2018年9月 2日 (日)

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表として

この秋は2014年に立ち上げて5年目に入った「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」の活動をふりかえる機会がいくつかあります。以下の文章は専用Facebookに掲載して反響も大きかった記事なのでこちらにも転載します。「場の在り方」を通して自分の頭の中にあるサウンドスケープを提示してきたつもりはありますが、その場で言葉で伝えることはあまりしてこなかったのかなと。だから肩書「音楽家」なんだけど...とも思いつつ、やはり世界は言葉で出来ていることをあらためて実感する今日この頃です。ちなみに今後は非言語コミュニケーションを中心に考察するだろうことはかなり明確に見えてはいるのですが、またこれも難題です。サウンド・エデュケーションについても弘前大今田研究室の最新研究と連動しながら、音楽教育の新しい視点も紹介していけたらと思っています。

2018コネクトには時おり若い研究者(の卵)やアーティストが訪ねてこられます。昨日も「言語人類学」の領域から手話や音楽を研究する東京大学の院生さんが遊びに来て下さいました。私の「頭の中を知りたい」ということで、さてこれがなかなか難しい。有機的につながっていく活動の「音の風景(サウンドスケープ)」を言葉化することに3時間苦戦しました。反対に「インタビュー」して頂くことで思考が整理されていくことも多々ありました。なので、今後インタビューは積極的にお受けしたいと思いました(笑)。
 2014年に立ち上げた「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」は、もともと2011年の東日本大震災を機に弘前大学大学院今田匡彦研究室でサウンドスケープ(耳の哲学)研究を始めた音楽家・ササマユウコの実践拠点としてスタートしました。オフィスは相模原市立市民・大学交流センター内にある任意団体です。公共施設を拠点に選んだのは同時期に「まちだ市民大学」に仕事で関わり「さがまちコンソーシアム」の存在を知ったという経緯もあります。
 コネクトは「つなぐ・ひらく・考える」をテーマにプロジェクトごとにチームを編成する「中心点」のような存在です。当初は民官の中間支援的な活動も考えましたが、サウンドスケープの内側=市民(アーティスト)主体で小回りが利く有機的な活動の在り方を模索しました。今年度は地域活動を視野に入れたアーティスト・イン・レジデンスに沼下桂子さん(女子美術大学版画研究室講師)にも関わって頂いています。
 大学と団体よりは、研究者と芸術家、顔の見える「個人と個人」のつながりを大切にしています。その小さな活動の密度に、今の時代に置き去りにされがちな「個の力」の可能性を感じます。外からはなかなかわかりづらいですが、この「個」が「音の風景(サウンドスケープ)」のように編まれている活動だとご理解頂けると嬉しいです。これは弘前の研究室がここ数年掲げている「小さな音楽」という概念に共鳴しています。
 これまでの主なプロジェクトには、「路上観察学会分科会」(異分野アーティスト交流)、「空耳図書館のはるやすみ」(子どもゆめ基金助成事業)、「即興カフェ」(新しいオンガクの実験)、「協働プロジェクト 聾/聴の境界をきく」(2017アートミーツケア学会青空委員会助成公募プロジェクト)
等があります(活動開始順)。第一線で活躍するアーティストや研究者たちが分野を越えて「境界」に集まることで柔らかな場が生まれています。この他にも自治体の「音のワークショップ」等を個人的にお受けしていましたが、この1年くらいで個人活動とコネクトが不可分な存在になってきていると感じます。
 あくまでもその在り様(音風景)が「オンガク」であるように。もちろんそこには「ノイズ」も含まれますし、それこそが豊かさや多様性にもつながります。ではそのオンガクとは何か?何がオンガクか?というお話は、長くなりますのでまたどこかで機会を持ちたいと思います。長文失礼いたしました(サ)。

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芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトの活動にご興味のある方は以下サイトのメール・フォームよりお問合せください。

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2018年8月 5日 (日)

蓮の花のひらく音2018

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◎昨年の記事はササマユウコ個人サイトの「Inside/Outside」をご覧ください。

 今年も不忍池の蓮に会いに行きました。毎年この時期に、軍国主義が色濃くなった1930年代の国内有音派・無音派の植物学者たちが、2度の夏に渡って不忍の弁天堂前の蓮音を巡って朝日新聞紙上で繰り広げた『蓮の音論争』をご紹介しています。詳細は、ぜひ上記リンクよりご覧いただければ幸いです。
今回は「芸術と科学」の関係性について素人なりに少し考えてみたいと思いました。なぜなら、この「蓮の音論争」を一方的に収束させた無音派の言葉が「科学の勝利」だったからです。
 20世紀は「科学の時代」と言われました。この100年間に開発された科学技術は、インターネットの例を挙げるまでもなく人々の暮らし、世界を大きく変えました。この「蓮の音論争」が繰り広げてられていた1930年代の日本も近代化が進み、すでに不忍池周辺工場の排気による環境汚染が問題視されていました。関東大震災を経て地下鉄銀座線も開通しています。
 実は、第二次世界大戦前のアメリカではすでに原子力爆弾の製造法が研究開発されていましたし、それを知る留学経験者(物理学者たち)も国内に存在していました。その原子力爆弾を自国に投下する可能性のある国と戦争状態に突入していく時代をどう過ごしたのか、今では彼等の「内心」を知ることは出来ません。物理学者だけでなく、「戦争反対」を唱えた人たちは、時には隣人の「密告」により捕まり、拷問を受け、殺されてしまう恐ろしい国。大正デモクラシーから10年たらずで社会は暗く変貌し、ジェットコースターのように軍国主義に「落ちていく」体験をした人たちは沢山いたはずでした。もしくは「上がっていく」と高揚感をもって捉えていた人たちも沢山いたことでしょう。
 この論争までは有音派の植物学者も普通に存在していましたし、「蓮の音をきく」文化も当たり前に受け入れられていました。しかし「科学の勝利」と新聞に書かれた途端、実は突っ込みどころ満載の「非科学的な」実験だったにもかかわらず、蓮の音の存在は呆気ないほど簡単に社会から消えてしまうのです。その年の冬は226事件、クーデターを起こした多くの青年将校たちが処刑された象徴的な年でした。
 敵国アメリカの真実を知る/知らないにかかわらず、国中の人たちが「本心」を隠し大きな力に飲み込まれ、「勝利」を信じて「お国のために」すべてを差し出す道だけが残されていきました。「蓮の音」を愛でるような「風流」は軍国主義に嫌われ、戦争を視野に入れたメディアや教育による「刷り込み」が子どもにまで及んでいきます。「蓮の音論争」の隣には、すでに都内で始まっていた空襲訓練を苦に一家心中した有識者家族の記事も大きく掲載されています。
 しかし、戦後は違う理由で「科学的根拠」をもって「蓮の音」をふたたび否定する人物が現れます。誰よりも蓮を愛し、自宅で検証を積み重ねた植物学者の大賀博士です。大賀博士はなぜ「蓮の音はしない」と言い切ったのか。それは「カミカゼ」を信じて戦争に邁進した迷信を疑わない「国民性」への反省と批判があったからです。
 この「蓮の権威」が科学の世界から「無音」を宣言した影響は大きく、現在も大賀博士の論が一般的に支持されています。戦後の高度経済成長を遂げた日本人は、日進月歩の科学技術の恩恵を受けながら、ふたたび蓮の音をきく耳を持とうとはしませんでした。気づけばアカデミズムだけでなく、芸術さえも「科学的であること」が求められるようになります。ロジカルに説明できないモノ・コト・ヒトは排除する。「非科学的」であることと「言葉にできないこと」が同義として語られていくようになりました。逆に言えば「言葉にできること」だけが世界のすべてになっていきます。
 そして2011年3月。衝撃的だった「想定外」の言葉とともに、人類史上最悪の原発事故が起きました。その事故の背景には「ブレーキのない自動車を走らせる」ような杜撰な「最先端科学技術」の実態も見えました。そして事故からわずか7年。社会はいま「勝利(成功)」を信じて真夏の東京オリンピックに突き進もうとしています。その成功を信じる「科学的根拠」は何でしょうか。
 芸術と科学は本来、岡本太郎が提唱した「調和は衝突」の関係性にあるのだと思います。「想定外」とは「イメージの力」によって到達する世界であり、それは芸術にとって必要不可欠です。科学がカバーできない「非言語」の領域を芸術で補うこともできます。科学は決して芸術に勝る存在ではありません。むしろ科学の言葉やデータに囚われてしまうことは芸術を窒息させ、社会を息苦しくすることさえあります。なぜなら「科学的根拠」も決して「正解」ではないと未曾有の大災害が教えてくれたからです。「蓮の音を聞いた」と言う人を「非科学的である」と言葉で封じ込めるような権利は誰にもない。この広い世界には2000種類以上の蓮が存在し、土壌や環境、蓮の生命力の個体差も含め、すべてを検証することは不可能だからです(大賀博士も70種類ほどでした)。科学の「想定外」に思いを馳せることは「非科学的」とは違います。イメージすることを止めてはなりません。
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 明日は8月6日。原爆ドームの前に初めて立った時の「想い」を言葉にすることは本当に難しいです。わずか30センチ定規1本で開発されたという小さな「原子力爆弾」。はたしてそれは「科学の勝利」だったのでしょうか。ただ悲惨な、悲惨以外には言葉が見当らず、黒い塊の前で茫然となる思いでした。

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2018年3月 3日 (土)

「即興カフェVol.3 音と言葉のある風景」より

1月20日に開催した即興カフェを、昨秋にインドTARA BOOKSから絵本を出版されたばかりのKoki Oguma (おぐまこうき)さんが素敵なイラストにしてくださいました。ありがとうございます!(ササマが幅をきかせておりますが(笑)。HADEN BOOKSさんのピアノは素敵な音がしましたよ)。

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「即興カフェVol.3 音と言葉のある風景」
2018年1月20日(二十日正月開催)
音を編む人: 石川高(笙・古代歌謡)
鈴木モモ(ストリングラフィ)
ササマユウコ(アップライトピアノ)
言葉を編む人:國崎晋(Sound&Recording編集人)
場所:音と言葉のHADEN BOOKS
イラスト(C)2018 Koki Oguma
即興カフェはサウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを実験する音楽家たちのプロジェクトです。お問合せは以下専用ページよりお願いいたします(当日動画あり)
 Facebook専用ページ http://www.facebook.com/improcafe/

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2018年1月16日 (火)

【1月20日開催】即興カフェVol.3『音と言葉のある風景』

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即興カフェVol.3
「音と言葉のある風景~夢を見たのです」開催

1月20日(土)15時~17時
HADEN BOOKS@南青山www.hadenbooks.com

【音を編む人】
石川高(笙・古代歌謡)
鈴木モモ(ストリングラフィ)
ササマユウコ(アップライトピアノ)

【言葉を編む人】
國崎晋(Sound&Recording編集人)

「即興カフェ」は2015年1月に開催した「音楽×やさしい哲学カフェ」(ゲスト:弘前大学今田匡彦教授 @日本橋DALIA食堂)を前身に、「サウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを実験する音楽家のプロジェクト」です。今回はその第5回にあたり、「音と言葉」の不思議な関係を実際に「演奏する身体=音」を通して考えたいと思います。
 音(非言語)でのコミュニケーションを軸とする音楽家にとって、そもそもコトバの存在とは何でしょう?「歌」にとって、コトバの「音」と「意味」はどちらが大切なのでしょう?音楽や音をコトバに変えることと、コトバを音や音楽に変えることの違い。コトバの「何が」音楽に、音楽の「何が」言葉に変っていくのでしょう?そもそも「音楽」とは何でしょうか?
 いつものように結論はきっと出ないと思いますが、音楽家たちの即興演奏や試行錯誤、あらたな発見、おしゃべりにおつきあい頂きながら、いつもと少し違う「オンガクの時間」をお届けできれば幸いです(ササマユウコ)。

Vol.3は坂本龍一氏の最新作『async』でも注目される笙・古代歌謡の石川高、『Sound&Recording編集人』の國崎晋さんを特別ゲストに迎えます。店内には鈴木モモがストリングラフィの糸を張り、アップライトピアノは機構を剥き出しに、言葉は「コトバ譜」に、目でも楽しめる音風景を編んでいきます。新春らしく、深淵で広がりのある音と言葉のある時間をお気軽にお楽しみください。

【現在ご予約受付中です】 メール improcafe.yoyaku@gmail.com
詳細は⇒http://www.facebook.com/improcafe/

♪♪♪

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2017年10月11日 (水)

「即興カフェ」プロジェクト|FBの専用ページができました。

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「即興カフェ」 https://facebook.com/improcafe/  @improcafe

サウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを即興的に実験する音楽家のプロジェクトです。(鈴木モモ・ストリングラフィ奏者×ササマユウコ・即興ピアノ)

写真は10月6日に調布・森のテラスで開催された「番外編\教えて!トドリキさん/トゥバ民謡の音宇宙」から。専用ページには当日のアルバムが掲載されています。
出演:等々力政彦(トゥバ音楽奏者)、即興カフェ・鈴木モモ(ストリングラフィ奏者)+ササマユウコ、鎌田英嗣(トゥバ音楽奏者)

●動画もご覧いただけます⇒

履物「ひかりのすあし」浦畠晶子、台湾茶(杉本ご夫妻提供)

写真提供:竹内篤 様
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2017年9月 7日 (木)

最近の活動について

SNSや専用サイトでの発信が多い状態です。日々の活動をご覧になりたい方は個人サイト にどうぞ。

2011年の東日本大震災を機に始まったササマユウコの「サウンドスケープ研究」の旅。弘前大学大学院今田匡彦研究室(2011~2013)をはじめ、若尾裕先生、豊かな「音のない音楽」を教えてくれた映画『LISTEN』の監督おふたり、新井英夫さん、路上観察仲間(劇団青年団の皆さん、泥沼コミュニティ)、演奏即興(ナハマノヴィッチ氏)、表現の自由(作業所カプカプ)、空耳図書館から生まれたaotenjoをはじめ、まだまだ本当に沢山の貴重な出会いや学びがありました(そして今も続いています)。

2014年にはサウンドスケープを「耳の哲学」と捉え直し、「内と外の関係性」から世界を見つめる考察・実践拠点に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」を立ち上げました。ここでは現在も、音楽領域を越えて様々な分野のアーティストや研究者たちと活動しています。

コネクト活動の4年目となる2017年も早いもので後半に入りました。この3年間の活動で編まれたサウンドスケープを振り返ったとき、「音楽家としての私」にとってもミッションとも言うべき「ふたつのプロジェクト」が、ほぼ同時に立ち上がりました。2011年以降は学術的な言葉の構築に全力を注いでいましたので、音を出すことからは意識的に離れていました。しかし素晴らしいアーティストたちとの出会いから、再び「音」と向き合う機会が増え、新たな気持ちで原点に回帰しつつ、未来を見つめているのが今の状態です。

今後も前例のない「音楽家」として、サウンドスケープ哲学を軸に「Lief as Music 音楽のような人生」を実践していきたいと思います。日々の情報はFacebook等を覗いてみてください。どうぞよろしくお願いいたします。ここも時折更新します。
(2017.9.6.ササマユウコ)

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◎即興カフェ
サウンドスケープの哲学から「新しいオンガクのかたち」を実験する即興演奏家のプロジェクトです。






◎「聾と聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性

(助成:2017アートミーツケア学会青空委員会)
人と人を分けるものは一本の境界線ではなく、グラデーション状の帯ではないか?
メンバー(雫境×米内山陽子×ササマユウコ)それぞれの世界(聾・CODA・聴)を行き来しつつ、言語・非言語対話の可能性を通して「境界とは何か」を探ります。

Noutanartspace

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2017年9月 6日 (水)

「即興カフェ・番外編」 トゥバ民謡の音宇宙

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【今年も急遽決定】
秋の森でお茶会します!

◎即興カフェ・番外編
 \教えて!トドリキさん/
 「トゥバ民謡の音宇宙」

お茶する人
等々力政彦(トゥバ音楽演奏家)×鈴木モモ(ストリングラフィ奏者)×ササマユウコ(音楽家)

日時:2017年10月6日(金・満月) 13時30分~15時30分
料金:2000円(定員20名|要予約 improcafe.yoyaku*gamil.com *⇒@に)

◎詳細はFBの専用イベントページにて随時お知らせいたします。

主催:即興カフェ
(サウンドスケープの哲学から「新しいオンガクのかたち」を実験する即興演奏家のプロジェクトです)。

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2017年8月18日 (金)

INSIDE/OUTSIDE コラム『音の記憶』

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毎月11日更新。
 ホームページのコラムINSIDE/OUTSIDE 
  第5回『音の記憶』
 「沈黙の音~Sound of Silence」です。

 

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執筆:ササマユウコ

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2017年7月11日 (火)

コラム『INSIDE/OUTSIDE 音の記憶』更新しました。

毎月11日に更新されるササマユウコのコラム『Inside/Outside』。音の記憶④「蓮の花のひらく音」を更新しました。(2017年7月11日)

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2017年6月13日 (火)

コラム『INSIDE/OUTSIDE 音の記憶』更新中

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毎月11日更新中。

コラム『INSIDE/OUTSIDE 音の記憶

第3回『ポリリズム』更新しました。

2017.6.11 ササマユウコ

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