2011年7月15日 (金)

音楽はいかに現代社会をデザインしたか~教育と音楽の大衆社会史~

音楽はいかに現代社会をデザインしたか―教育と音楽の大衆社会史音楽はいかに現代社会をデザインしたか―教育と音楽の大衆社会史

著者:上田 誠二
販売元:新曜社
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神楽坂のような古い東京が残る街は7月がお盆なので、
今頃の夕暮れになると、町内のあちこちから「東京音頭」が聞こえていました。
花火の上がる音や、セミの鳴き声とともに、日本の夏を代表する音風景。
今年は震災の影響で、東日本各地の花火大会や盆踊り大会が中止になって、
いつもより静かな夏になりそうです。

すでに少子高齢化の進む郊外の住宅地では、
何年も前から、盆踊りが開催される場所もごく限られて、
子どもの頃のように「東京音頭」が風に乗って聞こえてくることは、すでにありません。
夏の音風景も、時代とともに大きく変わっています。

さて、この「東京音頭」。
子どもの頃はよく踊ったので、今でも1番なら歌えたりしますが、
そもそも誰が作曲して、どういう経緯で市民権を得ていったのか?
作曲者である中山晋平の仕事や、
「東京音頭」がたどった時間の流れを意識したことありますか?

「東京音頭」に限らず、すでに私たちの生活に根づいている古い大衆音楽や、
あの、どうにもココロ踊らなかった学校の音楽教育が、
どのような時間を経て今の時代にあるのか。
その流れをあらためて遡ってみると、
音楽が教えてくれる「歴史の一面」が見えてきます。
私たちの「今」は、過去の時間の積み重ねであるという、
当たり前だけど忘れがちなことに気づく大切さが、そこにはある。

前置きが長くなりましたが、
この「音楽はいかに現代社会をデザインしたか」(上田誠二著 新曜社刊)は、
実は音楽の本でも、デザインの本でもなくて、
どちらかといえば難しい(分厚いっていうか ^^;)歴史の本ですが、
音楽というフレームで日本の近現代史を切り取ったユニークな試みがあります。
歴史学者が語る’音楽教育史’には、
音楽の専門家ではないからこそ見えている問題点があって、
特に、音楽教育を勉強している人や教育現場にいる人には、
是非いちど読んでみて欲しいと思いました。
自分が受けてきた音楽教育、そして教育現場を客観的に振り返る意味でも。

内容としては、北原白秋や中山晋平といったおなじみの作家たちの仕事、
また、軍国主義にむかっていく社会で音楽教師たちが何を考え、どう行動したか、
戦時中の絶対音感教育とは何だったのか・・など。
今でも、どこかで当たり前のように受け継がれている(学校の)音楽教育の根源的な問題が、読み進むにつれて、時代とともに浮き彫りになっていきます。

さらに、学校教育からは目の敵にされた大衆音楽(「東京音頭」もそのひとつ)の力や、
今まで、ほとんど語られることのなかった戦時下盲学校での絶対音感訓練についても触れ、歴史学者である前に、ひとりの人間として、
大衆文化や社会的弱者を見つめている著者の優しい眼差しも感じます。

この10年近く、邦楽や世界の民族音楽を通じて「相対音感」を取り戻すと同時に沸いた、ピアノという’絶対的な権力’を前にして行われる能力主義的な教育は、
いったい、どういう人間を育ててしまうのかというギモン。
幼少期に戦前の国民学校さながらの絶対音感教育を受けたひとりとして、
そのときはゲーム感覚で楽しいと思えていた経験が、
大人になるにしたがってなんともいえない「違和感」に変わっていった時間の流れを、
この本が説く「歴史」から裏づけできたような気がしています。

上田(かみた)氏の分析によると、今の時代の空気は、
関東大震災から軍国主義へとむかった時代にとてもよく似ているといいます。
音楽教育に限らず、教育にたずさわる人は今こそ立ち止まって、
過去の歴史を振り返る時なのかもしれません。                                                                                                                                              


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2011年2月 8日 (火)

さよなら、シネセゾン渋谷

Photo昨年の道玄坂ヤマハ店に続き、今月は同じく道玄坂にあるシネセゾン渋谷が閉館します。
どちらも自分にとって縁の深かった(仕事場だった)場所。
これも時代の流れですね。

大学卒業後、(株)シネセゾンに入社して、最初に出向したのは新宿文化シネマでした。ここで私が最初に担当した仕事は、ポップコーン売りだったかな(^^;)。まだ入れ替え時にアイスクリーム売りの少年がいた時代でした(って、すっごい古い話みたいだけど 笑)。
もともと映画マニアではなかったので後から知りましたが、ここは老舗映画館としてだけでなく、あの蜷川幸雄さんが若かりし頃、ゲリラ的に芝居を打っていた文字通り新宿文化の発信地でもあったのです。
ここも今は別名のシネコンに変身してしまいました。


その次に出向になったシネセゾン渋谷では、なんだかいろんなことがありました。
映写技師のおじさんが朝来なくて、一回目の上映前にパニックになったり(笑)、
当時はとにかく予算だけは沢山あったので、無声映画や新人監督の上映会をやったり。


’芸術’というキーワードのもと、どこのミニシアターにも、

監督や女優志望の、筋金入りの若者達が働いていて(今では有名な監督もいらっしゃいました)、
本部からの出向組(会社員)だった私は、ただただ日々カルチャーショックを受けていました。
東京国際映画祭が開幕したのも、この頃です。
会社員ではなく、どこにも属さず自分の才能で勝負する。
そういう生き方がキラキラと輝いて見えた時代でもありました。

写真はフェデリコ・フェリーニ監督の「道」。
ストーリーはもちろん、俳優たちの存在感、ニーノ・ロータの音楽、モノクロの映像・・・
これは私が、学生時代に芸術映画に目覚めるきっかけとなった作品です。
この一本に出会わなかったら、卒業後に映画の仕事に就くこともなかったはず。
それまでハッピーエンドのハリウッド映画しか知らなかった私にとって、
この映画のラストは、人生の真実へ向かう最初の扉だったのかもしれません。
時代は、バブル。
周囲には上昇志向の明るくハッピーな雰囲気しかなくて、

だからこそ映画館や芝居小屋に何か答えを求めて、授業をサボってよく一人で通いました。
なんとも暗い(^^;)、逆に言えばこれもバブル的に恵まれた学生時代だったわけですね。

今の時代は、先が見えず、重く暗い。
だからこそお金を出して観る映画くらいはわかりやすく、
ハッピーで前向きなメジャー作品へと、ココロが
向かうのはよくわかります。
インドにボリウッド映画があるように。

時には難解すぎることもあるけれど、

インディーズならではの秀作に出会えるミニシアターが閉じられていくことは残念です。
でも芸術がひとつの役目を終えて、

次の時代に入ったのだということも、実感しています。
もちろん映画だけでなく、音楽、美術、舞台、すべてに言えることだということも。

■ニーノロータの音楽も秀逸。ジュリエッタ・マシーナはフェリーニ監督の奥さんにして、天才女優。
ラストでなぜザンパノ(アンソニー・クイン)が泣き崩れているのか・・それは是非、本編で。

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2011年1月20日 (木)

音の神秘

 音の神秘 生命は音楽を奏でる 音の神秘 生命は音楽を奏でる
販売元:TSUTAYA online
TSUTAYA onlineで詳細を確認する

今日は満月。
なんかもんのすごい勢いで、過去と未来がシンクロした一日でした。
たぶん今、人生の中でも大きな転機を迎えている私。
もっと言えば、この10年の間、出産&育児&仕事で本当に忙しかったから、
やっと周囲を見渡す余裕が生まれたということでしょうか。

本当のこと言って、この半年くらい色々なことを悩んでいました。
そして単純なO型の私にしては珍しく、「結論が出ない」。
もうこうなったら流れに身を任せてみようかと思った途端、
色々なことが動き出してきた。
ココロの「執着」を捨てるって、こういうことなんだわと。

すると子供の頃から自分の中に居座っていた大きな問題を、
怒りや諦めではなく、
運命として前向きに受け止めてみようかと思い始めました。
そんな気持ちになれたのも、ヨガのおかげだと思っています。
もっと言えば、子供の頃から毎日音楽と向き合っていて、
それが自然とヨガにつながっていくという、
なんとも「腑に落ちた」経験と発見が日々続いています。

ヨガを始める前から12月カレンダーには、
月の満ち欠けや二十四節気が欠かせませんでしたが、
最近はその暦を、「身をもって」感じることが多くなりました。
だんだんと「調和」という言葉の本当の意味が、
わかってきたような気がします。

そんなことを「大寒」の今日、電車の中でしみじみ感じながら家に戻ると、
一冊の本が、お米と一緒に届いていました。
いつもお世話になっていて、私のヨガの一番弟子(と勝手に思ってる)
BABY Zooの小池さんから。
我が家にあった本ですが、誰も読んでいないのでよかったら・・。
という内容のメモが添えられていました。

さっそく読み始めています。
そして驚いています。
すでにそこに書いてあることが、私の人生でも始まっているのだから。
それを確認するために、この本が手元にやってきたのだと思いました。
翻訳の土取利行さんのCDも手に入れようと思っていたところだし。

いやそれにしても、やっぱり音楽って凄いなあ・・・。

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2011年1月13日 (木)

高齢化社会の音楽

Ringo_piano1年を重ねるにつれ、母の耳がずいぶん遠くなりました。
補聴器の調子も今ひとつみたいで、会話も苦労することがあります。
(ついに母は、ひそかに手話を勉強しているみたいです・・)。

小型補聴器ってデジタル音源だからか、
耳には不快な、硬い音がするようです。
聴こえればいいってものじゃないんですね、ヘッドフォンと同じで。
でも音質まで追求した補聴器って、知りません。
デザインは、だいぶお洒落になりましたけど。
そして、高い!!!
あんな小さなデジタル小型集音器がなぜ、ン十万もするの?
デジタル楽器の相場と比べても(比べるものじゃないかもしれないけど)、桁違いです。
これから補聴器人口は増える一方だろうに、
あの値段設定でいいんでしょうか。とても適正価格とは思えません。
まあメガネ同様、価格破壊が起こる日もそう遠くないとは思いますが。


で、母の耳にはピアノがどう聴こえているのか。
実際に実家でピアノを弾いてみると、
高音よりも中低音の方が旋律が聴き取り易いといいます。

ピアノ(88鍵)の場合、最低音は27Hz/最高音は4186Hz。
ちなみに時報は440~880Hz、女性の声の平均は1000Hzです。


昨年話題になった「モスキート音」。
20~30代までが聞き取れるという高音は14000Hz。
シンバルの最高音は16000Hzですが、
ここまで普通に聴き取れるのは10歳くらいまで。
あとは加齢と共に高音が聴きづらくなっていきます。
耳の訓練を受けて感覚が鋭くなっていると例外もありますが。
(私もモスキート音は聴こえますから、耳年齢は若い方かな?何もありがたくないですけど)。

さて、あさってはホスピス・コンサート。
高齢の方が中心なので、そういう「耳」のことを、もっと意識しないといけないなあ・・と。
そして今更ながら、少しアレンジをやり直しました。
高音部にあった旋律は中低域にまとめて、音もなるべく省きました。
Mother Songsは、旋律を聴いていただきたい内容なので。

考えてみればクラシックのピアノ曲は、
ほとんどが作曲家が高齢者になる前の作品ですから、
クラシックピアニストの方は大変です。
しかも最近は見事に、似たようなプログラム内容の演奏会が多いです。
観客受けする’名曲’と言われるものは、どれも’若者’の作品。
お客様に望まれない作品は、研究対象か、淘汰されていってしまうのですね。

私はリストの超絶技巧は、あまり好きじゃないんですけど(誕生日一緒だけど)、
僧籍に入ってからの晩年の作品なんかは、
どこかで聴いてみたいなあ・・と思ったりもしています。

ピアニストだって、年をとれば指だって当然動かなくなるし、体力だって落ちます。
耳だって老化するだろうと思います。
それは自然のことですけど、そこを否定したら人生後半は地獄です。

だけど音楽家はスポーツ選手ではないから、
その年代にしか出せない音や表現できない感性があります。
年を重ねるごとに、よい味が出てくる。その人だけの’間’が生まれる。
楽器ではなく、音楽そのものと向き合い始めた時、
そこからが本当の音楽道の始まりかもしれません。

で、私の場合はYOGAとの出会いに、大きな希望の光を見出したというわけです。

この話は、少しづつ。

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2010年12月26日 (日)

印度の子守唄 by リューランス

先日のプラネタリウムコンサート「シタールとピアノで紡ぐ~インド星物語」の中で、
ピアノソロで弾かせて頂いた曲。
コンサートの中でも少し触れましたが、
この曲、’いわくつき’というか何というか、とにかく興味深いのです。

まず歌っているのが戦前のオペラ歌手・関屋敏子
彼女は日本の童謡、子守唄も数多く録音していますが、30代後半で自らの命を絶っています。
理由については定かではありませんが、母方にアメリカ人の血を引く彼女は、
きっと美女だったに違いありません。
ゾルゲ事件’に関係した暗殺説(愛人説)まであって、ミステリアスな人生です。

そして作曲は、アメリカのリューランスという音楽家。
彼についての資料はあまり残っていないのですが、
いくつかの文献によれば「アメリカ・インディアン音楽の研究に生涯を捧げた」という記述が出てきます。
ん?アメリカ・インディアン?

そして訳詞の堀内敬三
あの’浅田飴’の三男坊である彼は、
ジングルベルやアニー・ローリーなど童謡の名曲を数多く訳していますが、
実は戦前に、アメリカのマサチューセッツ工科大への留学経験もあるエリート。
アメリカインディアンと、インドを間違えるとも思えず・・・。
しかしこの「印度の子守唄」は、彼の著作権資料を調べても見当たりません。
なぜ??

さらに彼には、もうひとつのペンネームがありました。
その名も「安谷 鎮雄」。
アヤシイゾ・・を文字ったものだと言います。

むむ。確信犯だったのか?

しかし歌った関屋敏子はそのことを知っていたのか?
そして当時、このちょっとエキゾチックな子守唄は
どれくらいの人たちに知られていたのでしょうか。

とにかく色々な憶測を呼ぶ、今年の忘れられない一曲です。


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2010年12月21日 (火)

メキシコ現代オペラ「原野のささめき」

201012genya_omoteCD「月の栞」でご一緒した笙の石川高さん、
先月のプラネタリウムで共演したシタールの伊藤公朗さんとも親交のある舞踏の田中泯さん(龍馬伝の吉田東洋です)、
そして美術小道具協力に荒木珠奈さん。
私にとっても縁のある方々が参加されている舞台です。
ご興味ある方は是非どうぞ!

日本メキシコ交流400周年記念事業
フリオ・エストラーダ・アンサンブル
メキシコ現代オペラ「原野のささめき」



 ―ペドロ・パラモを探して辿り着いた町。
  しかしそこは、秘やかなささめきに包まれた
  死者ばかりの町だった・・・・・・

メキシコ文学の金字塔、ファン・ルルフォ原作「ペドロ・パラモ」を、
現代音楽の巨匠フリオ・エストラーダが15年の歳月をかけてオペラ化。
原野にこだまする魂の声を、見事に音楽と視覚で表現した傑作。
日本公演では笙の石川高と舞踊家、田中泯の出演が決定!

舞台はメキシコ革命前夜。破滅に向かう人々の声にならない声が充満する失楽園、コマラ。
生者と死者、愛と罪、現在と過去を行き交う時間は円環をなし、
神話のように世界を包む。

学生さんに\3000の特別料金を設けました。
客席数が少ないので、どうぞお早めにご予約ください!!

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日程:2010年12月21日(火)19:30開演
22日(水)19:30開演
23日(木・祝)14:00開演
於:スパイラルホール(地下鉄表参道下車B1,B3出口すぐ)
料金:全席自由 一般(前売:\5,500 当日\6,000)
              学生(前売・当日:\3,000)

詳細はコチラ!

http://www.kaibunsha.net/archives/201012genya.html

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2010年11月18日 (木)

プラネタリウム星空コンサート2010「シタールとピアノで紡ぐ~インド星物語」 伊藤公朗×ササマユウコ

2010c_2

本日開催です。
当日券は18時30分より先着順。


北インドの楽器シタールも、ピアノも、実はペルシャ起源の楽器が進化したもの。遠い時空を越えて、東西のスチール弦が響き合います。伊藤公朗(コウロウ)さんは30年前にインドに渡り、高名なナーダ・ヨギの弟子となり、リシュケシュを始め
インド各地で長年研鑽を積まれたシタール奏者の第一人者。現在は東京にご家族で住まわれ、音楽家からも親しまれ尊敬されている方です。シタールを聴いたことの無い方、ヨガに親しまれている方、どうぞリラックスして、星空の下で深呼吸してください。

お問合せ(※新宿未来創造財団 学習・スポーツ課03.3232.5121

・・・・・・・以下ちらし転載・・・・
世界の民族音楽×ピアノ 好評シリーズ第三弾です。今年は北インドのシタール。イマジネーション豊かに広がる奥深い響きと、そこから感じられる壮大な宇宙の法則。ゆったりとした時の流れをお楽しみください。

即興と共鳴。響き合うスチール弦の世界に包まれながら、満天星の旅に出かけてみませんか?

出演Kourou_profi伊藤公朗(シタール)
  Anjali Indian Music www.anjalimusic.jp

 

ササマユウコ(ピアノ・進行)
  音のまにまに www.otomani.com
Sasama_profi_hoshi_2 

日時・11月19日(金) 19時開演(18時半開場)

場所・新宿コズミックセンター8階 プラネタリウム http://www.regasu-shinjuku.or.jp/?p=683

定員・140名 

入場料 1500円

当日券 ※当日18時30分より発売します。会場にお問合せください。

■効果音 斉藤鉄平(波紋音)
■音響  石橋守
■コーディネイト ササマユウコ

協力
生きものの音プロジェクト(石井寿枝) http://ikimonooto.exblog.jp/
BABY in ME+サポーターズ   www.baby-in-me.com
アナンダ工房           www.anandakobo.com
BEN-TEN Records              http://www6.ocn.ne.jp/~ben-ten/

主催・ご予約 (公益財団法人)新宿未来創造財団 
                            学習・スポーツ課03.3232.5121

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2010年11月12日 (金)

ナーダ・ヨギーニ

Hiraita15昨日は、久しぶりに上野不忍池へ。
写真は8月ですが、この時期にしては、
まだ蓮の葉に青さが残っていました。
今年は暖かいですね・・・いいんだか、悪いんだか。
弁天堂にはココロの中で手を合わせて、
アナンダ工房さんにお邪魔しました。
インドに精通している西岡ご夫妻に色々とお話も伺って。
直樹さんの著書「インドどうぶつ奇譚 空飛ぶ象」と「インド花綴り」

来週のプラネタリウムでも販売させて頂きます。
秋田恵美さんがコラムを書かれている月の満ち欠けカレンダーと共に、
どうぞお楽しみに。

帰りにはミヤちゃんから波紋音も無事受け取って、
着々と本番に向けて準備が進んでいます。

本当にナーダ・ヨギーニ(音楽を修行方法としているヨガの女性修行者)です、今の私は。
国際ヨガ協会の川嶋会長さんからも、以前おっしゃって頂いたのですが。
もう最近の肩書きには、「ヨギーニ」って入れてますもん。
今年に入ってからの濃すぎるほどのヨガな日々は、
すべては音楽のためだと思ってたけど、実は本当に逆なのかも知れない。
ヨガの哲学も知れば知るほど、五臓六腑に落ちていく。
あ、私が探していたのはここにあったのかと。そんな気持ちでいっぱいです。

そして今日は、阿佐ヶ谷のPREMA STUDIOで、
これまた先月の「13人のGrand Mother」でつながった
素敵な方たちのお茶会に招いて頂きました。

阿佐ヶ谷って、高円寺と荻窪に挟まれて何となく地味な印象だったのですが(ごめん^^l)、
実は杉並の中でもいちばんディープで、スピリチュアルで、ヨガ的な場所なんじゃないだろうか。
帰りに寄ったパール商店街には、インド人が経営するお店もちらほら見かけました。
神楽坂から地下鉄で15分くらいで、別世界です、本当に。

ヨガにはサンスクリット語で「つなぐ」という意味合いがありますが、
本当に文字通り、色んな人や場所がつながっていくのでした。

来週ご一緒する伊藤公朗さんは、30年以上前にインドに渡り、
高名なナーダ・ヨギ聖者の日本人唯一の弟子となって、厳しい修行を積まれた方。
(そんな凄い体験をした方とは思えない優しい印象ですけれど ^^)。
19日には、貴重な北インド古典音楽も演奏して頂きます。

実はシタールもピアノも、ペルシャが起源と言われています。
西と東を代表するスチール弦(ピアノ線)の響き。
時空を越えた即興の共演を、どうぞお楽しみに。





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2010年10月21日 (木)

いま、奄美大島では

Granma_2この二日間で3か月分の雨が降り、現在、大変な被害が出ている奄美大島。被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

なぜ、この時期に奄美大島なのか・・・と。あまりに皮肉な偶然に、いえ偶然なのだろうか?と朝から考えています。

実は奄美大島では明日から「13人のグランマザー 第8回国際会議」が開催される予定なのです。現在、COP10関連の円卓会議を終えたグランマザーたちが、会場のあった愛知で奄美入りの待機をしているようです。

今週土曜日の満月には、阿佐ヶ谷のヨガスタジオでも、
会議開催同時刻に関連のドキュメンタリー「FOR THE NEXT 7 GENERATIONS(世界を癒す13人のおばあちゃん~これからの七世代と、さらに続く子どもたちへ~」の自主上映会が予定されています(私も参加します)。

関係者の皆さんは今、さぞや大変な時間を過ごされていると思います。
まずは奄美大島のこれ以上の被害拡大が無いことを、
そしてグランマザーたちが無事に現地入りできるよう祈りたいと思います。
※詳細はこちらのブログで報告されています。

実はこのイベント、すぎなみママコラボの会・小池さんから教えて頂きました。
が、蓋をあけたら先月ライブでご一緒した等々力政彦さんも共演している朝崎郁恵さんがご出演、
そして国際会議全体のプロデュースいのちの環のロゴを手がけているのが真砂秀朗さんとわかりました。(お二人とは「生きものの音」でご一緒しています)。
知るべきして知ったイベントなんだなあ、と。
阿佐ヶ谷会場のスタッフ森岡さんにも、色々メールでお話させて頂きました。

グランマザー、よい響きですね。
私はまだまだ リトルマザーですが。
願わくば、こういうおばあちゃんになりたいと思います。

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2010年10月12日 (火)

Playing for Change 音楽は世界をひとつにする



今年に入ってから、’肩書き’を必要とされる場では「民族音楽ピアニスト」と記している。
これはなんていうか、’自分の血や遺伝子に響かない音楽は演奏しない、という自分への確認というか、
小さな決意表明みたいなもの。
日本人(民族)にとらわれるならば、日本音楽以外は演奏しないということになるけれど、
日本の民族音楽って、じゃあ先住民族のアイヌ音楽じゃないの?と思ったりして、
そこでまたアイデンティティの葛藤なども生まれてきてしまうわけです。
そうではなくて、商業主義やクラシック至上主義の方々とは、
違うスタンスで活動をしているピアニストです、という自己紹介のようなものでもあります。
そうは言っても、CDを一枚でも売ったらそれはもう商売だし、西洋音楽だって良いと思ったら演奏する。
ただ、産業革命の申し子のようなピアノという楽器との関わり方を、
極東アジア人の視点から、今いちど見つめ直してみたいと思っているのでした。
そしてさらには私が東京出身で、
生まれ育った新興住宅地には、地元の(私の)民謡が無いっていうのも大きな理由だと思うのだけど。

紹介したビデオクリップは、ご存知の方にとっては今更なんですけど、
テレビをあんまり見ない私、最近知りました。
今年に入ってから大和証券が映像をCMに使用しているようなので、
(そのあたりがちょっと残念なんですけどね。リーマンショックの影響もあるだろうし、

関係者たちもしたたかに運営資金を調達しているんだな、と受け止めたいと思いますが)。
テレビで目にした(耳にした)方も多いはず。

録音技術の進歩は、こういう素敵な発想を実現することもあるんですね。
国内でももっと皆やったらいいんだと思う、こういうこと。
でもそういう時に、真っ先に弾(はじ)かれる楽器がピアノという気もするんですけど。
ちょっとした疎外感を味わいつつ、今度生まれ変わってきたら絶対に、チューニングが簡単で、
持ち歩ける楽器をやろうと思うのでした。

弾(はじ)かれる、弾(ひ)かれる・・・同じでしたね。







プレイング・フォー・チェンジ 音楽は世界をひとつにする
http://100voices.wordpress.com/2009/05/06/playing-for-change/

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