「音のワークショップ」等を個人的にお受けしていましたが、この1年くらいで個人活動とコネクトが不可分な存在になってきていると感じます。
 あくまでもその在り様(音風景)が「オンガク」であるように。もちろんそこには「ノイズ」も含まれますし、それこそが豊かさや多様性にもつながります。ではそのオンガクとは何か?何がオンガクか?というお話は、長くなりますのでまたどこかで機会を持ちたいと思います。長文失礼いたしました(サ)。

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芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトの活動にご興味のある方は以下サイトのメール・フォームよりお問合せください。

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