2011年7月15日 (金)

音楽はいかに現代社会をデザインしたか~教育と音楽の大衆社会史~

音楽はいかに現代社会をデザインしたか―教育と音楽の大衆社会史音楽はいかに現代社会をデザインしたか―教育と音楽の大衆社会史

著者:上田 誠二
販売元:新曜社
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神楽坂のような古い東京が残る街は7月がお盆なので、
今頃の夕暮れになると、町内のあちこちから「東京音頭」が聞こえていました。
花火の上がる音や、セミの鳴き声とともに、日本の夏を代表する音風景。
今年は震災の影響で、東日本各地の花火大会や盆踊り大会が中止になって、
いつもより静かな夏になりそうです。

すでに少子高齢化の進む郊外の住宅地では、
何年も前から、盆踊りが開催される場所もごく限られて、
子どもの頃のように「東京音頭」が風に乗って聞こえてくることは、すでにありません。
夏の音風景も、時代とともに大きく変わっています。

さて、この「東京音頭」。
子どもの頃はよく踊ったので、今でも1番なら歌えたりしますが、
そもそも誰が作曲して、どういう経緯で市民権を得ていったのか?
作曲者である中山晋平の仕事や、
「東京音頭」がたどった時間の流れを意識したことありますか?

「東京音頭」に限らず、すでに私たちの生活に根づいている古い大衆音楽や、
あの、どうにもココロ踊らなかった学校の音楽教育が、
どのような時間を経て今の時代にあるのか。
その流れをあらためて遡ってみると、
音楽が教えてくれる「歴史の一面」が見えてきます。
私たちの「今」は、過去の時間の積み重ねであるという、
当たり前だけど忘れがちなことに気づく大切さが、そこにはある。

前置きが長くなりましたが、
この「音楽はいかに現代社会をデザインしたか」(上田誠二著 新曜社刊)は、
実は音楽の本でも、デザインの本でもなくて、
どちらかといえば難しい(分厚いっていうか ^^;)歴史の本ですが、
音楽というフレームで日本の近現代史を切り取ったユニークな試みがあります。
歴史学者が語る’音楽教育史’には、
音楽の専門家ではないからこそ見えている問題点があって、
特に、音楽教育を勉強している人や教育現場にいる人には、
是非いちど読んでみて欲しいと思いました。
自分が受けてきた音楽教育、そして教育現場を客観的に振り返る意味でも。

内容としては、北原白秋や中山晋平といったおなじみの作家たちの仕事、
また、軍国主義にむかっていく社会で音楽教師たちが何を考え、どう行動したか、
戦時中の絶対音感教育とは何だったのか・・など。
今でも、どこかで当たり前のように受け継がれている(学校の)音楽教育の根源的な問題が、読み進むにつれて、時代とともに浮き彫りになっていきます。

さらに、学校教育からは目の敵にされた大衆音楽(「東京音頭」もそのひとつ)の力や、
今まで、ほとんど語られることのなかった戦時下盲学校での絶対音感訓練についても触れ、歴史学者である前に、ひとりの人間として、
大衆文化や社会的弱者を見つめている著者の優しい眼差しも感じます。

この10年近く、邦楽や世界の民族音楽を通じて「相対音感」を取り戻すと同時に沸いた、ピアノという’絶対的な権力’を前にして行われる能力主義的な教育は、
いったい、どういう人間を育ててしまうのかというギモン。
幼少期に戦前の国民学校さながらの絶対音感教育を受けたひとりとして、
そのときはゲーム感覚で楽しいと思えていた経験が、
大人になるにしたがってなんともいえない「違和感」に変わっていった時間の流れを、
この本が説く「歴史」から裏づけできたような気がしています。

上田(かみた)氏の分析によると、今の時代の空気は、
関東大震災から軍国主義へとむかった時代にとてもよく似ているといいます。
音楽教育に限らず、教育にたずさわる人は今こそ立ち止まって、
過去の歴史を振り返る時なのかもしれません。                                                                                                                                              


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2011年5月17日 (火)

みどりのゆび

みどりのゆび (岩波少年文庫)みどりのゆび (岩波少年文庫)

著者:モーリス ドリュオン
販売元:岩波書店
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放射能で汚染された土壌に、
菜の花や向日葵を植えようという研究がされています。
これらの植物には、土壌から放射線物質を吸い上げる力があるとか。
また、南会津の放射線量が思いのほか低いのも、
あの深い深い山の緑のおかげかもしれません。

都会でも、この夏を乗り切る節電対策として、
グリーンカーテンが注目されています。
うちもさっそく家族で、ゴーヤと朝顔とキュウリで、
窓辺にカーテンを作っている最中です。

いま、原発事故がお手上げ状態となりつつあって、
どんどん空気も水も土も汚れて、
早いこと何とかしないと、
本当に手遅れになってしまうのではないかと不安です。
やっぱり最後に頼める力は、自然の力だけなのではないかと。

自然の力(地震と津波)を、あの日以来これでもかと見せつけられて、
人間は、自然を支配したり、対決するのではなく、
その力を「お借りします」という姿勢で、もっと謙虚に生きないといけないと。
自然界を越えるエネルギーを作り出そうなんて、
神の領域を超えた、思い上がりだったのだと、
どうか原発関係者にこそ気づいて欲しいと思います。

この、モーリス・ドリュオン作「みどりのゆび」に出てくるチトのように、
あっという間に、街を緑で覆いつくせる魔法が使えたら、
どんなにいいだろうかと思います。
この本に出てくる武器工場を、
原発(=核兵器工場ですが)に置き換えて読んでみると、
工場長が最後につぶやく
自然の力にさからうことはできない」という気づきの言葉にこそ、
作者が託した未来への希望があると思うのです。

「みどりのゆび」は1965年の作品。
米ソ関係が緊張を増し、
核兵器や宇宙開発が急ピッチで進められていた頃に作られたお話です。

この物語に込めた大人への警告と子供へのメッセージ。
今こそ、それはそれは重く深く響いてくるのでした。

原発事故がきっかけで、
この物語のように街が緑や花で覆いつくされる日が来るとしたら、
今の苦しみの先には、
きっとひとつの素敵な時代が待っていると、私も希望を抱いていけるのです。


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2011年3月 8日 (火)

幸せの経済学

ヨガをするようになって自分がいちばん変化したのは、
「つながる」ということを、積極的に意識するようになったことだと思う。
何を隠そう、ヨガの語源はサンスクリットで「つなぐ」という意味
ココロとカラダ、自分と家族、友人、仕事、地域社会、自然、果ては宇宙まで・・・
自分の中がつながってきて初めて、自分と外のつながりが見えて、感じられる。
逆に言えば、外のつながりばかりに気を取られて、
自分の中が切り離されていては、意味がない。

そうやって’つながること’を感じ始めると、
圧倒的に孤独感が減ってくる。
今までも仕事や音楽や育児で外とつながっているはずだったけど、
日々の暮らしで、意志に関わらず役割や仕事が拡大していく中で、
きっと大切な何かが分断されていたのだろう。
そこが、つながってきた気がする。

そして子供の頃から、いつも自分の傍らにあった’孤独感’。
’ひとりで寂しい、虚しい’という心持ちが、ヨガを通して少しづつ解放されて、
自分が段々オープンになっていくのを感じている今日この頃。

さて、そんな中。この映画に出会いました。
公開は来月末、アップリンクから。5月22日(生物多様性の日)には全国で自主上映会も実施されるという。

グローバリゼーションの先にある、ローカリゼーションの経済学。
人の心を置き去りにした、1%の大企業が動かしているマクロ経済の限界から、
暮らしに寄り添いながら、身の丈にあった幸福な経済へ。
地球規模に限らず、自分の暮らし方や、周囲とのつながり方を、
見直す大きなきっかけにもなりそうです。

4月から郊外に暮らしの拠点を移す私にとって、今いちばんタイムリーな話。
ヘレナ氏の「懐かしい未来」も是非合わせて読んでみたいと思います。

映画「幸せの経済学」公式サイト→






 ラダック懐かしい未来 ラダック懐かしい未来
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2011年2月 5日 (土)

引越しの極意

Sizuka_5_2何もないところから始まった10年間の生活。
出産から始まった一連のキッズ用品、それと並行して増えていったレーベル関連の書類だったり(在庫も含め)、いつの間にか工房になってるクロマニヨンの部屋だったり・・と。

基本的に身動き取れなくなるような大きなモノは持たない主義だし(グランドピアノとか ^^l)
わりと身軽に暮らしているつもりだったけど、

10年間という月日には、こんなにモノがたまるんだなあ、と途方に暮れつつ、
それでもいちど手放すことを決めると、どんどんココロが軽くなっていく感じに、
ちょっと浮かれ気味の立春すぎ。

大使館のヨガ仲間(の知人に)、人生で40回の引越しを経験した方がいるそうで、
今は、それはそれは身軽な生活を送っていられるそう。
憧れますね、そういう大人。

本当に自由な人って、暮らし方もそうだけど、ココロの軽さで決まるんじゃないかと思う。
知らないうちにどんどん重くなっているんですよね、ココロって。
人生のテーマが重くなっていくのは大人の宿命だけど、
だからこそ意識して軽くする。
大人だからこそ、カラダと一緒にココロもシェイプアップなのでした!
とりあえず、今月19日に仕事場の引越しから・・

で、娘がアリエッティの原作本から引越しの極意を教えてくれました。

 借り暮らしの引越しには、まためぐり合えると思うもの、無くても生きていける       ものは置いていく。本当に必要な、最小限のものだけ持っていくこと。

 床下の小人たち 床下の小人たち
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借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック Music 借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック

アーティスト:セシル・コルベル
販売元:徳間ジャパンコミュニケーションズ
発売日:2010/07/14
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2011年1月20日 (木)

音の神秘

 音の神秘 生命は音楽を奏でる 音の神秘 生命は音楽を奏でる
販売元:TSUTAYA online
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今日は満月。
なんかもんのすごい勢いで、過去と未来がシンクロした一日でした。
たぶん今、人生の中でも大きな転機を迎えている私。
もっと言えば、この10年の間、出産&育児&仕事で本当に忙しかったから、
やっと周囲を見渡す余裕が生まれたということでしょうか。

本当のこと言って、この半年くらい色々なことを悩んでいました。
そして単純なO型の私にしては珍しく、「結論が出ない」。
もうこうなったら流れに身を任せてみようかと思った途端、
色々なことが動き出してきた。
ココロの「執着」を捨てるって、こういうことなんだわと。

すると子供の頃から自分の中に居座っていた大きな問題を、
怒りや諦めではなく、
運命として前向きに受け止めてみようかと思い始めました。
そんな気持ちになれたのも、ヨガのおかげだと思っています。
もっと言えば、子供の頃から毎日音楽と向き合っていて、
それが自然とヨガにつながっていくという、
なんとも「腑に落ちた」経験と発見が日々続いています。

ヨガを始める前から12月カレンダーには、
月の満ち欠けや二十四節気が欠かせませんでしたが、
最近はその暦を、「身をもって」感じることが多くなりました。
だんだんと「調和」という言葉の本当の意味が、
わかってきたような気がします。

そんなことを「大寒」の今日、電車の中でしみじみ感じながら家に戻ると、
一冊の本が、お米と一緒に届いていました。
いつもお世話になっていて、私のヨガの一番弟子(と勝手に思ってる)
BABY Zooの小池さんから。
我が家にあった本ですが、誰も読んでいないのでよかったら・・。
という内容のメモが添えられていました。

さっそく読み始めています。
そして驚いています。
すでにそこに書いてあることが、私の人生でも始まっているのだから。
それを確認するために、この本が手元にやってきたのだと思いました。
翻訳の土取利行さんのCDも手に入れようと思っていたところだし。

いやそれにしても、やっぱり音楽って凄いなあ・・・。

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2010年12月18日 (土)

中西悟堂という人

Photo 娘が日本野鳥の会に入っているので、
家に「野鳥」という会報誌が届くのだけど、
この会報誌、よく見ると「1934年 中西悟堂創刊」と記されている。
恥ずかしながら、彼こそが日本野鳥の会の創立者だということを、今日まで知らなかった。
そして「野鳥」という言葉を作った人だということも。
(造語だったのね!)


詳しくはウィキをご覧頂きたいのだけど、
悟堂氏の生涯はとにかく興味深い。

幼くして両親を亡くし、10代早々に仏門に入り、

一方で詩人や絵画を描く芸術家でもあり、
ガンジーの思想にも傾倒し、
自然の象徴として鳥を保護していた彼は、
70歳過ぎても裸で(外で!)座禅を組んでいたというのだから、
それはもう立派なヨギーですわ。
日本野鳥の会って、実はそういう会だったのか!と。

悟堂氏は、東京オリンピックの準備で破壊されていく東京の風景に怒りを覚え、
今では明治神宮と代々木公園の境とか、井の頭公園とかにある
「サンクチュアリ(都会の森の確保)」の必要性を晩年まで訴えて、
40年以上も前に屋上庭園を実現させていたのだとか。

自然保護活動のパイオニアなんですよ。

こんな面白い記事も見つけました。
家の中で野鳥を放し飼い・・・。なんか思いっきりインドだわ、この人

最後の座禅をしている姿なんて、どこの聖者かと思ってしまいました。

そんなこんなで明日は久しぶりに、葛西臨海公園鳥類園に小鳥隊長と出かけます。
まさにここもサンクチュアリ(海を挟んだ向こうにはシンデレラ城)。


 野の鳥は野に 評伝・中西悟堂 野の鳥は野に 評伝・中西悟堂
販売元:セブンネットショッピング(旧セブンアンドワイ)
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2010年6月16日 (水)

音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション

音さがしの本 ≪増補版≫ リトル・サウンド・エデュケーションBook音さがしの本 ≪増補版≫ リトル・サウンド・エデュケーション

著者:R.マリー シェーファー,今田 匡彦
販売元:春秋社
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数年前にご紹介した「世界の調律」の著者マリー・シェーファーが提唱した
サウンド・エデュケーションを、こども用にアレンジした本です。
弘前大学教育学部准教授(2011年現在・教授)の今田 匡彦先生との共著です。

こども用ではありますが、大人の方にこそ是非(大人用もありますが、こちらがおすすめ)。
これもまた「世界の調律」のように、音楽の専門家ではなくても、
普段耳(聴くこと)をあまり意識していない方に、
読んで&実践して頂けたらなあと、勝手に思っております。
耳からはじまるコミュニケーション論としても。

こども向けの音楽ワークショップには、音楽を聴いて(なぜかクラシックが多いですが)、
さっそく楽器に触れて「音を出してみよう!」というのはよく見かけますが、
実は音楽よりも先に、身の周りの音を「聴いてみる」方が先じゃないの?と。
そんなことに気づける内容になっています。

話す前に、よく聞いて。
子供の頃からさんざん言われてきましたけど(--;)、
赤ちゃんが言葉を発するまでには、1年近く「聴く」時間があるように、
音楽だって、あくまでもこの延長線上にある。
音を出したり、歌うことはもちろん楽しいのだけど、
自分の出す音や周囲の音を「聴く」訓練が出来ていない子供たちが一斉に音を出すと、
けっこう辛い音環境になりますよね(><)。
そこで先に耳を訓練した方が、
結果的に音楽を奏でることへの近道にもなるというわけです。

最近、自戒も込めて思うのだけど、
実は世界で一番音に無頓着なのが、音楽家かもしれない~と。
ジャンルに関わらず、汚い音を出す音楽家も、増えている気がします(生音もPAも録音も)。
サワリや倍音といった美しいノイズがあるように、
汚い音というのは、音の種類や音量じゃなくて、
そこにある環境と調和していない音ということだと思うのですが。

エコだ、環境問題だ、と叫ばれているわりに、
音環境に関しても、まだまだ改善されていないしね。
相変わらず街は音楽で溢れているし、テレビのCMはうるさいし。
表現活動ではない、不特定多数の耳に入る音作りの場には
音量だけでなく、音質や種類、音響機材の設置場所や定位も含め、
もっともっと配慮が必要だと思います。
って、こんなこと言ってると失業ですけどね(^^l)。

でも音を出す仕事に携わっている人は、一度は真剣に考えないといけない問題。
自分に言ってるの、自分に。

あと、イヤホン族も大丈夫なのかな。
耳は無意識に距離感も測っているので、耳を塞いだ行動には問題が出てきます。
駅のホームで人のギリギリ近くを通り過ぎていく人、たいがい耳に白いイヤホンが見えます。
あと、有名なアーティストがスタジアム公演を繰り返すことで聴力を失った話、
あれはモニタ用のイヤホンも一因だと思います。

いや、そういう私、ウォークマン世代ですし、実はロック系も好きですから。
さんざん大きな音も聴いてきたわけですけど(^^;)。
耳は意外と鈍感なんだと思います。
「大音量気持ちいい!」って脳や体が反応しても、
きっと耳だけは悲鳴を上げている。
そういう経験、皆さん若い頃に一度はしたことあると思うんだけど。
突発性難聴も含め、耳の悲鳴に、耳を傾けないといけません。
ちなみにロック系のコンサートで、席がスピーカーの前だったりすると、
耳にティッシュを詰めて防御していました。
(そこまでして聴くか、って感じですけど ^^;)

そして子どもを生んでからは、「はたしてこの音は、赤ちゃんに聴かせても安全か?」という視点で、
音楽を捉えなおすことが多くなりました。
食べ物と同じです。
あと母が補聴器になってしまって、凄く不快そうなんです。
私の弾くピアノも、雑音に聴こえるらしい(泣)。
若い頃の聴力って永遠じゃないんですよね。
耳、大切にしないとって心底思いました。

耳からはじまるコミュニケーション。
きっと新しい発見があると思います。
今の時代はビジュアルに頼りすぎ。
音楽だってパソコンで(目で)作ることが出来てしまうくらいですから。
つい忘れてしまいがちな「耳」の存在を、いまいちど意識してみましょう。

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2010年5月27日 (木)

響きの考古学

響きの考古学増補 響きの考古学増補

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※今日はミュージシャン脳に振り切れてる戯言ですので、
ご興味ない方はスルーして下さい(^^;)


最初に読んだのが10年前なので、
増補されてませんでしたが・・・
この数年、世界の倍音と深く関わるようになって、
今またあらためて読み直してみると、
身にしみて解ることが多くて、
自分的には、なんともタイムリーな内容でした。

現代音楽とかアヴァンギャルドとか、
西洋左脳的なアプローチの20世紀音楽は、
当時からどうもピンと来ないのですが(子供だったし)、
「身体性の喪失」という問題に立ち返ったとき、
特にハリー・パーチが展開した「モノフォニー」をはじめ、
目よりも耳という感覚器官で感じ取る純正調の存在意義に、
あらためて目を向けてみたいと思いました。
パソコンやネットの普及で、
ますます視覚が聴覚よりも重視される今だからこそ、
モノコードに戻りたいというか。
耳をどんどん研ぎ澄ませていくと余計なものがそぎ落ちて、
シンプルになっていく。

耳の自発的欲求ではなく、
産業革命によって始まった楽器の大量生産と、
それゆえの必要悪とも言える、平均律。
絶対音感教育が、工業製品規格に合わせた耳を作ることが目的だとしたら、
産業革命以降の産業形態が崩れた今こそ、
人間本来の音感を取り戻すことに目をむけるべきじゃないだろうか、と。
人類誕生から考えれば、絶対音感が生まれたのは、つい最近なんだもの。

その工業製品の象徴としてのピアノだって、
大量生産品になる前は、そもそもモノコードが出発点で、
それは宇宙の調和をイメージしていたという事実。
’楽器の王様’として技術的に進化したはずのピアノが、
それ以前から人間の耳に馴染んでいた
民族楽器(宇宙)の世界と調和が得られないのだとしたら、
なんとも皮肉な話ではありませんか。
そこには明らかに’身体性の喪失’がある。
ハリー・パーチが真っ先にピアノを捨てたという話も、
悲しいけどうなずける。

じゃあ、絶対音感を持ち、
ピアノを弾く自分の身体とはいったい何なのかと。
そういうところを突き詰めていくと、
平均律ではない音と触れ合うこと、'耳の洗濯'以外にないんですよね。

そうして耳を洗った上で、微分もポルタメントも出来ない、
何でも出来そうでいて、恐ろしく自己中心的な、
この融通のきかない大きな楽器と、どう折り合いをつけていくか。
そこがテーマになってくるのでした。

今いちど、宇宙との調和を取り戻さないと。

というわけで、モノコードから。いってみよう。
インド音楽や倍音との出会いも、必然だったのだと確信できた一冊です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2010年4月23日 (金)

春色を着よう!

Image11491 寒いですねgawk
今日の都心は9度だったとか。

伊勢丹前の交差点も
冬物のコートで真っ黒でした。

ショーウィンドウはすっかり春、
いえ夏モードになってたんですけど。
海水浴のマネキンさん、寒そうでしたyacht

それはそうと、
いつから社会人のスーツは黒が主流になったんだろう?

どんなに寒くても、
せめてマフラーくらいは明るい色をしませんか?
花咲く4月なんですもの。
町も地下鉄の中も真っ黒づくめだと、
なんだか気分も重くなります・・・。

たぶん、海外から来た人はびっくりするんじゃないかしら。
こんなに老若男女が黒を着ている都市は
世界でも珍しいと思います。8カ国くらいしか、知らないですけど・・・。

そういう私はバブル時代、世間の浮かれ気分に馴染めず、
何を思ったか、黒ばかり着ていました。
そして、新卒で入った映画会社を辞めるときに、
たまには色のあるものを着なさいって、
赤いチェックのブラウスを頂いてしまった記憶がありますcoldsweats01

当時は、反骨精神に溢れ過ぎていて、
(アーティスト気取りってやつですか gawk
内心「余計なお世話じゃ」って思ったけど、
今なら、その言葉の意味がよ~くわかります・・・。暗いよね。

でも、その後8年も仕事することになった劇場では、
黒を着なきゃいけなかったんです・・・。
舞台関係者は黒が多いんだわ・・・
’黒子’なんて言葉があるせいか。
インドア生活で、季節感が無くなるのかもしれませんが。

そういえばクラシック音楽も、ソリスト以外は黒のイメージですよね。
ピアノも黒いし・・
(家庭用ピアノで黒が多いのは、日本だけだそうですけど)。

私は今は、普段はほとんど黒を着ないです。
30代までに一生分着ちゃったのかも。
反動なのか、白(インドカディの綿)や麻の生成りがほとんどで、
黒がベースでも、必ず色を添えるようにしています。

演奏では、演出の都合上たまに着ますけどねcoldsweats01 
できれば’喪’の時以外は、着たくない。

あとは母親になったことも大きい。
こどもには、綺麗な色を沢山教えてあげたいですものね。
お母さんの洋服からも色を覚えるといいますし。

だから、黒を堂々と着れるのは、
やっぱり若いうちだな~って気もしますけど。
そう考えると、自分の体験を含め、
新社会人が黒づくめなのは、若い証拠なんでしょうね。
うちの母のタンスの中は、いまだに真っ黒ですけど・・・coldsweats01)。

そういえば帰りに通りかかったデパートの入り口で、
「私が証明します!」(だったっけ?)の
美白化粧品の社長さんが、人だかりの中で熱く語っていました。
さすがに気迫の美白オーラ、出てました~。
ちなみに赤ベースの花柄のワンピースだった・・・はず。

※写真は、娘が育てた雑草から。
寒さに負けず、どんどん花が咲いてます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は脱線しますが、こんな本があります。面白いです!

 斎藤信哉/ピアノはなぜ黒いのか 斎藤信哉/ピアノはなぜ黒いのか
販売元:HMVジャパン
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2010年4月10日 (土)

音楽の根源にあるもの 小泉文夫著

音楽の根源にあるもの (平凡社ライブラリー) 最近読み返しました。
言葉に出来ない’何か’を埋めるのが音楽の役目だと思うと、
言葉でアカデミックに分析したり、批評されたりすることには、
どこか埋められない溝を感じてしまいがちです。

でも語る人の言葉に音楽がある場合、
そして本人が音楽の’何か’を肌で知っている場合には、
その言葉も感動とともに、自分に迫ってきます。

これは、日本を代表する民族音楽学者・小泉文夫氏の本。
西洋音楽に偏った明治維新後の
音楽教育への警告書であると同時に、
インドに音楽留学の経験もある著者が、
実際に世界各地を歩いて集めた民俗音楽やわらべ歌などから、
人間社会(音楽)の本質を語った本でもあります。
論文、エッセイ、対談集などが集められた、
どれも読みやすく、興味深い内容なので、
現在クラシックを勉強している方をはじめ、
音楽以外の分野の方にもおすすめします。

残念なことに小泉氏は56歳の若さで亡くなり、
書かれた内容が70年代中心なので、
現在の日本の音楽状況(リズム感や日本語と旋律の関係等)は、
当時の氏の想像を超えたところに進化を遂げている気がします。
が、それでもこの本の中には、
絶対正しいと思っていることを疑ってみること、
そして新しい視点を持つ大切さを教えてくれる、
考えるヒントがたくさんあります。
それはすでに音楽という分野すら超えてしまっている。

そういう私も70年代特有のピアノ教育を受け、
現在もピアノの新しい可能性を探っている中にあります。
この10年、邦楽、雅楽、インド、アフリカ、トゥバ、北米インディオ等、
いろいろな楽器の方と共演させて頂く機会がありましたが、
そこからわかったのは、
西洋文化の代表のような楽器=ピアノは、非西洋文化から見れば、
小回りや融通のきかない、
無駄に体の大きなヤツだったということでしょうか(笑)。

ピアノこそが楽器の基準で、
こちらに合わせてもらうのが当たり前だと、
そんなことを何の疑いもなく思っていた以前の自分を振り返ると、
ずいぶん考え方(演奏方法)も変わりました。
数年前に、世間でもてはやされた絶対音感も、
’西洋的’絶対音感と、言い直す必要があると思っています。

楽器が自と他(人や宇宙)をつなぐ道具だと思うと、
時には「こうでなくてはいけない」ということを外さないと、
つながれない世界もあるのだということを、
音楽が教えてくれるのでした。
                          

                                 

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