2017年7月11日 (火)

コラム『INSIDE/OUTSIDE 音の記憶』更新しました。

毎月11日に更新されるササマユウコのコラム『Inside/Outside』。音の記憶④「蓮の花のひらく音」を更新しました。(2017年7月11日)

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2017年4月18日 (火)

ササマユウコのホームページ

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森の中の鹿を相手に説法の練習をしていたわけではありませんが、2011年3月から「音のない音楽」の世界を旅していました。

音楽とは何か、何が音楽か。正解がないことはわかっていましたが、とにかく自分なりの考え方=言葉を手に入れたいと、日々思考を続けていました(それは今も続いています)。そして最近は「音」に立ち返る場面も巡ってきて、言葉にはない音の力を再確認しています。密かにピアノも弾いています。

50代に入った「今」だからお伝えしたいことを。音楽と言葉の両面から、これからも丁寧に積み重ねていきたいと思っています。サウンドスケープとは何かを知るための「耳の哲学」に関心をお持ちの皆さまには、どうぞワークショップも体験して頂きたいと思っています(お気軽にご相談ください)。

まずはお時間のある時に、ぜひサイト をご覧頂けましたら幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

http://yukosasama.jimdo.com/  音のない音楽/CONNECT主宰 ササマユウコ

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2017年3月26日 (日)

空耳図書館のはるやすみⅢ うららかに終了しました。

♪3月20日の春分の日。「空耳図書館のはるやすみⅢ」を開催しました。
ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。活動の記録はこちらから ご覧いただけます。

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あそぶ人aotenjo (外山晴菜/ダンサー、振付家 橋本知久/音楽家)  
+空耳図書館ディレクター:ササマユウコ       イラスト:Koki Oguma

◎「空耳図書館」に関するお問合せは
芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトまでお願いいたします。

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2017年2月20日 (月)

【おやこのじかん】 空耳図書館のはるやすみ③「はるのはじまり、いのちのたまご」

【定員に達しました。ご応募ありがとうございました♪】

早いもので、ササマユウコがディレクターを務める「空耳図書館のはるやすみ~おやこのじかん」も今年で3回目となりました。今年も3月20日(月・春分の日)に、この空耳図書館から生まれたクリエイティブ・ユニットaotenjo(外山晴菜・橋本知久)のおふたりとともに、絵本の世界を自由に旅します。

Photo 今年の参考図書は、インドの工房で一冊づつ手作りされている『世界のはじまり』です。豊かな想像力で語られるインドの神話を題材に、いのちのふしぎ、つながりをいっしょに感じてみませんか?とっても小さな集まりです。赤ちゃんパパママ大歓迎!

※詳細は下記の専用サイトをご参照ください。専用メールにてお申込み頂けます(無料・先着順)。

♪空耳図書館サイトhttp://soramimiwork.jimdo.com/

主催:お問合せ 芸術教育デザイン室CONNCT/コネクト  

 ※平成28年度子どもゆめ基金助成事業・読書活動

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2017年1月 1日 (日)

2017 謹賀新年

2017_32017(平成29年)謹賀新年

音を見失っていた2011年の秋に、
弘前で見つけた鳥笛。
あれからの日々を忘れない。
「希望」のサウンドスケープを奏でよう。
ちいさな音楽、耳の哲学。
2017年1月1日 ササマユウコ

 

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2016年12月15日 (木)

「こまば哲学」にて

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11月には東京大学駒場祭で開催された「こまば哲学」に、コネクトの方で協力させて頂きました。プログラムは「対話は言葉だけのもの?~音楽療法やサウンドスケープの視点から」です。
ファシリテーターとして音楽療法士・三宅博子さんを中心に、即興演奏や音のワークショップ、主催のP4E/山村洋さんの言葉での対話を重ねながら、参加された皆さんと一緒に「音」や「きく」からさまざまな気づきを得る時間となりました。

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この中で、弘前今田匡彦研究室でもおなじみのサウンド・エデュケーション「紙のワーク」を皆さんに体験して頂きました。そして今年、いくつかの場所でこのワークを実施してみて気づいたことがあります。紙のワークの「ルール」は「音を出さないで紙を回す」だけなのですが、そのルールをどう受け止めるかによって身体性が、もっと言えばその場の「音楽」が大きく変わってくるということです。

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この「紙のワーク」の本来の目的は、紙と身体(指先、膝や腕の関節)の関係性から楽器を演奏する身体を学ぶ音楽教育にあります。自分の出す音/出さない音に耳をすまし、身体・指先の延長線上として紙をとらえ「一体化」させていくプロセスに、よい演奏=音楽の本質があるという気づきを得る。その気づきから、身体の動きそのものが音楽になっていくのです。つまり「音を出さない」というルールを守るという意識で身体を拘束するのではなく、「無音をきく」こと、紙とひとつとなって柔らかく身体を動かすという発想の転換が必要になります。
興味深いことに、音楽教育が目的ではない場で同じワークをすると(’オンガク’という概念を共有しないでワークを実施すると)、「音を出さない」という「ルールを守る」ことのみに意識が向かい「ただ効率的に紙を回すだけの場」が成立します。写真の私のように身体の動きからも紙の動きからも音楽が消え、目的を達成するだけの何とも味気ない場になっていくのです。

Blog_4しかしそこにほんの少しだけ「関係性」や「柔らかく」というキーワードを与えるだけで、場が劇的に変化する。直線的に紙が回されていくだけだった場が、明らかに音楽的な波を描き始めるのです。皆さんの身体も膝や手首が上手に使われて、柔らかくなっていく。何より紙が美しく波を打ち、音楽を奏で始める。もしルールが破られたとしても、視覚的な「美」、また「全体の流れ」が包み込む。何より緊張感が消えて「楽しく」なるのです。
生活の中で「なぜ音楽が必要か」という問いの、ひとつの答えを見つける瞬間です。しかもこの場合は「沈黙をきく」というサウンドスケープ論の根幹にも迫ることができます。
さらに紙のワークには、コミュニティや紙の質を変えることからも気づきがあります。最後に「音を出さない」というルールを外したときに生まれる「自由な音楽」にも、また違う音楽の発見や喜びを感じることができる。実に単純にして奥深いサウンド・エデュケーションなのです。

参考文献:
『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』M.シェーファー、今田匡彦(春秋社 2008)
『哲学音楽論~音楽教育とサウンドスケープ』今田匡彦著 恒星社厚生閣(2015)

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2016年8月28日 (日)

【終了しました】キクミミ研究会夏の特別企画 『生きることは即興である~それはまるで‘へたくそな音楽’のように』

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【終了しました】

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 当日の詳細はこちら→

キクミミ研究会~夏の特別企画
生きることは即興である

 ~それはまるで‘へたくそな音楽’のように」

特別ゲスト:若尾裕(臨床音楽学)
きき手:キクミミ研究会
       新井英夫(体奏家)
       ササマユウコ(音楽家)

日時: 8月26日(金)20時~22時
場所:下北沢本屋B&B www.bookandbeer.com
□主催:B&B

サウンドスケープ、音楽教育、音楽療法、そして即興演奏。常に柔らかな姿勢で「音楽」と向き合い、その内側から芸術と人生の真理に迫る若尾裕氏。その仕事をキクミミ的に紐解きながら、「生きる」とは、「即興とは」を語り合う、非アカデミックで愉快な真夏の一夜です。ビールを片手にお気軽にご参加ください!

●この企画はB&Bの主催で第6回「キクミミ研究会~身体と音の即興的対話を考える」を公開にしたコネクト企画です。
キクミミ研究会:新井英夫、ササマユウコ、板坂紀代子

このイベントの内容に関するお問合せは、
相模原市立市民・大学交流センター内シェアード1 芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトまで
http://coconnect.jimdo.com/


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2016年6月14日 (火)

ササマユウコ/Yuko Sasamaホームページ移転中です。

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□6月いっぱいで旧サイトのサービスが終了するということで、急遽ササマユウコのホームページの移転作業に入っています。ちょうど「ふり返り」の時期なのかなと思っていますが、予定外だったのであたふた・・。

2011年の東日本大震災以降、水面下で「音を出さない音楽」と向き合ってきたササマの「イマココ」がわかるサイトになると思います。
まだ表紙しかできていませんが、2011年以前の活動アーカイブも含め徐々に移行していきますので、時どきのぞいてみてくださいね。

□新サイトhttp://yukosasama.jimdo.com/ 

 

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2016年5月23日 (月)

聾者の音楽映画『LISTEN』 アフタートークに出演しました。

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□連日満席が続いている映画『LISTEN』。出演させて頂いた21日(土)夜のアフター・トーク「ウチとソトから’きく’音楽」の様子を、一部抜粋ですがこちら丁寧にまとめて下さっています。話したことが瞬時に文字化&公開されるのは口述筆記のような独特な緊張感もありましたし、もっと話すべきことがあったはずと後悔も残りますが、この作品を使った「哲学カフェ」やりたいなあ・・と思いながら、「音楽とは何か、何が音楽か」について、さまざまな内側と外側から牧原さん&雫境さん両監督とともに考えてみました。たぶんあと3時間くらいは話せたと思います(笑)。先週末は夕方の回に急遽追加上映をしていましたが、それでも夜の回もあと2、3席・・。お立ち見もいらしたので、予告を未見の方も含め今後の詳細はアップリンクのHP でご確認ください。

□この日は、久しぶりに脚本家の米内山陽子さんや、演劇家の柏木陽さんともお会いして、イベント後も米内山さんの通訳を介して監督お二人と共に映画&演劇&音楽談義に花が咲きました。基本的には「きこえる/きこえない」を越えての表現者同志の対話でしたが、同時に「手話」という身体的なコミュニケーションがやはり興味深かった。'楽器演奏時’の身体の使い方、特に指先の動きを含めた「手の仕事」に非常に近いと感じました。実際に手話にも「手質」や得手・不得手があると言います。そして、今回この映画の中で私が「何に」もっとも’音楽’を感じたかと考えた時、(私は手話がわからないので)純粋に彼らの指先や身体が醸し出す雰囲気であったり、動きの「間」であったり、「音のある/なし」を越えたセンス(感覚)や、そこに’きこえる’サウンドスケープ(音風景)だったと思います。反対に手話のわかる人や聾者は、動きに「意味」を見出そうと観てしまうと話していたので、この映画はやはり「きこえない世界」の内側から、「きこえる世界」につながろうと試みた作品なのだと思いました。

□『LISTEN』の面白いところは、被写体ひとりひとりが’奏でる音’を、「無音の58分間」という音楽的な「時間の流れ」として、おそらく’作曲’のような思考と直感で編集して、ひとつのサウンドスケープ(音風景)としてデザインしている点にもあります。人の数だけ音楽があり、各被写体の音楽もいわゆる三要素(旋律、リズム、ハーモニー)で語られるものだったり、内と外の関係性そのものを表現していたり手法は様々です。それをもう一度、監督が音風景として紡ぎ直している。もっと言えば「ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)」のハルモニア(調和)の世界を目指した「沈黙をきく」作業です。だから観客にも「きく」ための想像力が求められる。それは先日観た能舞台でも体験した感覚でした。「きく」とは鳴り響く森羅万象(宇宙)に耳をひらき、全身を耳にする行為です。鑑賞者は彼らの音楽を受け入れ、時には自分から求めに行く。受動的聴取と能動的聴取を繰り返しながら映画を「きく」のです。感覚器官に「目」を使っていたとしてもです。

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□余談として舞台裏のお話から、国際映画祭が「聴者による聴者のためのもの」だということも含め、まだまだ聾者がコネクトできない領域があることも見えてきました。実は社会に出て最初に就いた仕事が洋画仕入だったので、もともと映画を観てきた方だとは思いますが、確かにこの『LISTEN』はアート系でもドキュメンタリーでもない。つまりは「聴者の価値観」や「ジャンル」で撮られていない新しい作品だということも非常に注目しています。それは耳栓を渡される鑑賞方法もしかりです。
しかし、この作品が映画界の内側に入るほど「かくあるべき」という壁にぶつかり、評価が厳しくなるという。反対に映画の外の人ほど面白がってくれる、というお話も社会の在り方を象徴しているようで印象に残りました。特にこれは、商業のシステムと結びつき発展した比較的歴史の浅い「映画」というジャンルが、本当の意味で皆にひらかれた「芸術」となるための課題のひとつと言えるだろうと思いました。なぜなら、この作品を「観たい」と連日多くのきこえる/きこえない人たちが映画館に足を運び、満席が続いているという現状があるからです。

□それでも、この映画にどうしても「聴者のジャンル」が必要と言うならば、やはり「音楽」と言いたいと思います。私が「ダンスではない」と感じる理由はまた別の機会に考えてみたいと思いますが、これは音楽家の直感です。映像の’質感’から「アート系」とも違うと思いました。58分間の無音の音楽。即興性や偶然性、荒さときめ細やかさを内包している「現代音楽」ならぬ「未来音楽」と言えるでしょうか。それは身体を動かさずに脳波だけで音楽を奏でる人工知能音楽の映像を観た時の感覚に近いというか(人工的という訳ではなく、’新しさ’という意味において)。とにかく聴者の音楽の「当たり前」が揺さぶられ、観終わった後も「きこえるとは?」「音楽とは?」と考え、他者との対話を生むだろうと思います。何より「きこえる/きこえない」という両者の世界をつなげたくなる。聴者は耳栓で塞いだ自分の身体の内側の音、つまり「生命の音」に気づき、それは聾者にも同様にある音楽だとあらためて知る。彼らの音風景(世界)に気づくこと。まさにそれは「きく」ことから世界との「つながり方」を見直そうとしたM.シェーファーのサウンドスケープ哲学そのものだと思うのでした。

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2016年5月16日 (月)

アーツ千代田3331「音を奏でる身体~動く音響」 記録映像です。

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昨年12月にアーツ千代田3331レジデンスアーティストJan&Angela(スイス)のプロジェクトに参加した際の映像記録が出来上がりました。

音を奏でる身体~動く音響」と題したこのプロジェクトは、彼らが世界各国を旅して出会ったアーティストと身体×音の「即興的対話」から生み出されていく旅の記録でもあります。

ですから映像の中でも、いわゆる「パフォーマンス作品」ではなく完全に即興の非言語コミュニケーション(コトバ以外の音と身体を使った対話)が行われています。出演者5名の間には「10分×3本」と役割(私は音)が与えられているだけです。ステージの内側の世界では、かなりの情報量や「気」が飛び交ているのですが、外側からはこのように見えていたという記録でもあります。定点観測なので、外側からは見えていない部分で起きていたこと、内側には届いていなかった周辺環境音が入り込んでいることなど様々な発見があります。「作品」として受けとめることも可能です。また私とJan(音楽家たち)の身体が、3名のダンサーの身体とは明らかに違うことも興味深い。音楽家とダンサーの音の扱い方も微妙に違うのも興味深いと思います。
何より初対面のメンバーが、出会ってから1週間後に、分野や国境も越えて即興的な非言語コミュニケーションが可能になることも、芸術の力だと思います。私にとっては2011年から久しぶりのステージが「ピアノではない」というレアな状況ですが、その展開も含めて「身体と音の即興的対話」について、もっと自由に内と外をつないでいきたいと思いました。

■詳細はJanのホームページ をご覧ください。

photo(C)Steven Seidenberg and local press photographer

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