2016年6月14日 (火)

ササマユウコ/Yuko Sasamaホームページ移転中です。

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□6月いっぱいで旧サイトのサービスが終了するということで、急遽ササマユウコのホームページの移転作業に入っています。ちょうど「ふり返り」の時期なのかなと思っていますが、予定外だったのであたふた・・。

2011年の東日本大震災以降、水面下で「音を出さない音楽」と向き合ってきたササマの「イマココ」がわかるサイトになると思います。
まだ表紙しかできていませんが、2011年以前の活動アーカイブも含め徐々に移行していきますので、時どきのぞいてみてくださいね。

□新サイトhttp://yukosasama.jimdo.com/ 

 

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2016年1月18日 (月)

「バウルの歌を探しに~バングラデシュの喧騒に紛れ込んだ彷徨の記録』

Photo_22011年以降、何となく学術書ばかりなのでお正月は少し肩の力を抜いて、こちらを選びました。著者の川内有緒さんは音楽のライターではなく、日芸出身の元国連職員。その少し変わった経歴の持ち主で既婚の彼女が、友人のカメラマンと共にバングラデシュに吟遊詩人「バウル」の歌を探す旅に出た2週間の記録です。

実は数年前の夏に、「バウル」の歌を六本木ヒルズの野外ステージで聞いたことがありました。この本を読んで知りましたが、その時はバングラデシュではなくインドのバウルだったようです。ステージでは男性が歌、横の女性はチべタンベルでカシャカシャとリズムを取っていました。しかも女性(妻)が日本人だったので強く印象に残っていましたが、彼女はこの本にも登場する方だと思います。その夏のイベントは、バウルのほかパキスタンやトゥバからも演奏家を招き、今思えばとても贅沢なステージでした。マイクを通して六本木のビルの谷間に響き渡るトゥバ喉唄(しかもフンフルトゥの彼)やパキスタンの太鼓は、もはや音の凄味だけで通りがかりの人たちを魅了(というか圧倒)していました。私も同じステージを、二度目は家族全員で聴きにいきました。久しぶりに耳にした何とも力強い「生命力」の宿る音楽でした。

この本でも何度か触れられていますが、そんな中で「バウルの歌」は比較的地味な印象だったと記憶しています。ただし「吟遊詩人」と言われる彼らの佇まいや衣装は、寺山修司の芝居や昭和のATG映画に登場しそうな、少し浮世離れした独特の雰囲気がありました。歌も商業や観光用の音楽とは別物ですし、「民謡」のように土地に根差して歌い継がれた音楽ともどこか違う。その時は歌詞の意味がわからなかったので、これはあくまで「耳」の印象です。しかしこの本であらためて歌詞の意味を知ると、これは「歌」というよりも、祈りや預言や哲学的な隠喩なのだとわかり、「バウル」に俄然興味が出て来ます。さらに「貧しい国」と言われるバングラデシュの人たちが、実は哲学的な議論を好む国民性だということも興味深かった。「貧しい」のはあくまでも経済的視点からであって、オープンに哲学の議論ができるこの国は、実はとても豊かだと思わずにはいられません。何でも経済を優先する日本では電車の中で見知らぬ人と哲学を論じることも、「吟遊詩人」として生きる自由も認められていないと感じるからです。

結局、なぜ人が境界線を越えて「バウル」になるのか、そもそも「バウル」とは何か。多くの謎が残されたままこの旅は終わります。しかし「ミュージシャン」と「バウル」には微妙な線引きもあって、長年口承で受け継がれてきた哲学を守って生きる人たちを「バウル」と呼ぶのだろうという示唆もあります。私自身、インド大使館で2年ほどヨガを学びましたが、その哲学との共通性も感じます。音楽(歌)はあくまでも本物のバウルやヨギー(ヨギーニ)に、もっと言えば「本物の自分になるための」修行のひとつと言えるのです。
著者である川内さんの旅の‘きっかけ’は「バウルの歌」でしたが、旅の’本当の目的’はご本人も旅をしながら気づいていくものでした。ですからこの本の魅力は、文化人類学や民俗音楽学的な考察ではなく、むしろ「ノープラン」で進んでいく想定外の連続、その旅のプロセスにあります。時間の流れそのものが旅であり、即興音楽のようでもある。まさにバウルの生き方を追体験していくような感覚を、わくわくしながら味わうことが出来ました。

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2015年12月 1日 (火)

アートミーツケア叢書2『生と死をつなぐケアとアート~分たれた者たちの共生のために』

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以下は、アートミーツケア学会会員である筆者の個人的なナラティブを交えた〈非学術的な〉感想文です。

●本書の詳細についてはこちらを ご覧ください。

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 「そういう年齢になった」と言い切ってしまうにはあまりにも「生」や「死」について考えたり、話したり、何より「聴く(語られる)」ことの多い一年だったと思うし、その状況はいまも続いている。しかもその「生き死に」は私の内側ではなく外側の世界だけれど、まぎれもなく同じコミュニティに属する者として、普段は特に意識せずに「自分とつながっている人たち」の物語でもある。
 もともと筆者自身も出産事故で命を落としかけていて、心身ともに「死」を経験したような感覚が残っている。明らかにそこに今の自分の死生観があり、「死」に対して抱くのは「恐れ」よりも「畏怖の念」である。むしろ本当に「怖れ」ているのは、両親を始め、自分の内側の世界にいる身近な人たちの「死」であり、それを引き受けていく度量が自分にあるだろうかという「心許なさ」だったりする。
 昭和の新興住宅地には驚くほど「死」の影が見当たらない。バスの乗客が90%は高齢者だと感じてもシルバーシートだけは空席という状況なので、住人たちにも「老い」という時間の流れが自覚され難い環境なのかもしれない。同じ住宅地に暮らしていても、いつの間にか姿を見かけなくなったと思ったら、その人の「死」にまつわる手続きが済んでから回覧板で告知され驚くということもめずらしくない。子どもの頃はまだ町内で「葬儀の手伝い」もあったと記憶するが、今は本当にない。亡くなった場所が病院や高齢者施設ではなく自宅であっても、葬儀は家族だけでひっそりと斎場で行われ、周囲が気づかないうちにその人の痕跡が消されていく。中には旧い友人が久しぶりに家を訪れたら、自宅がすっかり更地になっていたり、売りに出されたりしていて驚いたという話もきく。入所した施設がわかっても、個人情報の関係で電話を取り次いでもらえない。ある日突然、本人の意志とは関係なくコミュニティからつながりが断たれてしまうのだ。
 その一方で、「徘徊する人」を探すアナウンスが時おり防災無線で市内に一斉に流される。たとえば、「〇○町にお住まいの〇〇さん76歳が、昨夜9時から行方がわからなくなっています」といった具合に。耳にしてしまった方は朝から何となく落ち着かない。特に「無事に戻られました」のアナウンスがあるまでは、心のどこかで見ず知らずの「〇〇さん」が家に戻ったか否かを気にしている。「戻られました」のアナウンスが無いと、その背後に隠れた「死」すら想像してしまう。しかし一方で、すでに耳の遠くなってしまった在宅の高齢者たちには、そのアナウンスも届いていない。2011年3月末に、子どもの頃に暮らした都市郊外に拠点を移してから、本当に何度も耳にしているアナウンス。かつてみんなが想像した「未来」からは想定外の「サウンドスケープ」が新興住宅地を包み始めている。
 阪神淡路大震災でのボランティア経験から哲学者・鷲田清一氏が提唱している「臨床哲学」が通奏低音にあるアートミーツケア学会に、縁あって東日本大震災後から所属している。昨年訪れた奈良・たんぽぽの家が母体になっていることも大きいが、それ以上に「いま、私が学びたいこと」がここにはあると直感的に思っている。案の定、学会には弘前の研究室をはじめ現在の研究テーマとつながる人も多く、2011年以降、今井裕子として主に日本音楽教育学会で研究発表を続けてきた「内と外を柔らかにつなぐ関係性」としてのサウンドスケープ思想や、実践考察の一環であるCONNECT/コネクトの芸術活動は、これからさらにケアや臨床哲学ともつながっていくだろうと予感している。
 この叢書2は「共創」の場としての寺、表現者の言葉として映画監督・河瀬直美、南三陸町のアートプロジェクト、都市コミュニティの拠り所「芝の家」、「亡くなりたいと欲している身体」や人と対峙するホスピスケア、瀬戸内国際芸術祭の国立療養所大島青松園での取り組み「つながりの家」といった様々な事例を、当事者たちのインタビュー、つまりは「内側からの言葉」で興味深く紹介されている。もちろん紹介されている事例報告は、その先にある「死」を考える入り口であり、ひるがえってそれは「生」を考えることとなる。内と外がつながり、日常(生)の地つづきに非日常(死)があるのだと気づく「媒体」としてのアートの役割とは何か。自己を表現する芸術作品のみならず、「アート」とは本来「生きるための技」なのだと気づくことで「救われる」こと。「ケアとアート」は不可分であるからこそ、過去も未来も視野に入れた「長い時間軸」で人生を捉え直し、「見えないもの」に畏敬や畏怖の念を抱きながら、その両方から生きる知恵を学ぶ。人生は「私」を超えた想定外の連続性だと受けとめ、謙虚に生きることの大切さを知る意義は大きい。
 あれから5年が経とうとしている今も、「想定外」というコトバを耳にした時の衝撃が忘れられない。自然(身体)を畏れない、という芸術と切り離された近代以降の科学の思考回路が正直「怖い」と思った。料理のように細胞を組み換え、子どものような無邪気さでヒト型ロボットを組み立て、不老不死すら実現しようとするその「万能感」に、生きものとしての危うさや不自然さを感じてしまう。その感覚は時代遅れで無知だと言われるならば、私はそのコトバを甘んじて受け入れたいと思う。
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〇本書を読み終えた直後、水木しげるさんの訃報を知りました。妖怪を通して「外側の世界」の存在を、また失った片腕から戦争の恐ろしさを教えてくれた貴重なアーテイストの死。昭和がまたひとつ終わったのだと思いました。ご冥福をお祈りします。
 

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2015年10月11日 (日)

オノ・ヨーコ『どんぐり』

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もともと『グレープフルーツ(ブック)』は、私が生まれた1964年に500部だけ自費出版された手作りの詩集。デザイナーの知人が「古本屋で面白い本を見つけた」とザラ紙に文字びっしりの小さな本を貸してくれたのが30年近く前。霧で帰りの飛行機が飛ばなくなった夜行列車の中だった。
その本が後の「イマジン」となり、過去を遡ればジョン・ケージにつながるという不思議。ニューヨークのグッゲンハイム美術館SOHOで、偶然展示されていた原稿用紙に鉛筆で書かれた子どものような文字原稿を見たとき、私もいつか500部だけ自費出版でCDを作ってみようと決意した。
それから最初の『青い花』まで結局10年近くかかり、そこから予想外の出会いが続き5枚のCDにつながり、いまは花という娘の母になっている。その間に『グレープフルーツ』は『グレープフルーツ・ジュース』となり世界中で出版され、『青い花』も地味ながら今もニューヨークから世界各地に配信されている。日本よりも先にあの街が声をかけてくれたのが面白い。

あの時、飛行機が無事に飛んでいたら出会わなかったかもしれない『グレープフルーツ』。50年ぶりに刊行されるオノ・ヨーコの詩集は、まさにあの本を踏襲しているという。M.シェーファーの『世界の調律』しかり、自分の生き方を内側から変えてしまうような一冊の本との出会いがある。「想像しなさい」と語りかけられた時、私は想像力こそが人間が人間である証なのだと知った。‘想定外’なんてあり得ない。あってはならないのである。

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2015年9月24日 (木)

『音楽療法を考える』  若尾裕

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いわゆる「音楽療法」に初めて‘遭遇’したのは1990年頃に都内で開催された音楽イベント内のデモンストレーションだった。まだ国内では「音楽療法」というコトバ自体がめずらしく、障害者/高齢者、どちらを対象にした「場」だったか記憶が曖昧なのだが、主催の関係者で車いすの方も数名参加されていたように思う。空き缶に小豆か何かを入れた手作りのシェーカーが全員に手渡され、それを鳴らしながらインカムマイクを付けた音楽療法士に合わせて、皆で童謡を何曲か歌った。いま記憶にあるのはマイクを通して会場中に響き渡っていた音楽療法士の元気な歌声だけだ。その頃、身を置いていた「オンガクの場」とは大きくかけ離れた‘質感’に、なんとも馴染めず戸惑ったのを覚えている。アプローチの方法も幼児教育の印象と違わず、「何が」音楽療法なのか正直よくわからなかった。その第一印象のせいか「音楽療法」と呼ばれる世界とは、それからしばらく心理的な距離ができてしまったように思う。
まだ黎明期/導入期にあった国内の音楽療法は、おそらく各所でさまざまな「誤解」を生んだまま、音楽関係者を心理的に遠ざけていた時期が長かったのではないか。バブルが陰りを見せたとはいえ、まだ音楽(芸術)が社会から自由になるための手段と考えられていた時代である。社会全体も浮足立ち、音楽には華やかで明るい世界を求めた。「福祉」や「ボランティア」というコトバさえ毛嫌いする人がいたほどだ。音楽療法は専門楽器も少なく、現場の認知度も低く、条件が整わずに経済性の問題もあったことだろう。もちろん専門教育も追いついていなかった。残念ながら「オンガクの場」としては一段‘低く’扱われてきた印象は否めない。

しかし、それから四半世紀近く経った2015年の現在はどうだろう。以前ご紹介した映画『パーソナルソング』を始め、今や「音楽療法」は科学や医療の現場からも注目されている。都市郊外にも音楽療法を目的にした音楽教室やデイサービスをあちこちで見かけるようになった。音楽を媒体に人が集う場が生まれることは良いことだ。しかしここでの「オンガク」は既に芸術ではなく、目的や結果を期待された‘道具’である。‘オンガクは認知症の特効薬である’といった新たな誤解も生まれるだろう。いったい、音楽療法の「オンガク」とは何だろうか。個人的には「根源的な生きる喜び」を、高齢者・障害者・健常者、年齢性別の区別なく、人間が生あるものとして失った何かに音楽を通して気づき、それを取り戻せるような「場」と「時間」であってほしいと思っている。それは本来、専門的な音楽療法士でなくても、音楽家なら誰にでも創りだせるものであれば理想的だ。
筆者は7年ほど前から、病院内のホスピスで年始めのボランティア・コンサートを続けさせて頂いている。コンサートを仕切っているのは、病院に所属する音楽療法士とボランティアの皆さんだ。ボランティアの中には、ご自身の病後の言語リハビリで司会を引き受けて下さった方もいた。ホスピスという繊細で特殊な場での演奏には約束事も多い。「大きな音での演奏は禁止」であり、「あたり障りのない話題以外は口にしない」等。いかに大きな音を出すかに意識が行きがちな演奏家にとっては、コンサートとは正反対とも言える心遣いを知り「音楽療法」の入り口に立つ機会となる。自分の出す音をその場に「調和」させていく。聴く人の体調を考慮して音量や音質、何より場の空気をつくる。
先行している美術界のアール・ブリュットやアウトサイダー・アート、リレーショナル・アートには、音楽には無い魅力を感じると同時に、なぜこれが音楽では叶わないのだろうと考えた時、あらためてクラシック専門教育(特にヴィルトォーゾ養成)のもつ‘特殊性’を憂えずにはいられない。演奏家のポスターが、ご本人の人柄はさておいて一概に「ドヤ顔」であることと無関係ではないだろう。しかし優れた演奏家が優れた音楽療法士とは限らないのもまた真である。音楽教育を「全的教育」と捉えたシェーファーが40年前に記した『世界の調律』で、サウンドスケープが社会福祉につながると示唆している。それは現代のサウンドスケープ研究においても非常に注目すべき点である。

さらにコンサートではなくワークショップとなると、特に福祉の場はよりプリミティブで創造的かつ即興的な時間となる。その‘オンガク’は専門性の外にはあるが、各自の内面から確かに生まれたキラキラとした生命が宿っている。音が技術で手慣れてしまわず、鮮度を保ち続ける奇跡のような世界。筆者はずっとその奇跡を「無修正一発録音&即興」のCD制作に求めていたが、録音現場には想像を越える緊張感が生まれ、演奏家にとっては命を削るような作業になって本末転倒と感じた。しかし身を削る思いで作った作品が、皮肉にも「ヒーリング・ミュージック」という分野の出現により音楽療法士が選曲する衛星放送チャンネルや福祉や医療現場で需要が高いことを知り、「音楽療法」に再び興味を持った頃、2011年3月の東日本大震災、原発事故がおきた。

震災後、私は前述のホスピス以外の場所で、どうにも音が出せなくなってしまった。‘被災者’向けコンサートもいくつかお誘いを頂いたが、ステージ上から一方的に(自分の)ピアノを弾く必要性が見えなくなってお断りをしていた。自分は明らかに演奏家として失格だと悟ったが、とにかくあの時点では音楽よりも靴や服やお金を届けたいと思った。そして音楽を聴いても何も心に響かない時期が1年近く続いた。心の中の「何か」が壊れてしまったようだった。音楽とは何か、何が音楽か。こんなに簡単に社会から「自粛」を要請される音楽の存在とは何か。幼い頃から当たり前に関わってきた音楽(ピアノ)の在り方を根本から考え、捉え直す苦しい時期だった。しかしそれは、もしかしたら、私が内心ずっと抱えてきた「ピアノ」という楽器の「存在感」と自分の性格の間にある‘差異(違和感)’が、パンドラの箱が開いて飛び出しただけかもしれない。その違和感はピアノにではなく、ピアノ専門教育にと言い換えるべきか。なぜなら家ではピアノを演奏したし、この楽器が自分を最も生かせると感じたからだ。

それから4年半、自分なりに考え続け、いま心にあるひとつの答えが「オンガク(芸術)は、内と外の調和と関係性である」ということだ。映画『パーソナルソング』で触れたように、「オンガク」そのものが認知症の患者を癒した訳ではないと考える。自分に音楽(ヘッドフォン)を与えてくれた「他者の存在」が、孤独の淵にいた認知症患者の心をひらき、その心が再び音楽を受け入れたのだと思う。またはヘッドフォンの中で歌う人の声や演奏者の息遣い、そこに付随する思い出が甦り、孤独だと感じていた人生の記憶が他者と共にある状態に上書きされたのだ。「オンガク」それ自体が本当に認知症に効果があるならば、機械的に患者の頭にヘッドフォンをとり付け、PCで打ち込んだ音声信号を聞かせても同様の結果が出るはずである。しかしそうはならないだろう。オリバー・サックスによれば認知症になっても楽器は奏でられるそうだが、だからと言って必ずしも認知症の改善に役立つとは限らない。手前味噌になって恐縮だが、私の作品が音楽療法や医療の場に求められた理由を考えると、あの録音物には一発勝負、全身全霊で演奏している演奏家たちの魂が吹きこまれているからだろう。批評の対象となるような作品としての目新しさは無かったとしても(当時は新しい試みだったのだが)、音の「質感」にはその時にマイクの前で‘生きた’演奏家たちの生命を宿している。

前置きが大変長くなってしまったが、「音楽療法」の本質を考える上で是非、タイトルの本をご紹介したい。

2015著者の若尾裕先生は『世界の調律』の共訳者であり、弘前大学今田匡彦研究室とも縁の深い方である。昨年訪れた奈良・たんぽぽの家にも若尾ゼミ卒業生の姿があった。いわゆる「良い仕事」をされている音楽療法士の皆さんも、必ずこの本を指針としている。音楽療法の「本質」を最も捉えたバイブルと言える。また、『モア・ザン・ミュージック~ミュージック・セラピーからサウンドスケープまで』(1990 勁草書房)では、M.シェーファー(サウンドスケープ論から音楽教育へ)や、クライヴ・ロビンズ(ノードフ=ロビンズ音楽療法の世界)といった、今の潮流につながるキーマンたちへの貴重なインタビューが掲載されている。

いま国内の音楽療法は、高齢化社会を迎え黎明期から「次の時代」に入っている。そして何より震災以降、どうにも音が出せなかった私自身が、ふたたび音を出す喜びを取り戻したのが福祉の場、体奏家・新井英夫さんのワークショップのお手伝いで参加した福祉作業所カプカプの祭だった。予測のつかない即興的な彼らのユニークなアイデアを次々に身体と音にしていく作業は、芸術、すなわち生きるよろこびが溢れた時間だった。そこに生まれるサウンドスケープ(音の風景)が、本当に好きだなと思った。
特にカプカプは不思議な場所で、演劇界の精鋭たち始め、絵本作家や一線の芸術家たちが人知れず集まる。本当の純粋さをもって音楽やアート(アール・ブリュット)が存在する場には強い磁力が生まれるのだろう。「古い団地の喫茶店」は心地よい空気の流れるアトリエであり、そこに集まる誰もが芸術家なのだ。今あらためて、40年前に書かれたシェーファーの示唆が「預言」であったことを実感している。

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2015年9月 2日 (水)

『「聴く」ことの力~臨床哲学試論』 鷲田清一

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「聴く」ことは哲学である。そしてまた「聴き方」も哲学だ。この著書は「きく」ことから人の存在の本質、内と外の関係性に迫ろうとする点でM.シェーファーのサウンドスケープ思想とも共通する。ただしシェーファーが東洋的な禅やヨガにある揺るがない(内側)から外側に向かったのに対して、鷲田氏は西洋哲学を軸に、他者の存在(外側)から内側へと向かう。「臨床」というケアの現場にある生の言葉や関係性に、謙虚に耳を澄ますことの大切さを語る。「聴く者が聴きたいように話を曲げてしまう」ことの罪を知っているからだ。そして「哲学とは古代ギリシャの哲学者のことばを借りれば、「よく生きる」ことの知恵であり、科学とは別次元にある」と語る。

2011年3月末、私は原発事故で九州に避難した人の後任として、急遽、自治体の市民大学「福祉学」を担当することになった。サウンドスケープが「福祉」につながることはシェーファー自身も『世界の調律』の中で示唆していたので抵抗はなかったが、正直まだ「福祉」というものがよくわからなかった。

高齢者施設、障害者施設、市内の各福祉施設を使った体験学習を企画・運営する中で、「きく」ということがいかに大切かを実感したのは、「傾聴ボランティア」について学んだ時だった。
平日昼間の市民講座の受講者は概ねリタイアした60代以上が中心で、実に様々な背景をもった方たちの集合体になる。「聴き方」にもそれまでの「生き方」が出る。病院や福祉の現場で長年働いた経験者の「技術」や「癖」。何一つ経験が無くても、ただ謙虚に対象者の目の前に座り、本当にじっと耳を傾けられる人の素直さ。自身が悩みを抱えている人は「聴く」よりも話したがる。中には、震災直後の東北被災地ボランティアに参加し、「結局、何もできなかった」と意気消沈していた人が「傾聴ボランティア」の在り方を知り、「自分が被災地でしてきたことは、これだったのか」と救われる場面もあった。
「臨床哲学」を提唱した鷲田清一氏もまた阪神淡路大震災のボランティアで、自身が「迎え入れられた」経験から「聴く」ことの力に気づいた人だ。そして他者と対峙する時の、曖昧さや「どっちつかず」、つまりはあそびの部分にこそホスピタリティの本質があることを諭す。
「哲学とは科学ではなく、科学の可能性と限界を問うものである」という1999年の言葉には、東日本大震災と原発事故を経験したことすら忘れ去ろうとし、国立大学から文系を排除しようとする今の時代にこそ大きな意味を持つ。

鷲田氏は震災後に私も所属しているアートミーツケア学会の会長も務められている。昨年、神戸での学会ではお目にかかれなかったが、奈良の「たんぽぽの家」が母体となるこの学会の通奏低音には阪神淡路大震災の経験がある。特に神戸の人たちが経験したホスピタリティの域には、関東在住の私たちはまだ到達していないと感じる場面も多々あり勉強になった。

次回は同じく関西在住の、若尾裕著『音楽療法を考える』をご紹介する予定です。

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2015年9月 1日 (火)

『音楽嗜好症 ミュージコフィリア~脳神経科医と音楽に憑かれた人々』オリヴァー・サックス

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オリヴァー・サックス氏が亡くなりました。この夏、ずっと気になっていた『音楽嗜好症~脳神経科医と音楽に憑かれた人々』を読んだところでした。並行して鷲田清一著『「聴く」ことの力~臨床哲学試論』も読んでいました。

この本には、哲学の対極とも言える医学的/アクチュアルな視点での「音楽とは何か」が書かれています。受けとめられ方によっては音楽がプラグマティックになりすぎて、認知症や自閉症の「特効薬」として扱われてしまうのではないかという懸念もありました。実質的な「目的」が存在した途端、世界からは「鳴り響く森羅万象」としての「音楽」の存在理由が見つけられなくなってしまう気がしたからです。しかし、この書が本当に訴えたかったのは「人間にとって音楽がいかに大切な存在か」、もっと言えばサックス氏が「いかに音楽(西洋クラシック)を愛しているか」ということではなかったかと思います。
もちろん「脳」というものの不思議にも触れることが出来ます。例えばもし私が重度認知症になっても、とりあえずピアノの前に座らせてくれれば何かしら弾けるらしい、という未来の「希望の光」も見えた気がしました。そして私の場合はたぶん自作曲や嫌々弾いたショパンは忘れてしまい、バッハかドビュッシー、童謡あたりを弾くのだろうということも想像がつきます。なぜなら音楽脳と認知症ではダメージを受ける脳が微妙に違うので、「奇跡」が起きる可能性があるのです。子どもの頃に「脳に染み込ませたまま抑圧した音楽」が、認知症になったことで「解放される」可能性も高いようです。「クラシックばかり聞いていた母親が認知症になった途端に演歌しか聴こうとしないので驚いた」と話してくれた方がいましたが、例えばそういうことです。高齢者が本当に楽しそうに、一人で(大きな声)で童謡を歌い続けている光景などは、認知症の施設では珍しくありません。

どちらにしても、人と音楽の「切っても切れない関係性」を、先天性/後天性の脳障害や認知症の事例から紹介した興味深い著書です。徹底的に西洋音楽(クラシック)中心の視点ではありますが、‘人間物語’として読みやすい。冬にご紹介した映画『パーソナル・ソング』同様、認知症と音楽の関係についての記述が多いので、特に高齢化社会の日本では‘実用書’として受け入れられたようで早々に文庫化されました。認知症を治療する側にとっては「音楽の使い方」の指南書ともなるかもしれません。しかし元気な人が「認知症を予防するために音楽を聴く」という’目的ありき’の音楽との関係性は、本末転倒のような気もしますが。

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2015年8月31日 (月)

サウンド・エデュケーション(音のワークショップ)を開催しました。

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この夏は子ども(親子)対象と大人対象、ふたつのサウンド・エデュケーションを実施する機会に恵まれた(町田市レクリエーション連盟主催)。

森の中の青少年施設にある静かな「和室」がその会場となった。照明を消し、クーラーを消し窓を開け、見知らぬ同志が静寂に包まれた時間の中で、大人の回は少し「哲学的」なアプローチで、日常と非日常をつなぐような時間を過ごしてみた。大人の回では森の「音地図」も作った。

子ども対象の回は、野外でも賑やかなイベントが開催されていたが、ここ(和室)に集まってきた子ども(親子)たちは、どちらかと言えば聴覚が敏感で「大きな音が苦手」という方たちが多かった。
これは本当に悩ましいのだけれど、サウンド・エデュケーションで「耳をひらく」体験は世界の「騒音」に気づく体験となる。最終的には「沈黙」にたどり着き、時には音楽を奏でることの「意味」を深く問い直す機会にもなる。
最近の公立小学校では、休み時間にまるでテーマパークのようにBGMを流していることも珍しくない。子どもたちの元気な声には先生たちも負けていられない。みんなが大声で「怒鳴り合っている」ような状態である。
学校のサウンドスケープは想像以上に騒がしいものだ。日頃から聴覚に敏感な子どもにとっては苦痛だろうし、無意識のうちに全ての子どもたちの神経を疲れさせているかもしれない(先生たちも)。だからこそ、休日くらい静かに過ごそう。そういう落ち着いた時間を経験する大切さは、シェーファーがすでに『教室の犀』の中でも「ヨガ」を例に提唱しているし、最近のニューヨークやフランスの学校では、授業の前に「ヨガ」を取り入れることが落ち着いた雰囲気をつくるのに効果があるという結果も発表されている(世界的に騒々しくなって子どもたちが落ち着かなくなっている?)。
「子どもはみんな元気でにぎやか」というのは実は大人の思い込みもあり、またそういう「子ども像」が望まれる。本当は大人も子どもも、自然の音だけが聞こえる「静寂」に包まれた時間の心地よさや、小さな声でおしゃべりする親密さや安心感を「知らない」だけなのかもしれない。

以下は、大人向けワークショップの中でもテキストとしてご紹介した絵本です。作者とは面識がないので背景はわからないけれど、サウンド・エデュケーションと共通する「耳をひらく」プロセスに基づいて描かれた簡素で美しい世界です。

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 はいじまのぶひこ作 『きこえる?』(福音館書店)

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2015年6月 4日 (木)

『親のための新しい音楽の教科書』

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ここ数年、科学や社会学や歴史学など芸術領域の外側にいる研究者たちが、「音楽」や「音楽教育」を切り口(フレーム)に自らの専門を考察する手法が増えたように思います。芸術の内側では距離が近すぎて気づき難かった問題を、客観的かつ俯瞰的に捉え返す研究動向には大きな意義を感じます。何より世界を「内側からデザインする」ことを目指したサウンドスケープ思想との共通性がある。すでに半世紀近く前のシェーファーが大学のコミュニケーション学科を立ち上げた(西洋クラシックの音楽教育から追い出された)理由や、その先見性も見えてきます。

しかし一方で、どうにも「もやもや」が残る考察に出くわすことがあります。それはもう音楽家の生理的な感覚とも言えるのですが、その「もやもや」の正体が何なのかをずっと考えています。

それは「音楽の定義の曖昧さ」とも言えますし、思考における芸術性や哲学の欠落とも言えます。「音楽」を疑う姿勢、「音楽とは何なのか」という専門家(演奏家)なら当たり前に突き詰めていく思考のプロセスが、コトバの背景からすっぽりと抜け落ちている。芸術よりも科学、しかも西高東低と耳が錯覚しがちなポリフォニーの「マジック」に魅せられ、「音楽を(で)語る自分」に囚われてしまっているというか。その感覚は明治維新以降、この国が必死にアタマで身に着けた「教養としての音楽」の域を出ていないと感じます。「学際的」というよりも、音楽をプラグマティックに(本人の意志は別として)利用しているようにもみえる。科学的に構築され訓練されたコトバ(思考)で、音楽(芸術)の内側を力でねじ伏せていくような一方的な関係性も透けて見えてしまいます。音楽の内側にも当然ある「先行研究」へのリスペクトが感じられないというか、無視しているというか。

その「もやもや」を解消するように、音楽の内側から出版されたのが若尾裕先生の『親のための新しい音楽の教科書』でした。若尾氏は東京藝術大学で作曲を学び、『世界の調律』(M.シェーファー)の共訳者であり、現在は臨床音楽学を専門とする広島大学/神戸大学の名誉教授です。あくまでもクリエイティブで芸術的な視点から音楽教育や音楽療法を捉え、即興演奏からも音楽の可能性を広げられている。平易な文章で書かれた数々の著書はどれも深く音楽的で、何より芸術の神髄に迫っています。

この本は音楽の専門知識がなくても、誰にでもわかりやすく、しかし非常に音楽的な思考に基づいた文章とともに、私の中にくすぶっていた「もやもや」を一気に吹き飛ばしてくれました。「わたしたちにとっての「音楽」ということばをつかって、世界中の「音楽」を一律にとらえることじたい、考え直してみる必要があるようです(本書より)」と、まさに現代の世界に通奏する問題の本質に柔らかな姿勢で切り込んでいきます。

そもそも「オンガク」とは何ぞや。まずはそこに立ち返り、この国の教育が当たり前に「音楽」と呼んできたものを疑ってみる。そこから今の私たちが抱える社会の問題の「本質」も見えてきます。学際的に音楽を研究されている方にこそ、ぜひ読んで頂きたい本です。

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2015年4月13日 (月)

『哲学音楽論~音楽教育とサウンドスケープ』が出版されました。

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1月にCONNECT+として開催した「哲学カフェ」(@日本橋DALIA)で、哲学と音楽教育の関係性をわかりやすく(楽しく)お話し頂いた今田匡彦先生(弘前大学教授/哲学博士)の著書が出版されました。
実は哲学カフェの最後までこの本の出版について触れられなかったので、当日会場でご案内できなかったのが残念ですが、次回の哲学カフェでは(実現したら)是非、この本を軸にお話し頂けたらなあ・・と希望も膨らみます。
親しみやすいエピソードと文章と共に、哲学と音楽教育の関係性を捉え返しながら、サウンド・エデュケーションの真髄にも迫っていきます。弘前大学での実験的かつ身体的な授業内容も豊富な写真資料と共に紹介。

哲学音楽論~音楽教育とサウンドスケープ 』今田匡彦著(恒星社厚生閣)2015.4.10

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